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想い 1

「きゃ!」

「あ、すまん。その、魔力を注げばいいんだよな?」

「え、ええ。そうなんだけど、少しだけビリッとしたから。ごめんなさい、びっくりしただけなの」


 一度その魔法陣を使ってみればどうなるかわかるだろうというグレン・ロヴの提案で、移動をすることにした。

 二日間寝ていたというその宿屋を引き払い、人目につかない場所まで出てから、早速そのために彼に魔力を送ってもらおうとしたところでレティシアが大きく声を上げたのだった。


 レティシアの言うことは半分本当で、半分は嘘だ。


 確かに驚きはしたのだが、それは彼の指が触れた時に、以前も感じた背筋を上がる何かを思い出したのだった。

 今ならわかる、あの感覚はきっと、触れられて恥ずかしい、けれどもっと触れて欲しいという感情の高ぶりなのだと。


「じゃあ、もう一度」

「うん」


 戸惑いながら若き魔王がレティシアの手のひらに指をあてる。すると、やはりいつものように一瞬で飛んだのだ。

 やった!と彼女が思ったのもつかの間、自室の間取りと同じ窓、同じ物入れ、同じ扉なのだが内装が全くといっていいほど違った。


 ぐるりと部屋を見回せばシックにまとめられたその部屋に調度品は少ないが、むしろ自室のものよりも格段に高そうなものが置いてある。


「……違う。私の部屋じゃない」

「だが、ここが魔法陣にかかれていた場所だ」


 すぐに追って飛んだのだろう、グレン・ロヴがそう言ってレティシアの横に立つ。

 そうして窓のカーテンを開けると、明るい日の光が室内に降り注ぐ。


「どうだ?見てみろ」


 彼のその言葉に弾かれるように外を眺めれば、サイガスト公爵家に来てからというもの五年間毎日見ている景色とほぼ変わらない姿がそこにあった。


「公爵家のお庭……そうなの?やっぱり、ここは?」

「ここは客間なんだよ。といっても、ほぼ俺専用みたいなもんだが」

「え?」


 レティシアがその言葉に反応したのと同時に、開くとは思っていなかった扉がガタッと音を立てて開いた。


「あ、ロヴ来てた!」

「ミラベル。誰が勝手に入っていいと言った?それからここでは、グレンと呼べ。いつも言っているだろう」


 可愛らしい手が扉の隙間から見える。

 少し幼いその声は、レティシアが出会った頃のミラベルの声そのものだ。懐かしいと思いつつも、何故だか顔を合わしてはいけないと感じ、さっとグレン・ロヴの後ろへと体を隠した。


「声がしたんだもの。あとね、黒い時はロヴって言うの!」


 そう反撃されて、自分の髪が黒いままだったのに気が付いたグレン・ロヴだったが、それとこれとは話が別だと、扉に寄りかかっているミラベルを押し出そうとする。


「ああ、もうわかった。いいから、出ろ。俺もすぐに帰る」

「えー……じゃあ、一個だけ教えて」

「何をだ?」


 ぷうっとふくれているような言い方のミラベルが可愛いと、後ろ向きで言い合いを聞きながら思っていると、矛先が突然レティシアに向かい飛んできた。


「後ろの()って、ロヴの恋人?」

「ぶふっ!」


 想像もかけない問いかけに思い切りむせ返る。小さくてもやはりミラベルはミラベルだ。

 レティシアが顔を赤くしてうつむいていると、グレン・ロヴの手が彼女の腕をとった。


「あ……」

「すまん。あいつは最近そんな本ばっかり読んでるみたいで、その……」

「いえ、まあ、私の知っているミラベルお嬢様も、そんなものですから」


 腕を取られた時点で、もうすでにサイガスト公爵家を離れ、今度は魔王ロヴの屋敷にまで飛んでいた。

 山のような魔法書に、沢山の書付のようなものが散らばっているのを見ていると、先ほどまでの自室でない部屋よりもよっぽど見慣れた部屋にほっとする。


「でも、相変わらず汚いなあ」


 ぽろりと本音が飛び出すと、屋敷の主はバツの悪そうな顔をした。


「仕方がないだろう。浄化系みたいな軽い魔法は、かえって加減が難しすぎんだよ。いっぺんやって資料の魔陣牒まで吹き飛んでから、もう二度とかけないって決めたんだ」


 そういえば、そんなことを初めて会った日にも言っていた気がする。

 五年経ってもまだ同じことを言うだなんて、魔王でも意外と成長しないものだとふっと笑いが込みあげてきた。


「もう、いいわよ。いつも通り私が片付けてあげるから」


 レティシアは何気なく自分で口にした言葉に衝撃を受けた。


 ――いつも通り?何がいつも通りなの?


 確かにここにはグレン・ロヴもミラベルもいる。きっと母親であるエディリアも弟のコーヴェンも領地のベインで存命だ。

 けれども自分はどうだろうと。


 今この世界に存在する皆は、五年前のレティシアのもので、自分のものは何一つないし、誰もいないのだ。

 足元が揺らぐ気がした。ここにいてはいけないと、ここは自分の世界ではないのだと痛感した。そして――


 会いたい。会いたい、帰りたい。


 今度こそ、真剣に願う。


「お願い、ロヴ。私帰りたいの」


 唐突な願いに一瞬面食らったグレン・ロヴが、ほんの少しだけ目を逸らした。

 けれどもすぐに心を決めたようにゆっくりとレティシアを見つめ返すと静かに口を開く。


「話を聞いてからずっと考えてはいたが、正直厳しいと思う」

「っ……」

「レティシアの話を聞いただけだから多分だけど、それは古の魔女が使う最後の魔陣牒だ。死の床について初めて使うものだから、戻ることは全く考えていない。本当に送るだけだ」


 そんな危険なものだったのかと初めて知った。

 けれども送ることができるのならば、戻ることも可能ではないのかとすがる目で彼を見れば、顔をしかめながら首を振る。


「そもそも時間は流動的なんだ。もし過去で何かが変われば、未来も変わってしまう可能性が高い。そうなれば、いくら元の時間に戻ろうとしても絶対に上手くいかない」


「……魔王でも、ダメなの?」


 最後の期待を込めて、もう一度グレン・ロヴの顔をうかがう。しかし答えは変わらなかった。


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