胸騒ぎ
「おはようございます!」
詰め所に足を踏み入れると、隊士や事務員が目を丸くして六華を出迎えた。
鎮魂祭と新嘗祭の準備のため、ほぼ全員出勤だ。あっという間に人の輪に取り囲まれてしまった。
「お前、今日来て大丈夫だったのか?」
「体はもういいの?」
六華は入り口で立ち止まり、自身の周囲に集まった面々に深々と頭を下げる。
「検査しましたが体は何ともなかったです。ご迷惑をおかけしました」
「ご迷惑なんかかけられてないから気にするなよ。それより清川だけど……」
隊士のひとりが少し言いにくそうに唇をかみしめて、後ろを振り返った。
彼の視線をたどると六華の横の机がまるっとそのままなくなっている。ぽっかりと空いたスペースはそのまま六華の心に玲の不在を、そして彼が犯した罪が事実であることを容赦なく突きつける。
「皆さんは玲さんのこと、どう聞いてるんですか?」
「詳しいことは何も。矢野目が清川にマジで拉致されてたって聞いたのも、お前が隊長に助けられたって聞いた後だし。俺たちもなにがなんだかさっぱりだよ」
「拉致以外にもなんだかやばいことに手を出してたんだってな。相談役にも聞いたけど、あとは上のほうが処理するって」
「私は薬物って聞いてるわ」
「まじかぁ……まさかあいつがなぁ……」
六華以外の面々が、玲の罪をあれこれと口にしながら、信じられないと首を振っていた。
「――」
やはり危惧したとおり、玲が係わったあの事件は自分達には何の説明もされないまま、闇に葬り去される運命にあるのかもしれない。
少し考えて六華は首を横に振る。
「私も目が覚めたら病院だったので、詳しいことは何も」
結局自分がここで話せることなどなにもないのだ。
「そっか。でもさ、あんまり気にするなよ。ここは竜宮だ。俺たちの役目はここを護ることであって個人の事情を考えることじゃない」
「はい……ありがとうございます」
六華はぺこりと頭を下げ自分のデスクに荷物を置き、立ったまま隣のスペースをぼんやりと眺めた。
ほんの数日前まで確かに玲はここにいたのだ。
彼に本気で殺されそうになったと言うのに、なぜか『りっちゃん』と親し気に笑っていた玲の顔ばかり思い出す。
(個人の事情……か)
なぜ玲が後宮の女性たちを次々とさらったのか。自分たちはその目的を知る必要などない。
そういった役目を担っている部署に任せればいいというのは当然の発想だが、玲がどんな思いで凶行に及んだのか、それを聞いた自分はそう簡単に割り切れる気がしない。
六華が入隊してからずっと玲は優しい先輩だった。男ばかりの隊の中に突然やってきた皇太子妃の妹という、扱いにくいことこの上ない六華を教え導いてくれた。
確かに玲のやったことは許されることではなく、被害者もいる以上罪を償うべきだと思っている。だが完全に憎み切れない自分も確かにいるのである。
(こういうこと考えるのって、竜宮警備隊としては失格なんだろうな……)
六華はふうっと息を吐き、着ていたコートを脱いで部屋の端にあるロッカーの中に仕舞い、席に戻る。
あれほどの事件の実行犯の一人である玲がいなくなっても、竜宮は揺らがない。何も変わらない。それが六華には少し怖かった。
午前中、いつものようにルーティーンの警備に回り午後は書類仕事を片付けた。
六華は今日の鎮魂祭の警備メンバーではないが、明日はいつもより二時間早く出勤することになっている。明日の分の書類仕事が山積みでやることが多かった。気が付けばもう終業の時間である。
(山尾先生、結局詰め所には顔を出さなかったな……)
双葉への面会はできるだけ早くしたかったが、相手が相手なだけに自分の都合が優先されるはずもない。皇太子に嫁ぐことが決まった時点で双葉は持っていた携帯を解約している。身内ですら連絡が取れないのだから実に窮屈な身の上である。
「はぁ……」
どうにかならないかなと思っていると、デスクの上に置いていたスマホがぶるぶると震えた。
「あ」
メッセージの主は光流だった。
憂鬱に沈んでいた六華の顔が一瞬で柔らかくほころぶ。
六華が玲に拉致された翌日、光流は非番にも係わらず大河と一緒に玲のマンションまで行ってくれたらしい。それを大河から聞いて、六華は退院時に謝罪と感謝のメッセージを返していたのだが未読のままだった。彼も彼で忙しいのだろう。ようやく返事を送る余裕ができたようだ。
『お前が生きてるならそれでいいよ。詫びはパフェでいい』
シンプルな言葉だったが、それはなにより六華に寄り添ってくれた言葉のように感じていた。
(そうだよね……正直五体満足で生きてるのが不思議なくらいだもん……)
いったいどんな奇跡がわが身に起こったのかわからないが、次に似たようなことが起こっても同じ奇跡が起こるとは限らないのだ。むしろ二度ないからこその奇跡かもしれない。
己を磨き、強くなるしか死を遠ざける方法はない。
六華はバタバタと仕事を片付けた後、夜勤組と入れ替わるように詰め所を出て大河の入院している竜宮警備隊病院へと向かう。
竜宮警備隊病院は、元は警備隊の隊士やその家族のための病院として設立されたが、今は一般の人間も診療が可能な財団法人である。だがその設立の成り立ちからして警備隊の職員が多い。六華も大河も、当然ここに運び込まれたのだった。
「こんばんはー」
六華はナースステーションに挨拶をしながら横を通り過ぎて、大河の病室のドアをノックする。
「大河さん、六華です。開けていいですか?」
しばらく待ったが返事はない。
「あれ……? 寝てるのかな」
六華はそろっとドアを開けて病室の中を覗いた。ベッドに大河の姿はない。部屋の明かりは煌々と灯ったままだ。ベッドに近づいて布団の中に手を入れると温かい。
大河がベッドを抜けてからそれほど時間は経っていないようだった。
(どこに行ったんだろう……)
彼の姿がないだけで、不安になるなんていくら何でも臆病すぎるだろうか。
だが胸騒ぎがする。