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Who done it?


 六華が詰所に飛び込むとまだ半分ほどの隊士が残っていた。


「どうした、忘れ物か?」


 血相を変えて戻ってきた六華を見て、同僚たちは珍しいこともあるものだと、不思議そうに首を傾げる。


「玲さんは!? 玲さん、もう帰った!?」

「清川なら……あー、いないな。さっきまでいたと思うけど」

「そう、わかった。ありがとうございますっ!」


 六華は早口でそう答えると、またくるりと踵を返して詰め所を飛び出した。


 竜宮内では、意味なく走っているのが見つかってしまうと反省文必須だが、今はそんなことに構っていられない。彼は貴族の子弟らしく裕福な身の上で大河と同じく車通勤だ。ついさっきまでいたというのなら、全力で走れば間に合うかもしれない。


「術式、展開!」


 六華は職員専用の地下駐車場へと向かって速度を上げる。

 地下駐車場は半分ほど埋まっていた。それでも車の間を縫うように走り回り、

「玲さん!」

と大きな声で呼びかける。

 駐車場は帰宅のピークを越えていたようで人の気配がまるでない。

 六華の声がむなしく反響する。


(もう、帰った……?)


 それでもどうしてもあきらめきれず、しんと静まり返った広い駐車場の中を六華は一台一台車の中を見ながら、玲を探して回る。ややして。


「りっちゃん?」


 優しげな声がすぐ背後から聞こえた。振り返るとちょうど柱の向こう、深緑色をしたスポーツカーが停車している。左ハンドルの運転席の窓から、玲がきょとんとした表情を浮かべ、顔をのぞかせているのが見えた。


「どうしたの。そんなに慌てて」

「玲さん……」


 六華は息を整えながら、彼のもとへと近づいた。


「玲さんに、聞きたいことがあって……」


 いざ本人を前にすると、図太い自覚がある六華でも、さすがに緊張した。


「聞きたいこと? それ、もしかして愛の告白? だったら嬉しいんだけど」


 玲はほんわかと笑ってつけていたシートベルトを外すと、完全に窓を下したドアに肘をつき六華を見上げる。


(すごく……いつも通りだ……)


 そう、あまりにもいつも通りだった。

 他愛もない冗談。ちょっと気のある素振り。

 見目麗しい貴族の男にこんなふうに振舞われたら、たいていの女は彼に好意を持つだろう。

 六華だって――魂から恋焦がれる男がいなければ、たぶん今よりもう少しは彼のことを男として意識したと思う。とにかく玲という男は、他人の懐に入るのが特別にうまい男なのだ。


「玲さん、私……」


 六華はまっすぐに自分を見つめる玲から、ふっと一瞬目を逸らす。

 玲の視線もつられて揺らぐ。


(いまだ!)


 右手を素早く玲の首元へと伸ばし、貼り付けられていたばんそうこうをはぎ取っていた。


「っ……」


 玲が息をのむ。慌てて左手を首に押しあてようとしたが、遅かった。


「やっぱり……」


 六華はしっかりと、玲が隠そうとしていたその傷を見据えた。

 六華は持っていたばんそうこうを握りしめたまま、ぎゅっとこぶしを握る。


「それは虫に刺された傷じゃないですよね? 爪でできた……引っかき傷です」


 昼休みを終えて戻ってきた玲の首には、血がにじんでいた。

 それを六華は「なにか赤いものが付いている」と思い、同僚は「キスマーク」だと疑った。

 最終的に玲自身は『虫さされ』だと嘘をついてばんそうこうを張っていたが、玲の首にうっすらと残る細い傷跡は、どう見ても『引っかき傷』なのである。


 まだ樹が赤ちゃんだった頃、よく顔に引っかき傷をつくっていた。白くてすべすべの頬が真っ赤に染まったのを見て、当時の六華は卒倒しそうなくらいショックを受けた。

 寝ている間にかきむしるので、かきむしるのをやめさせようと夜通し見張っていたこともあったくらいだ。

 我ながらもう少し落ち着いて物事を考えるべきだったが、とにかくその爪でひっかいた傷跡というのは六華にとって見覚えのあるものだったのだ。


「玲さん……柚木さんがいなくなったそうです。なにかご存じないですか」


 震える声で、問いただす。


 Whyホワイ done itダニット?

