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三親等内面会申請書


 ゆっくりと瞬きをする長いまつ毛の下で輝く、黒い宝石。

 その輝きはふたつとない美しいもので、六華がなによりも大事にしなければならないと思う宝物だ。


「行ってきます、樹」


 六華はその目を覗き込みながら、柔らかな頬を両手で包み込む。

 六華の声に玄関に立つ幼稚園の制服姿の樹はこくりとうなずき、それからぎゅっと六華の首の後ろに手を回して頬を押し付ける。

 相変わらず樹は言葉を発しないが、その仕草だけで六華はなによりも幸せな気持ちになれる。


「大好きだよ、樹」


 樹に言葉がないなら自分が代わりに口に出せばいいのだ。

 ぽかぽかと温かい気持ちに包まれながら六華は樹の小さな背中を抱きしめ返した。


「はぁ……今日くらい休んだってバチはあたらねえんじゃねえか?」


 樹の横にはエプロン姿の悟朗がいて、退院した翌日から出勤しようとする六華を見て少しあきれたようにためいきをつく。

 とにかく朝に弱い六華だが、今日ばかりは緊張のせいか目覚ましが鳴る前に目が覚めた。なんといつもより一時間も早い。余裕の起床である。


「いやでも私、どっこも悪くないしね」


 おかしな薬を飲まされたし大けがを負った記憶はあるのだが、目が覚めたらそれらの傷は六華の体から消えていた。病院でも内臓にも脳にも異常は見当たらなかった。

 久我大河は人に戻り、自分はほぼ無傷。

 あれは夢だったのかと思うくらい不思議な出来事ではあるが、現実である。


(もうこれは私の常識の範囲外だわ)


 だったらひとりで妄想を働かせても仕方ない。あとは竜宮で説明されるべきことはされるだろうと、六華はいつものように楽観的だった。


「じゃ、行ってきます!」


 六華は軽やかにコートの裾ををひるがえして家を飛び出した。

 定刻通りのバスに乗り込み、つり革をしっかりと握ったまま窓の外を眺める。

 まず山尾と話をして、今後大河と樹と三人で過ごせるようにしたいと相談しよう。自分が仕事を辞めるなら話は早い気がするがそれは最後の手段にしたい。

 双葉は出産を控えた妊婦で、守られる立場の人だ。

 それに過去の、双葉あての脅迫のすべてが今回の玲の仲間の仕業かどうかまだわからない。もう二度と双葉を害するものがいないかと言われれば、それは怪しい気がする。結婚する前からずっと、双葉は一部の貴族たちにとって目の上のたんこぶなのだから。


(そうだ……お姉ちゃんに会いに行ってみようかな……)


 妹とはいえ、皇太子妃においそれと民間人の自分が係わってはいけないと、悟朗からきつく言われそれをまじめに守っていた六華だが、状況が状況だ。

 双葉は樹を目に入れてもいたくないくらい可愛がってくれていたので、親子三人で幸せになりたいと言えば、六華の気持ちをくんでくれるに違いない。


(お姉ちゃんは頭がいいし……いい考えを聞かせてくれるかもしれない)


 そう思うと途端に気持ちが楽になった。


(大丈夫。これからはなんだっていい方向に進んでいくわ)


 ずっと好きだった最愛の男と、気持ちが通じ合った。離れ離れだった空白の期間をこれからいくらでも埋められるのだ。

 この上ない幸せな気持ちに包まれて、六華は確かにこの時まで幸せに浸っていた。

 バスの外に広がるいつもと変わらない普通の景色すら、色づいて見えるほどに――。


 


 竜宮についてすぐ、六華は『宮内司みやのうちのつかさ』と呼ばれる竜宮関係の庁舎へと向かった。

 エレベーターを待っている時間が惜しく、三階の総務部まで階段を駆け上がる。

 背中に羽根が生えているかのように体が軽い。

 六華は元気よく、

「おはようございます! すみません、三番隊の矢野目ですが」

 L字型のカウンターに手を乗せて中にいる事務員に呼びかけた。


「はい、どうされました?」

「後宮にいる姉に面会申請したいのですが」

「はいはい、後宮にお姉さんがお勤めされているってことですね……。その場合はこの三親等内面会申請書に……あっ」


 透明なプラスティックケースから書類を出そうとしていた眼鏡をかけた男性職員が、六華を見てはっとした顔になる。


「三番隊の……矢野目さん」

「はい」

「ということは、お姉さんは……いや姉君は……」


 自分ではあまり気にしないようにしているが、矢野目六華を知らない事務員はそういない。


「えっと……えーっと……ど、どうしたらいいのかな……」


 職員は用紙を出したり仕舞ったりしながら、首をひねっている。

 六華の姉と言えば皇太子妃だ。皇太子妃に面会したいと総務に来られても、前例がないのだろう。困っているようだった。


「ちょっと待ってくださいね。上司に聞いてきますので」

「あ、いえいえ。すみません、突然……」


 六華は恐縮しながらふうっと息を吐く。それからものの数分で、総務部の部長が職員と一緒にやってきた。


「矢野目さん、皇太子妃への面会ですが、うちは管轄外です……」

「えっ」

「すっ、すみません、お力になれなくて」


 部長は額ににじむ汗をハンカチで押さえながら申し訳なさそうに頭を下げる。


「そうしたらどこに申請したらいいんでしょうか……」


 後宮に身内が勤めている家族は少なくない。総務に紙一枚を提出すればいいだけの話だと思っていたので、六華はいきなり肩透かしを食らった気分になったが、総務の言いたいこともわかる。


「竜宮警備隊は竜王陛下直属の組織ですからね……。うーん……とりあえず上司に相談してみてはいかがですか?」

「そうですね……。わかりました。ご面倒おかけしました」


 六華はペコッと頭を下げて総務部を後にする。


(山尾先生、今日は遅番かなぁ……)


 新嘗祭まであと二日と迫っている。鎮魂祭は明日からで山尾はおそらく今日から泊まり込みだろう。玲が抜け大河もいない今、六華だって一人前に働かなければならない。

 とりあえず頭を切り替えなければ。


「よしっ」


 六華は両手でぱちんと頬を叩き、足早に詰め所へと向かったのだった。


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