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幕 1

 結局、レティシアが言い淀んでいる間に、騎士でもあり、グレン・ロヴの友人でもあるマイクロン・コッズが屋敷に訪ねてきたことでなんとか彼の腕の中から離れることが出来た。


 とは言っても、彼の側を離れることは許されず、ソファに並んで座っている状態だ。


「おいー。人がこうして来てやったのに、なんでそんなに機嫌が悪いんだよ、グレン」

「呼んだ覚えなんかない」


 レティシアとの再会の抱擁を邪魔されたと、非常に機嫌の悪い彼がばっさりと切りすてると、ええーっと抗議の声を上げる。


「言ったじゃねえか。用があったら来いって!お前んとこの屋敷さあ、ケルンの庭にあって、馬も怖がるから徒歩で来てんだぞ、徒歩で!俺は魔法なんか使えないんだから、もうちょっと優しくしろよ!」


 フォルツの方へ顔を向け、言ったよな、な。と同意を求めたが、どうにもグレン・ロヴに傾倒してしまったらしい彼はこれまたあっさりと「聞いてません」と言い切った。


「ひっでぇーな、お前ら!折角あのオットーとバーネット嬢の続報持ってきてやったのにさあ」


 バーネットの名を聞き、レティシアの体がぴくんと跳ねた。

 まだ戻ってきたばかりで何も詳しいことは話してはいないが、彼女が一番最後に会った人間だ。

 どういうことになっているのか気にかかり、グレン・ロヴの腕をつついて話が聞きたいとお願いする。


「じゃあ聞いてやる。どうせ知恵を貸せっていうんだろうが」

「あ、バレた」


 ぺろんと舌を出す姿がなんとなくブランを連想させる。

 そのブランといえば、レティシアの足元で機嫌よく丸くなっている。うっすらと鼻歌が聞こえてくるのだが、これについてもマイクロンは全く気にしていなようだった。

 どうもマイクロンという人物は、レティシアが思っていたよりもずっとやんちゃで大雑把な性格をしているらしい。


「結局、オットー・グランボクは何にも喋れなくてさあ。ただ、あの家に二人が潜り込んだとこは長屋のヤツが確かに見てんだよな。でも、いつの間にかバーネットだけが消えてたってことなんだけど、どう説明するよ、これ?誘拐って言っても、犯人だけ残ってて本人だけが消えちゃまずいだろ?」


 もう丸投げするつもりで一気に話すと、マイクロンはさっさと出してもらったお茶を飲む。

 レティシアはその話を聞くと、グレン・ロヴに耳打ちをした。


「あのね、あの時バーネット様も一緒に飛んだの。それは間違いないわ。どこで離れたかはわからないけれど、やっぱり私と同じで酷くケガをしていたと思うの。だから……」


 レティシアは、若き日の魔王に治癒魔法をかけてもらったからピンピンしているが、おそらくそんなに都合のいいことばかりは起こらないだろう。

 だとしたら彼女は最悪の事態になったかもしれない。そう言外に伝えると、わかったからと言うように、やさしくレティシアの髪を撫でる。


 そうしてマイクロンへ顔を向けると、メモを取れ鳥頭と前置きをして話し始めた。


「いいか、バーネット嬢はオットーと駆け落ちしようとして屋敷を抜け出した。だが喧嘩別れしてオットーが捨てられ、結局バーネット嬢は一人で王都から逃げ出した、以上だ」

「ええー、そんな陳腐な話で誤魔化されないだろ?」

「エキレーゼ侯爵家もグランボク子爵家も、疑似魔陣牒の不法売買及び使用した罪で身内が法的に裁かれるよりはマシだろう。そうだ、脅迫と殺人未遂も罪状に付け足してもいい。それに比べりゃ婚約者を裏切ってからの駆け落ち騒動の方がよっぽど落としどころがある」

「確かに。そういや、アントーニオの件もあったな。じゃあ、お前の名前報告書に足しておいていい?」


 本当に逐一メモを取りながら確認をしているマイクロンが尋ねれば、好きにしろと答える。


「そんなことより用が済んだら早く帰れ」


 しっしと手で払いのける仕草に、待って待ってと手を出し止める。その様子を見ていると、なんとなくだが、この二人はこういった掛け合いを楽しんでいるふしがあると思うレティシアだった。


