嫉妬
詰め所に戻ると、山尾が大河を出迎えてくれた。帰りを待ってくれていたらしい。
「久我君、こちらに」
山尾は隊長席から手招きをする。
彼の周りには事情を聴いたらしい隊士たちが、どこか複雑そうな表情でパソコンを覗き込んでいた。
「なにかわかりましたか?」
大河が席に近づくと、山尾が立ち上がって座るように促す。
「加地君から連絡をもらって、それからすべての監視カメラの映像を見直したんだ。なかなか許可が出なくてね。今の今まで時間がかかったが、ようやくだ」
山尾は苦笑いするが、すぐに表情を引き締める。
「ごらん。まず彼女は退勤後に職員食堂に行っている」
大河の隣でマウスを操りながら録画されているカメラ映像をクリックして再生する。
職員食堂の天井に取り付けられた監視カメラに、長テーブルで誰かと向かい合って話をしている六華の姿があった。
相手はちょうど柱の影になって誰かわからない。
けれど六華は非常にリラックスした態度で、怒った顔をしたり、しょんぼりしたり、きょとんとした表情になりながらも、距離が近い。それなりに親しい相手なのだろうと推測できる。
「相手は誰なんですか……」
男だろうか。女だろうか。
六華にこんなふうに信頼を寄せられながら、裏切った人間がいるのか。
想像するだけで胸の奥底でちりちりと何かが焦げるような感覚になる。
大河はパソコンのディスプレイから視線をそらし、後ろに立つ山尾を振り返った。
「どうどう久我君。落ち着いて。ここでの相手は問題じゃない。この後彼女はいったん詰め所に戻ってくるんだ」
「え……?」
「まぁ、詰め所の中にはカメラはないけど、入り口にはついてるからね。ほら」
山尾が別のウィンドウを立ち上げて、詰め所に飛び込む六華の姿を表示させる。それから数分もしない間に、今度は詰め所を飛び出していった。
「なんのために?」
「彼女と話した日勤の隊士に確認したところ、六華君は『玲さんはもう帰ったのか?』と尋ねて来たらしい」
「玲……清川?」
大河は驚いて、目を大きく見開いた。
脳内に三番隊一の色男と呼び声も高い清川玲の姿が浮かんだ。
「そして彼女は今度は詰所から駐車場へと向かったようだ。それこそ術式を使ってまで全速力で追いかけた」
山尾はそう言って、またマウスを動かす。
「これは駐車場の映像だ」
大河は食い入るように映像に顔を近づけた。
深緑色をしたスポーツカーの側に六華が立っている。
「これ、清川の車ですか」
「ああ」
六華はどこか緊張した様子で清川玲を見下ろし、一方の清川は常日頃と変わらない、穏やかな微笑みを浮かべて、六華の話を聞いている。
なにを話しているのだろう。
大河は読唇術もそれなりに修めているが、車の位置と監視カメラの位置の相性が抜群に悪いせいか、なにもわからない。
(清川……確かに六華に気があるようなそぶりを見せていたが……)
正直言って、六華を思う大河からしたら面白くない相手ではあるが彼もまた大河の部下のひとりだ。それはそれ、これはこれであるし、清川玲という男は大河もいまいちつかみきれない男でもあった。
「で、ここなんだけど……」
考え込む大河に、山尾が耳元でささやく。
「落ち着いてね」
「――え?」
今更落ち着けと言うのはどういうことだろう。
大河は山尾の顔からまたディスプレイへと視線を動かす。
車の中から玲の腕が伸び六華の左腕をつかむ。
「はっ?」
もう一方の手は六華の後頭部へと回った。
「なっ……」
六華は当然前かがみの体勢になり――それから玲が軽く伸びあがるようにして唇を重ねる。
それから六華は車内に引きずり込まれ、ドアが閉まるやいなや、車は何事もなかったかのように動き出し、カメラの前から消えてしまった。
「これって……お持ち帰り的な?」
隊士のひとりがぼそりと口にする。
「帰ってこないって、要するにそういうことだよな」
「まぁ、清川は矢野目のこと、気に入ってる感じではあったけど。まさかの展開だな」
隊士たちは、職場仲間の恋愛沙汰になんとなく気まずいものも感じながらも、「お互い大人だし」という空気を醸し出していた。
だが、大河は違った。
「っ……!」
目の前が真っ赤に染まって、息が止まりそうになる。嫉妬と、怒りと、恐怖と、悲しみと、訳の分からない感情がごちゃ混ぜになって大河を襲う。ドッ、ドッ、ドッ、と大きな音が体の中から響く。激しい心臓の鼓動だ。耳の奥からざぁざぁとノイズのような音がして、足元がぐらついた。
うまく息が吸えない。
動揺していると、突然ガタンと大きな音がした。
大河が勢いよく立ち上がったせいで、椅子が後ろに倒れたのだ。
黙って見ていた加地が慌てて椅子をもとの位置に戻して、山尾が大河の肩を叩く。
「座りなさい」
肩に感じる手のひらは、やんわりと置かれているだけだったが、有無を言わさぬ力があった。
大河は両手で顔を押さえて息を吐き、それから冷静になるべく呼吸を繰り返す。
「すみません」
情けない。一度でも愛してもらえたらそれでいい。適当なところで捨ててほしいと思っていた自分がとんだ阿呆としか思えない。
自分は――自分が思うよりもずっと、六華のことを独占していたいと思っていたのだ。
「六華君は清川君と朝帰りをするような女性ではないよ。君が一番、そのことを知っているだろう」
「先生……それはいったいどういう……」
大河は困惑しながら山尾を見上げるが、山尾は答える気はないようだ。そのまま背後に立つ加地に目を向けた。
「清川君と連絡取れそう?」
「いえ……。一応呼び出してはいるんですが、出ないですね」