帰還 2
いつも自室からロヴの屋敷へ飛ぶのは一瞬だが、今日のこの魔陣牒は不思議と時間がかかっているように思えるレティシアだった。
けれども、具合は悪くない。
フォルツの形見だった魔陣牒の様に、飛びながら体を引き裂かれるような痛みは全く感じなかった。
それどころか、ゆったりと座り心地の良い馬車に乗っているような気分で運ばれていく。
そうしてグレン・ロヴの魔陣牒で飛んでいる間に、バーネットと過去へ飛ばされた時のことを少しだけ思い出した。
あの魔陣牒に手が掛かり飛んだ瞬間、バーネットの美しい顔が酷く歪んだのを、彼女自身痛みに耐えながら見たのを覚えている。しかしレティシアが見たのは、ただそれだけだ。いつの間にかバーネットと離れ、五年前のあの場所へと辿り着いていたのだから。
バーネットがあれからどうなったのかはわからない。
しかし同じような痛みに苦しんだとしたら、よほど運が良くなければ助かるのは難しいかもしれないと感じていた。
良くないことに手を出した彼女だが、それはそれで可哀想だったと、レティシアが祈りの言葉を呟くと、急に運ばれていく速度が上がったように思えた。
そうして、その真正面に光の出口が見えたのだ。
「ロヴ……グレン、ロヴ、ロヴ!」
その光を早く、少しでも早く掴もうと、何かをかくように右手を大きく差し出すと、一瞬で景色が開けた。いつもの彼の屋敷の書斎だ。
大きな魔法書があちらこちらに置いてある。
そして、目の前には、彼女の右手をしっかりと掴み取り握りしめている、魔王グレン・ロヴの姿があった。
「――ロヴ!」
「レティ!」
掴んだ手のひらをぎゅっと握りしめたまま、グレン・ロヴはレティシアの体を引き寄せ抱きしめた。
彼女の腕もまた彼の体にしっかりとしがみつく。
「レティ、レティ。無事でよかった」
「ロヴ!大丈夫、大丈夫よ。あなたが助けてくれたの」
二度と離さないとばかりに強く抱きしめていた腕が、その言葉を聞くとほんの少し緩まり、お互いの顔をじっと見つめ合えるくらいまでになる。
「俺が?いつ?」
「過去に飛ばされた時、ケガをしていたの。だからグレン、あなたに貰った魔陣牒で、私呼んだのよ」
「……レティ?」
「そうしたら、飛んで助けにきてくれたわ……グレン・ロヴ・トールダイス。私の魔王様が」
「レティ!ああ、レティ!そうだ、俺のレティ」
一度緩まった腕が、また強く彼女の体を抱きしめた。
その体温がお互いに伝わり、確かにここにいるのだとしっかりと納得できたところで、二人の視線が絡み合う。
そうして、ゆっくりと自然と近づく影に――
「ちゅう?ちゅーするの?」
「きゃあっ!」
「っ、ブッ、ブランッ!お前はーっ!」
顔を赤くして驚くレティシアを抱きしめたまま、グレン・ロヴがブランに向かい魔力をぶつけると、本棚の方でも「ひぃっ!」と慄く声が立ち上がった。
それに気が付いたレティシアが、彼の腕の中からそちらの方を覗き込むと、なんとフォルツの姿を見つけたのだ。
「え……ど、どうして?まさか、ロヴ、彼に何かしたの?」
フォルツの家で離れてしまってからのことはわからないが、ここの魔王の屋敷に居るということは、グレン・ロヴが連れてこない限りありえなと言うことを知っている。
彼の方へ向かって尋ねると、慌てて答えたのはフォルツの方だった。
「ち、違う!話をしたんだ、レティシアがどうやっていなくなったのかって。それから、多分、その魔王は、俺を助けてくれたんだ。その、捕まらないようにって、だからここへ」
フォルツの家に騎士たちが突入した時には、まともに話せるのは彼しかいなかった。
だから放っておけば罪の有無に関係なく、遅かれ早かれ彼は連れていかれたのだろうと思う。
第一グレン・ロヴは一目見ただけで形見の魔陣牒が何で、レティシアがどうなったかまで察したはずだった。それを話しを聞くという名目で、わざわざここまで連れて来たのだから、理由は自ずとわかるだろう。
ようやくそれに気が付いたフォルツは、たどたどしくもそうレティシアに向かい説明したのだ。
その言葉に首を竦めるグレン・ロヴだが、否定はしない。
「ロヴ……あなたって、本当に」
うっとりと見つめ合う二人に、ただ、と前置きをしてフォルツがもう少し言葉を足した。
「あの……俺、向こう行くから、ごめん。それは、もうちょっと後にして」
顔を真っ赤にしてこの場から離れようとするフォルツを見てレティシアはふっと我に返る。
もう二度と会えないかもしれないと、泣きに泣いたグレン・ロヴとの再会に盛り上がったのは仕方がないとして、こんな人前で抱き合うだなんて、ありえない。
それどころか、勢いにまかせてそれ以上のことまでしようとしていたなど、もう顔が上げられないほど恥ずかしい。
「レティ?どうした?」
そんなレティシアを心配する声が耳元にかかる。
体はぎゅうっと抱きしめられたままだ。顔を真っ赤にしたレティシアは、さてこの後どうしようかと散々頭を悩ますこととなった。