「いやー、あともう一つ。ここ来る前にさ、サイガスト公爵家へ顔出してきたんだよ。お前の代わりに」


 ああ。と、たった今思い出したかのように、グレン・ロヴは膝を叩いた。


「レティを連れ戻す魔法の構築に忙しくて連絡入れるのを忘れてたな」


「あのなあ、伯爵令嬢だぞ。丸二日も連絡とれなきゃあ心配するなんてものじゃないだろうが。しかも運悪く、親戚とかいうヤツが訪ねてきたみたいで、随分と大騒ぎして、伯爵家に連絡しろと詰め寄ったらしいぞ」


 レティシアが最近見かけた親戚と言えば、ゾイマー伯爵家のルペルツかと思い付き、一気に頭が痛くなった。

 彼が大騒ぎしたのならば、絶対に領地の母親まで伝わっているのだろうと。おそらく公爵家に通信用の魔陣牒を使用させたに違いない。


 皆に迷惑をかけてしまったと、落ち込むレティシア。しかしその耳に、有り得ないはずの言葉が突然飛び込んできた。


「で、領地から急ぎロズベール伯爵が飛んでくるそうだ」

「…………は?」


 今、マイクロンは何と言ったのだろうかと、首を捻る。


「ん?ロズベール伯爵が来るって、聞いてるか?」

「え、ええと、母が、ですか?伯爵代行の」

「んんっ?いや、そんなことは書いてないぞっと、ほら、ロズベール伯爵ってちゃんと書いてある!」


 どうだとばかりに書いてあるメモを見せつけると、グレン・ロヴがそれを奪い取りレティシアに渡す。

 思っていたよりもずっときれいな字で確かに、ロズベール伯爵の文字を見つけた彼女は訳が分からないと呆然とした。


「どうして……」


 そう一言呟くと、今まで存在しなかったはずの思い出が、不意に頭の中にぶわっと湧き出してきた。


 父親であるロズベール伯爵が泥だらけになりながら帰宅した記憶。

 レティシアの成人の日に家族全員がわざわざ王都まで出てきてくれて祝ってくれた記憶。

 ちゃんと、全部そこに彼女の父親が存在している。


 慌ててグレン・ロヴへ顔を向けると、何故か同じように呆けている彼の表情が見て取れた。


「ロヴ……私、お父様の記憶があるの。ううん、今、たった今、出来たの」

「ああ。俺にも、レティに治癒魔法をかけた記憶が現れた。それから、ロズベール伯爵と出会った記憶も、だ」

「え?」


 自分の記憶ですら信じがたい出来事なのに、一体彼はいつどこで出会ったというのだろうとレティシアがひどく戸惑う。

 不思議そうに、そして不安そうなその瞳に、グレン・ロヴは優しく、まるで愛を語るように囁いた。


「レティ。五年前、お前を助けてくれた貴族がロズベール伯爵だ。彼がお前を宿まで運び、そうして魔陣牒で十八の俺を呼び出す手伝いをしてくれたんだ」


 レティシアはさらに思い出す。あの痛みに耐えている時、優しく手をとってくれたのが誰なのか。

 彼女の意識が飛ばないように、必死で声をかけてくれたのが誰なのかを――


「お父様……?」

「そうだ。その空費したはずの半日が、逆にロズベール伯爵の命を救った。ドートー川の氾濫に巻き込まれずに済んだんだよ、レティ」


 両手で口を押え、レティシアは涙をこぼした。


 まさかという言葉を口にしたら、幻の様に消えてしまいそうで、必死で押さえ、ただただ涙をこぼす。


 過去に飛んでも何も出来なかった。

 それどころか皆に迷惑をかけただけだと思っていたのに、レティシアが願ってやまない父親が帰ってきたのだ。これが泣かずにいられようか。


 何も事情の分からないマイクロンやフォルツが首を捻っている。


 そんな二人の目に、ひたすらに泣きじゃくるレティシアと、その髪を撫でながら愛おし気に彼女を見つめるグレン・ロヴの満足そうな姿が映っていた。


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