 なぜおこなったか。

 動機も理由もわからない。聞いたところで教えてくれるとは思えない。


 けれど――。


「昼休み、会ってたんじゃないんですか」


 Whoフー done itダニット?

 誰がやったのか。それだけはわかる。


 玲だ。

 同僚だって言っていたではないか。


『あいつに振られて竜宮を辞めていった女子は両手両足じゃ足らないって噂だ』と。


 その女の子たちは、本当に自らの意志で辞めたのだろうか。

 柚木だって、玲に恋をしていた。憧れ以上の目で彼を見つめていたはずだ。

 だから六華は玲を問いただすしかない。


「柚木さんをどこにやったんですか……」


 その一瞬、玲と六華の間に、目に見えない透明な壁のようなものが生じた。

 人の放つ気配というのは、こんなにも強いものなのだろうか。

 六華は一瞬息が詰まりそうになる。


「――困ったな」

「玲さん……?」


 困ったと言っておきながら、ただふうっと息を吐き、美しい指を口元に押しあてて悩むような仕草をしている。

 ほっそりとした指を唇に滑らせる姿は、こんな状況ですらどこか絵になる。優雅なふるまいだ。


(本当に玲さんが……?)


 ずっと親切にしてくれた彼を信じたいと思う気持ちがまだ六華の中に残っている。

 どこか勘違いだと言ってほしいと思っている自分がいる。


「りっちゃん」


 そこで唐突に彼は何かを思いついたようだ。凍り付いたように立ち尽くしている六華を見上げる。


「りっちゃん。一歩下がって。それからすこーし、左にずれてくれる?」

「えっ?」

「いいから。ね?」


 玲はにっこりとほほ笑んで、軽く甘えるように首を傾げた。


「逃げたりしないから」

「……」


 一瞬悩んだが、ここは竜宮だ。監視カメラだってある。警備員が二十四時間監視しているのだ。いきなり刺されたりはしないだろうと、言われた通り一歩後ろに下がって玲から見て左に足をずらした。


「オッケー。それでいい」


 玲は満足そうにうなずく。


「だから、なんなんですか?」


 彼がなにを考えているかわからなくて、六華は少し焦れたように問いかける。


「ん、だから。ちょうどいいカメラアングルってこと」

「は?」


 何を言っているのかと六華が目を丸くすると、運転席のドアが開いた。


 中から玲の腕が伸び六華の左腕をつかむ。もう一方の手は後頭部へと回る。

 六華は当然前かがみの体勢になり――じっと、恐ろしく静かな目で自分を見つめる玲と唇が触れる瞬間まで、近づいていた。


「なっ……」


 警備隊の隊士は、格闘術も当然履修済みだ。関節を押さえ、合気道の要領で相手の力を封じることができる。だが六華もまた戦士だ。考えるよりも先に体が玲を振りほどこうと動いたのだが、玲は長い間六華を拘束するつもりなどなかったようだ。

 軽く腰を浮かせ、一方的に唇を押し付けてきた。


 だがそれはキスというにはひどく強引で、乱暴で、そして甘やかさのかけらもない流れ作業だった。

 唇の隙間からカプセルのようなものが舌先で押し込まれて、ぷちっと割れる。

 どろりとした液体が舌の上に広がった瞬間、脚から力が抜けた。


「んっ……!?」


(しまっ……た……!)


 竜宮だからなんだというのだ。自分の甘さに腹が立つが、もう遅い。

 そのまま六華の体は玲の腕の中に崩れ落ちていく。


「こんなかたちで君を抱きしめたくはなかったよ」


 優しい玲の声が六華の耳元で響く。

 まるで宝物でも抱きしめるかのようにやんわりと背中に玲の腕が回ったところで、六華は完全に意識を手放していた――。


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