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今日くらい素直に

 まぶたの裏が熱い。

 不快感にゆっくりと目を開くと、白い天井が広がっていた。

 六華は手を持ち上げて瞼をこする。


(うーん……きつい……眠い……いくらでも眠れそう……)


 ぼーっとしながら布団の中で寝返りを打ち――。


「あっ、遅刻っ……!」


 慌てて跳ねるように飛び起きて、自分がまったく知らない場所で眠っていたことに気がついた。


「あれ……?」


 きょろきょろとあたりを見回す。

 パイプベッドに小さな机。椅子とテーブル。そして薄いグリーンの入院着を着た自分。


「――あ」


 そこでようやく六華は、ここが病院の個室であることに気が付いたのだった。

 心臓がざわざわと音を立てる。

 久我大河はどうなったのだろう。

 あの白装束の女は? 玲は?

 六華の記憶にあるのは、元凶を討つと白装束の女に切り込んだところまでだ。それからの記憶がきれいさっぱり消えている。

 それなりに大けがをしたはずなのに自分が生きていることも不思議だったが、今六華の心の大半を占めているのは、不安ばかりだった。


(怖い……けど)


 それでもここで寝転がっていて不安が解消されるわけではない。


(確かめなくっちゃ……!)


 六華はベッドを降りて病室を出る。ドアの横には矢野目と札が貼ってあった。


「く……久我さんは……」


 彼はいったいどこにいるのだろうと考えていると、突然がらりと隣のドアが開いて見知った顔が顔をのぞかせる。


「おや、六華君。目が覚めたんだね。よかった」

「せっ、先生っ!」


 隣の個室から出てきたのはなんと山尾だった。いつものように品のいい和服に身を包み、にっこりと穏やかにほほ笑む。


「久我君ならこっちの部屋だよ」

「そっ……そうですか……!」


 六華は喜んでドアの取っ手に手を掛けたのだが――。


(私が行っていいの……?)


 そもそも自分がみすみす玲につかまったせいで、大河を危険に晒してしまったのだ。そしておそらく家族にもひどく心配をかけたはずだ。そのことを考えると、自分の気持ちの思うがまま、大河に会いに行っていいのかと、しり込みしてしまうような気持が押し寄せてくる。


(私は女である前に母親でなくちゃいけないのに……)


「六華君、ごちゃごちゃ考えるのはやめなさい」

「えっ?」


 ドアの前で固まったまま動こうとしない六華に、山尾がたしなめるように声をかけた。


「君も、久我君も――今日くらい心のままにふるまったって、誰も何も言いませんよ」

「先生……」


 背中を押す山尾の言葉に、六華の胸が詰まる。

 山尾は六華の考えを肯定するようにうなずくと、優雅な身のこなしでそのまま六華に背中を向けて、廊下を歩いて行ってしまった。


「ありがとうございます……」


 六華は山尾に深々と頭を下げ大きく深呼吸すると、それから思い切ってドアを開けた。


「久我さん……」


 窓際のベッドの上に、上半身を起こした久我大河がいた。

 山尾と話していたのだろう。眠ってはいない。

 声をかけると、彼は無言でやんわりとほほ笑みうなずいた。

 さらさらの黒髪、どこか不機嫌そうに見える眉根と、切れ長の目。入院着から覗く首や腕には包帯がぐるぐると巻かれていたが、五体満足で久我大河はベッドの上にいたのだった。


(ああ……生きてる……!)


 喉の奥から、ぐうっと熱い塊のようなものが込み上げてくる。

 その瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ぷつんと切れた気がした。


「久我さんっ……!」


 六華はぼろぼろと泣きながらベッドへ駆け寄ると、ベッドに乗り上げ、彼の膝に上半身を覆いかぶせるようにして、すがり付いていた。


「ううっ、よっ、よっ、よがっだぁ……」


 生きている。彼が生きている。

 人として戻ってきてくれている。

 大事な人がここにいる。

 今はただその喜びが六華を満たしていた。眩暈がするほど嬉しくて、幸せだった。


「うぅぅ……うぇぇぇん……!」


 二十四歳の大人の女性とは思えないような泣き方で、六華はただひたすら涙をこぼしながら、ぎゅうぎゅうとシーツをつかみ額を膝のあたりに押し付けて泣きじゃくる。


「六華……」


 そんな六華を見て、大河もまた込み上げてくるものがあったようだ。何度か瞬きをしてそれから深呼吸を繰り返し、そっと六華の頭に手のひらをのせて撫で始める。

 無言で六華の髪をすく優しい指先に彼の愛情を感じて、六華の涙腺は完全に崩壊してしまったのだった。




「――少しは落ち着いたか。ほら水……」

「はっ、はいっ……ひっぐっ……ひっ……」

「いや、全然落ち着いてないな……水、めちゃくちゃこぼれてるぞ」


 大河があきれたように笑いながら、六華の手からたった今渡したペットボトルを取り上げる。


「うう……ずびばぜん……」


 六華は瞼に残る涙を手の甲でぬぐい大河を見上げた。ベッドに腰かけているので、いつもより視線が近い。カーテンの隙間から太陽の光が差し込んで、久我大河を金色に縁取っていた。


(きれい……)


 まるで夢みたいだと、ぼーっと彼を眺めていると、久我大河は六華から取り上げたペットボトルの水をひと口含み、それからゆっくりと六華に顔を近づけ口づける。


「……っ?」


 驚いて口が開く。即座に冷たい水が口の中に流し込まれ思わず六華はそれをごくりと飲み干していた。

 飲み込めなかった水が、唇の端からこぼれ落ちる。

 首筋を伝うそれを、大河が指先でぬぐいながら低い声で囁いた。


「あとは自分で飲むか? それとも俺に飲ませてほしい?」


 熱っぽい目で見つめられ、六華の全身は火をつけられたように熱くなった。



なんと100話になりました・・・。

自分が一番びっくりよ。

ここまでお付き合いくださっている皆様には感謝の気持ちしかありません。

読んでくださってありがとうございます。


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