星空の下で
六華はナースステーションに戻る。
「すみません。久我大河さんはどこにいますか?」
「あら! 久我さんならさっきバルコニーの方に向かって行くのを見たわよ~」
年配の看護師が教えてくれた。
「ありがとうございます」
気分転換の散歩だろうか。だがもう日はすっかり落ちていて外は凍えるほど寒い。
六華は廊下の奥から続くバルコニーへと向かい、ガラスのドアを開けた。
バルコニーは植物園のように鉢植えや花壇が生い茂っている。コンクリートの塀にもたれるようにして立っている大河の後姿が目に入った。
寒くないのだろうか。入院着しか着ていない。
六華は慌てて着ていたコートを脱いで、大河に駆け寄り彼の広い肩に掛けた。
「着てください……!」
「六華……」
大河は一瞬驚いたように目を見開いて、それからやんわりとほほ笑み、六華の肩を抱き寄せた。
「悪い、心配させたか」
「いなくなったかと……思って……」
六華は彼の背中にそっと腕を回す。
大河の体はひんやりと冷たく、六華はなぜか無性に泣きたくなってしまった。
そう、幸せだから不安になった。根が楽観的な六華は、今までそんな気分になったことなどほとんどなかった。だが今愛する人を側にして不安になったのだ。
玲がいなくなり、ぽっかりと空いたスペースを見たせいかもしれない。
今この人がいなくなっても傷つくのは自分だけで、世界は何も変わらないのではないか。それが怖かった。
「なんとなく星でも見たい気分だったんだ」
大河は六華が掛けたコートを手に取って六華の背中を包むと、顎を六華の頭のてっぺんにのせてコートごと抱きしめる。
「俺は絶対に、お前たちの側から離れたりしないよ」
「本当に……?」
「ああ。本当に。なにがあっても離れない。側にいる」
大河の声は優しく、ぴったりと重ねた体から震えるように伝わってきた。
六華の目がじんわりと潤む。嬉しいが怖い。
「そういうの、死亡フラグっぽいから止めてください」
「ふっ、なんだそれ」
大河が喉を鳴らして笑う。
「優しいから……こういうのほんとダメですよ~……」
六華はぐりぐりと額を押し付けた後、顔を上げた。
「退院して仕事が落ち着いたら……うちに来てもらえますか? 父と樹に会ってもらいたいんです」
「ああ。勿論だ」
「それまでに話しておきます。私たちのこと……。お父さんはいいんだけど……その樹がどう思うか……まだわからなくて」
悟朗は怒るかもしれない。だがきっと喜んでくれる気がする。
問題は樹である。六華にとって樹は一番の宝物だ。彼が嫌がることは絶対にしたくない。
「も、もし樹が……いやだって思ったら……」
想像しただけで身を切られるように辛いが、その可能性だってないとは言えないのだ。そんなことになったらどうしたらいいのだろう。自分は母親だから樹をなにがなんでも優先しなければいけないが、耐えられそうにない。
「おいおい。ちょっと俺を見くびってないか」
大河が少し笑って、どこかコミカルな表情で目を細める。
「え?」
きょとんと眼を丸くする六華の頬に手のひらをのせ言葉を続けた。
「簡単にお前たちを諦めるような男だとでも?」
「……大河さん」
「認めてもらえるまで、努力するさ」
そして大河はゆっくりと六華の額に口づける。
「俺の人生に六華と樹がいる。それだけで俺は何よりも強くなれる。誰にも負けないし、折れたりしないさ。だからお前も俺を諦めないでくれ」
「うん……」
好きな人と一緒にいたいと思うことを、諦めないでいい。
誰に悪いとも思わなくてもいい。
ただ愛する人を愛しているだけでいいのだ。
大河の言葉と熱が六華を包み込み、強張った心をほぐしていく。
「――愛してる」
大河がささやき、六華がうなずく。
凍えるような星空の下、二人の唇が重なった。
翌朝――。今日は鎮魂祭が執り行われるため、朝の弱い六華もさすがに緊張して目が覚めた。きっちりと身支度を整えて珊瑚を腰に携えると身が引き締まる。
穏やかに眠っている樹の額に唇を寄せて家を出た。まだ外は真っ暗だ。
「行ってきます!」
バス停へと小走りに向かう。
