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光流との電話


 光流から連絡がきたのは夜の九時過ぎだった。

 お風呂に入ったあと、樹の大好きな動物番組のDVDをつけていると突如電話が鳴った。

 ソファに座り幼稚園の連絡ノートを確認していた六華は、かすかな振動音に気付いてバッグからスマホを取り出す。


(光流だ……)


 メッセージを見て電話をかけてきてくれたのだろう。迷うことなく通話ボタンを押し耳に当てていた。


「もしもし」

『僕だ。メッセージを読んだ。話してもいいだろうか』


 六華はちらりと視線を動かす。

 樹は人をだめにすると噂のビーズクッションを背に、テレビの画面に見入っていた。

 彼の集中力はかなり高く、お気に入りのDVDを見ているときなど、まったくほかの音が耳に入らない。


「うん、大丈夫だよ」


 六華はうなずいてノートを閉じ、ソファーの上で居住まいをただした。


「今、仕事が終わったの?」

『ああ。帰りながら電話してる』


 確かに耳をすませば、外を歩いている気配がする。


「スマホで話しながら夜道を帰るのは感心しないな」


 竜宮の周辺は高級住宅地で治安もいいが、犯罪がまるでないわけではない。

 電話しながら帰るのは防犯につながるというのは都市伝説のようなもので、逆に隙だらけで危ない目にあうことも多々あるのである。

 思わず保護者のような目線でそのようなことを口にすれば、

『お前……僕をなんだと思ってるんだ』

 と、あきれたような声が返ってきた。


「なにって……」


 確かに彼は泣く子も黙る影の部隊の一員だ。そんじょそこらの人間に後れをとるはずがない。


「ごめん……」


 かわいいから心配だったというのは飲み込んで、六華はとりあえず謝罪の言葉を口にした。


『まぁ……いい』


 スマホの向こうでわざとらしく咳ばらいをする気配がした。


『お前が言っていた女官の失踪事件のことだけど、僕も何件か耳にしたことがある』

「そうなんだ……」

『竜宮は激務だからな……休職者も多いし。突然来なくなる人間がいておかしくないだろ』


 帰宅するバスの中で、六華は巡回中に遭遇した女官の話をメッセージにしたためて、光流に送ったのだ。


『いなくなった人間を探さないなんて、そんなことが本当にあるのだろうか。気になってる』と、確かめるような問いかけだったが、光流の返事は『イエス』で。

 六華は小石でも飲んだような気分になって、気分が落ち込んだ。


「ねぇ……誰もそのことを不思議に思わないの?」


 激務で休職者が多い。それはわかる。

 竜宮警備隊は体が資本のため、シフトがだいたいにおいて守られるが、いつでも呼び出しがあれば竜宮に集まらなければならない義務がある。自分たちを裏で支えてくれる事務方だって、五十人はいるがいつも忙しそうだ。

 後宮は竜の方々のおそばに仕える場所で、もっと緊張する場所だろう。

 憧れだけではやっていけず、そのまま飛び出してしまう女官もいるかもしれない。


「自分の意志で辞めた人はいいよ。でも、突然竜宮から女官が姿を消すのとは別問題だと思う。それを放っておくなんて……」


 自覚はなかったが、少し責める声色が混じったのかもしれない。


『――』


 光流が電話の向こうでかすかに息をのむ気配がした。

 その呼吸を感じとって、六華は即座に自己嫌悪に陥る。


「ごめんなさい……。あなたに言うことじゃなかった。ごめん……」


 自分の話を聞いてくれた相手を責めても仕方のないことだ。


『いや……お前の怒りももっともだ。僕だって日々の業務の【当たり前】に流されていると思うことはある。だがこれではだめだと思っている』


 だからこそ、光流は先日の皇太子妃襲撃事件の後始末のつけ方が気に入らず、六華に協力を求めてきたのだろう。


「うん……。私もそう思う。なにか大事なことを見逃しているんじゃないかって」


 ただの野生の勘、女の勘だとしても、実際に事件は竜宮で起こっているのである。

 小さな傷が竜宮という巨大な存在にヒビを作り、いずれ木っ端みじんになってしまうのではないか。そう危惧してしまうのだ。


『今回の竜宮の女官の件、あとさかのぼれるだけの失踪事件、僕のほうで調べてみるよ』

「私も巡回の時に女官たちに気を配ってみる」


 なんなら玲に話して、協力を得てもいいはずだ。

 六華はそう言いながら、ふと思ったことをそのまま口にする。


「スイーツ食べたくなったら誘ってくれていいからね」

『はっ……?』

「いやだから、ひとりで食べるの恥ずかしかったら、職員食堂くらいなら付き合ってあげるから」

『職員食堂かよ……』


 チッと向こうで舌打ちをする音がしたが、六華の耳にはよく聞こえなかった。


『じゃ』

「うん。おやすみなさい」


 そして通話が切れる。

 状況がよくなっているわけではないが、三番隊以外にも味方がいると思うと心強い。

 六華はふうっとため息をついてスマホをバッグにしまい込んだのだが――。


 ふと視線を感じて顔をあげると、DVDを見ていたはずの樹がクッションにもたれたまま六華をじーっと凝視しているではないか。

 いつもなら樹はこの程度で集中力が切れたりしない。めずらしいこともあるものだ。


「うるさくしたかな。ごめんね」


 六華はソファから立ち上がってテレビの前の樹の前に膝をつく。

 すると樹は『そうじゃない』という風に首を横に振った。電話のせいではないらしい。


「じゃあもう眠くなっちゃったの?」


 問いかけながら樹の髪を指ですいた。洗いたての息子の髪からは、不思議な香りがする。子供特有のにおいではなく、もっと上品な花のような香りだ。

 樹は六華の指先の感触を確かめるように髪をすかれたあと、そのまま倒れるようにして六華の胸に飛び込んで、ぎゅっとパジャマの胸元をつかむ。


「樹……」


 ほんの少しとはいえ、仕事の話をしていたから不安がらせたのかもしれない。

 六華は樹の体を両腕でしっかりと抱きしめる。


「大丈夫だよ、樹。お母さんは強いからね。大丈夫」


 それに――。

 久我大河。

 六華のまぶたの裏に、鮮やかに好いた男の姿が浮かぶ。

 決して口には出せない思いだけれど、その恋が生んだ六華の宝物は今腕の中にいるのだから。


(それに、お母さんの上司は、うちで一番強いんだから。あなたのお父さんよ……)


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