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ケルンの庭 2

 レティシアの肩を抱いたまま、にやりと笑う目の前の男に負けて、今度こそ倒れそうになったが、ここで言いなりになってはダメだと、足を踏ん張る。


「ちょっと、ちょっと待って!あの……ダメ!ダメだからっ!」

「ああ?何を言ってるんだ?」


 メイド服の白いエプロンの前を両手でぎゅっとカバーしながら、レティシアはなんとか拒否の言葉を捻り出す。

 例え自分が契約した訳でなくても、自分の部屋で魔王が召喚され、そして願いを叶えられたのだ。だとしたら、魔王がその代償を自分に求めるのは至極当然のことだとは思う。


 だが、だからといって、素直に生贄になってもいいだなんて、絶対にない。それはない。レティシアの純潔を、こんなところで散らせない。


 しかし、魔王のテリトリーにこうして無理やり連れてこられて、これ以上持ちこたえられるのかと、周りを見回す。

 あの辺の木箱をぶん投げれば何とかなるだろうか?それともあの扉は外へと繋がっているだろうか?そう考えていると、肩に置かれていたロヴの手が離れた。

 チャンスとばかりにレティシアは、勢いよく走り出す。


「おい!」


 自分に掛けられただろう声も無視し、床に置いてある本に躓きながらも急ぎ扉に向かい手をかけた。無駄に凝った装飾の取っ手を掴むと、ぎしっと蝶番の軋む音がする。

 イケる、とレティシアが目一杯の力で押し出し、扉を開けた。


 が、目の前には真っ暗な闇しかない。黒の日だから、当然日は落ちたままなのだが、王都内であればどこかしら灯りは点いているものだ。それが全く見当たらない、この場所とは一体?


 一歩、外に踏み出そうと足を動かしたところで、レティシアの体がふわんと浮かび上がった。


「きゃあっ!何っ!?何なの?」

「止めとけ。ここはケルンの庭だ。下手に出ると迷い込むぞ」

「ケルンの庭ですって!?まさか……だって、あそこは魔獣だらけで人の入れる所じゃないって!」


 領地から王都へ来て、最初に注意を受けたのが『ケルンの庭』についてだったことを思い出す。

 王都北側に広がる大きな森は魔獣たちの住処だ。自ら森より出て来ることは滅多にないが、迷い込んだ人に対して容赦はしない。だから、絶対に近寄ってはいけないよ、と。


「魔獣ねえ……まあ、いいさ。人がやたら来なけりゃ別にな」


 そう呟くとロヴは自分の隣にレティシアを着地させ、今度こそ逃げられないようにと、がっちりと手首を掴み取った。


「いいからこっちへ来い。お前にはきっちりと体で覚えてもらわないといけないことが山ほどあるからな。覚悟しておけ」


 体……山ほど……覚悟……その言葉に呆然とする。


 前門の魔獣に後門の魔王だ。レティシアは、どうあがいてもなんともならないと、ようやく悟った。


「さようなら、昨日までの私……」


 そうしてロヴの言うがままに、本が山積みされる向こう側へと連れられていった。


***


「いいか?レティ」

「ちょっ……あ、待って、ねえ」

「待たない。ほら、ここ」

「やだ。わかんない……待ってって」


 レティシアの願いをあっさりと却下し、ロヴは容赦なく攻め立てる。


「待たないって言ってるだろうが!意地でも覚えろ。ほら、炎系の魔法書はこっちの棚だ。水系は向こうの棚。紙やメモも書き損じも絶対に捨てるな。全て系統で分けてまとめておけ」


「いやだから、その系統が区別つかないって言ってんのよ!ていうか、掃除くらい自分でしなさいよ、自分で散らかしたんでしょ!?」


 下手に出て言うことを聞いているレティシアもいい加減ブチ切れた。お陰で本日二度目となった、領地時代の乱暴な口調の御披露目となる。

 だが、貴族令嬢のそんな言葉遣いにも、ロヴは全く気にもせず、続きを促した。


「毎日魔陣牒見てりゃ、系統くらい検討くらいつくだろうが。どんだけ鳥頭なんだ、お前は?」


 うぐぅ、と答えに詰まった。子供の頃から使い慣れていないせいで、レティシアは魔陣牒に馴染みが薄く、何かにつけて自分の手でやりたがる。

 自室の明かり一つとってもそうだった。魔陣牒を使えば、ある程度の期間は簡単に点けたり消したりと出来るのだが、どうしてもランプにこだわってしまう。


「兎に角、まずはこの部屋の整理整頓。それが終わったら、隣の部屋。あとは、毎晩の飯作りか……それから、あとは」


「待って、待って、本当に待ってちょうだい!そんなにもいっぺんに出来やしないわ。それに、この部屋だけでも朝から晩まで仕事しても十日はかかりそうな汚れ方なんですけど?」