頬を切る寒さに六華は震えながら足を進める。さすがに二時間も早いと、いつも混み合っているバス停にも人影がない。
夜明け前の住宅街はまるで異界のようだ。昼でも夜でもない不思議な空気が辺りに満ちていた。
バスが来るまであと数分。
「さむ……」
六華は首にぐるぐると巻いたマフラーに顎先をうずめて目を伏せる。
今日の鎮魂祭、そして明日の新嘗祭が終わったら自分たちの仕事も一段落つく。
まず樹に大河の話をして、それから悟朗に話すのだ。
(焦らず……少しずつ頑張ろう)
ふと静けさの中で、ふわりとかぐわしい花の香りがした。
「ん?」
六華は何も考えず顔を上げる。目の前につやつやの黒い高級車が停車し後部座席のドアが開いていた。冬にもかかわらず満開の花の香りはそこから漂ってくるらしい。
「あ……」
音などするはずがないのに、さらさらと黒髪が流れる音が聞こえた気がした。
切れ長の目。赤い虹彩。透き通るほど白い肌。美しい黒髪の中、こめかみの上あたりから根本は濃い瑠璃色、先端が象牙色に輝く角が伸びている。
人の美を超越した存在に、六華がガツンと頭を殴られたような気になった。
そう、シートに足を組み座っていたのは百九十近い長身を三つ揃いのブラックスーツに包んだ皇太子、璃緋斗だったのだ。
「でっ……殿下……!」
なぜ皇太子がここにいるのだろう。そんなことを考える前に六華はその場に片膝を立ててひざまずく。深く頭を下げると上から衣擦れの音がした。
「六華。面を上げよ」
「はっ、はい……!」
六華はうなずきながら言われた通り顔を上げ、ハッとした。
「もっ……もしかしてお姉ちゃんに、なにか!?」
それ以外に考えられない。六華は跳ねるように立ち上がり車のシートに手を突いた。璃緋斗を至近距離で見つめる。彼のSPが側にいたら即刻腕をひねりあげられていただろう。だが璃緋斗は無礼な六華の態度を咎めるでもなく、ゆっくりと首を振る。
「いや……双葉は健在だ」
「そ、そうですか……よかった……」
一気に体から力が抜ける。その場にずるずると崩れ落ちるようにシートにもたれていた。
「だが……なにもないから問題なのだ」
「え?」
問題とはどういう意味だろう。六華はぼんやりと璃緋斗を見上げた。
「竜宮を護る者として……未来を繋ぐ竜として、俺は君に命じなければならない」
重々しい空気に六華は表情を引き締める。
「殿下……。私にできることならなんだってやります」
この国に生まれ竜宮警備隊の隊士として生きる六華にとって、次の竜王の命令は絶対だ。どんな難題でもやり遂げてみせると六華は目に力を込める。
だが――璃緋斗の口から出た言葉は、そんな六華の思いを粉々に打ち砕くものだった。
「君を俺の後宮に入れて妻にする。これは命令だ。拒否権はない」
璃緋斗の赤い虹彩は、ただ静かに、けれど燃えるような強さを秘めて輝いていた。
【異世界オフィスラブ】一部完結
近日中に、引き続き【二部】開始
「異世界オフィスラブ」一部完結になります。
ちょうど今日、連載を始めてから三か月なんですよね。
計算したわけでもないんですが。
私はweb作家でこれまで何冊か本を出しているのですが、基本的にきれいに一冊に追われるように物語を書いていて、あまり長いお話を書いたことがありませんでした。
でもなんとなく、自分が書いてみたいものを思いきり書いてみようと思い立ち、始めたのがこのお話です。
なろうの流行りにはのれないだろうなぁ、読んでもらえないだろうなぁと思いながら始めましたが、想像よりずっとたくさんの方に読んでもらえて、なおかつ連載中にもかかわらずレビューを頂戴したり、評価をつけていただいたりして、嬉しかったです。
日々の更新の励みにしていました。本当にありがとう。
そして今後の連載ペースですが毎日ではなくなります。ごめんなさい。お仕事の締め切りが差し迫っているので、そちらを優先します。
(それでも週に一、二回は更新したいと思っています・・・)
ここまで読んでくださった皆様にこれからも楽しんでもらえるよう、頑張りますね。ではまたー!