 散らばる本や紙の山だけでなく、そこに厚く降り積もった埃からまず何とかしていかなければならない。大体これこそ、魔陣牒を使った掃除をしてほしいとレティシアは思った。

 公爵邸でも半年に一度は使用する『浄化の魔陣牒』、あれはとても便利だ。値段も高いものらしいが、本当に邸内の外壁から天上まで全ての汚れがさっぱりと落ちる。

 そこまで大掛かりなものでなくても、魔王だというのなら、それくらいお手の物だろう。いやもう、この際魔法でもいいから自分でやってくれといいたいのだ。


「いっとくが、ここで魔陣牒は使えないぞ」

「は?なんで!?」


 いつでも、どこでも、誰にでも、お手軽に。それが魔陣牒ではないのか?

 そう首を捻ると、ロヴは当たり前のことといった表情で答える。


「当然、魔法の呪文や魔法陣のが上位だからな。ここにある本や資料が勝手に干渉して、符号の中の魔力が自然と消されんだよ」


「だったら魔法を使えばいいじゃないの!魔王なんでしょ?なんで使わないのよ!?」


 そんな便利な力を持っていて、何故この汚部屋を人に掃除させようとするのか理解できないレティシアは、相手が魔王ということも忘れて喰ってかかった。


 すると、苦虫を噛み潰したような顔をして、「別にいいだろう」とぶっきらぼうに答え、そっぽを向く。


 ん?と、不思議に思うのと同時に、そういえば、と昔を思い出す。領地で友人だった子供たちも、不都合があるとこんなふうにそっぽを向いたものだった。

 そういう時は大抵の場合、自分が出来ないことをごまかしたい時だったような、と。


「え、もしかして、浄化系の魔法ができないとか?」

「ぐっ……」


 レティシアの口からぽろりと零れた言葉に、大きく反応したロヴ。


「あれ、図星……」

「ああ?出来るってーの。……ただまあ、加減がし難いんだよ、あれは。部屋のモン全部捨てたいわけじゃないからな」


 なるほど、つまり出来ないと同様なのだなと、レティシアは天を仰いだ。その結果が、この惨劇と言ってもいいほどの、汚部屋なのだ。

 ぶーたれながら話すロヴをしり目に、床に転がる用紙を一つ拾えば、見たこともない文字に、どこかで見かけたような符号で目一杯埋まっていた。


 レティシアの部屋で灯りを点けたことといい、この汚部屋、もとい魔王の屋敷へ連れてきたことといい、少なくともこの男が魔法使いなのは確かなようだ。

 そして、その代償というのが家の片づけくらいなのなら、これ以上逆らわないで言うことを聞いた方がレティシアにとってもいいのだろう。


 もしかしたら、長年の願いも叶うのかもしれない――

 そんな打算も加味したうえで、レティシアはロヴの正面に立ち、ぐっと顔を見上げて言い放った。


「わかりました。では、ミラベルお嬢様の願いが叶い、王太子殿下の婚約式が延期になりましたら、約束通りお手伝いに参ります。それでよろしいでしょうか?」


 とにもかくにも叶ってからだと明言すると、魔王ロヴはその薄い唇の端をニヤリと上げ、楽しげに返事をする。


「ああ、それで結構。遅くとも、明日の夜までには正式に連絡がいくようにしといてやる。お前の部屋の魔陣牒は畳まずにそのままにしておけ」


 そう言うとロヴは、一瞬だけぼさぼさの前髪をかき上げた。そこから覗く黒い瞳がきらきらと輝きを放っているのをレティシアは見つける。


 夜の空に散らばる星のようなそれを見れば、まるで本当に夜空を見上げているような気分になっていった。


 黒の日である今日は、月も星も空に出ないというのに、なんて不思議なのだろう。一人貧乏くじを引かされたのにも関わらず、何故だかほんの少しだけ得をしたような気分になってしまった。


 そうして、気が付くと一人自室のベッドの上におり、朝を告げる鳥とカーテンから漏れる光に起こされたレティシアなのだった。


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