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過去 1

 ――痛い……痛い、痛い、痛い。ああ、助けて……たすけ……て、


 レティシアは身体を引き裂かれるような痛みを感じて目が覚めた。


 しかし、覚めなければ良かったと思うほどに、全身いたる所が軋み、火箸が押しつけられたような熱さを感じている。

 自分がどうなっているのかすらもわからないほどだ。目も開けられない。動こうとすればするほど、底無しの沼の中に落ちていくように感覚がなくなっていく。


 どうしてこんな事になったのだろう。

 あの時、レティシアはバーネットが発動させた魔陣牒を確かに掴んだのだ。そうして引き寄せた、ただそれだけだった。

 それだけのことが、今こうしてひきつれるような痛みに苦しみ、また意識を失いかけることの発端となったのだ。


 手を、手をとって欲しいと、伸ばしたその手に温かみを感じた。

 誰か男の人がレティシアに向かい必死に声をかけている。


「胸の……サ、シェ、を……お願、い、とっ……」


 なんとか声を出して頼むと、労わるような優しい声で「わかった」と、胸のポケットからサシェを探し出してくれた。


「中……ま、じんちょ……」


 必死で堪えないとまた意識を失ってしまう。

 そうして次に起きることができなくなったら?そんなことになってしまったら、もう二度とあの人に会えなくなってしまうかもしれない。

 そんな恐れの中、レティシアの心の浮かぶのは二人。


 ――ロヴ……グレン様……


「おい、君!これかい?」


 息も絶え絶えなレティシアへ、その男は薄紫色のサシェの中から取り出した魔陣牒を、手のひらの中へ渡してくれた。

 頷いているつもりだが、全く身体は動いていない。最後の気力を振り絞り魔陣牒に向かい、レティシアはその名を呼んだ。


「……グ……レン、ロヴ……た、すけて」


 そうして、なんとか発動しただろう魔陣牒にホッとすると、再び彼女の意識が遠くなっていく。

 その離れ行く意識とぼんやりとした視界の片隅で、黒の塊が飛んできたのが感じられた。


 ああ、来てくれたのね。嬉しい。


 言葉にならない呟きをレティシア唇がなぞったが、誰の耳にも届かなかったのだろう。ただ、何かに驚いたような呼びかけ声がその場に落とされたのだった。


***


 真っ白な世界にレティシアは立たされている。


 ただただ白いだけのつまらない世界。

 見たこともないその景色に、彼女はなんとなく察してしまった。


「ああ、私ダメだったのね。もう体のどこも痛くないし……」


 ぺたぺたと自分の体を触り確認をする。あれだけ痛みを感じていたのに、今はもう全くと言っていいほど大丈夫なのだ。

 何せ経験がないからさっぱりとわからないのだが、死んでしまう前とはこんなものなのだろうかと、レティシアは思う。


「こうして、段々と消えていくものなのかしら……」


 そう口にすると、胸の奥から徐々に込みあげてくるものがあった。


 白い世界の中に浮かび上がる母親や弟の笑顔に、先に逝ってしまってごめんなさいという気持ちが湧きあがる。

 ミラベルや公爵家の面々が映し出されると、今までの感謝を伝えたいと思った。


 そうして次に二人、ロヴとグレンの姿がそこに現れると胸が詰まった。

 もう二度と会えることが出来ないのかと思えば思うほど、胸だけがぎゅうっと締めつけるような痛みを覚える。

 もう体の痛みはどこにもないというのに、心の痛みだけは自身が消えてなくなるその直前まで感じてしまうものなのだろうか。

 だとしたらいつまでも、本当の最後までなくならないでいい、痛くてもいい。だからずっとこうして二人に会わせて欲しいと思ったのだ。


 どちらかだけでは嫌だ。ロヴとグレンに会いたいと。


 二人に対する特別な思い。それをたった今自覚して、レティシアは笑う。


「もしもこんなことにならなかったらきっと、こんな気持ちに気が付かなっただろうなあ」


 口が悪く、わがままなロヴ。

 少し嫌味で、冷たいところのあるグレン。


 黒と銀。見た目も態度も、正反対に見える二人なのに、時おりレティシアに見せる優しさが何故か同じように思えたこともあった。


「ごめんなさい、グレン様。あなたにちゃんと話してから出かければよかった」


 銀髪の青年へ向かいそう謝ると、眼鏡の弦をくいっと上げ、仕方がないなと首をすくめる。


「ロヴ、意地悪なこと言ってごめんなさい。あなたのこと、誰よりも信じてる」


 黒髪の魔王は、気にしてないとばかりに手を軽く振り、ニヒルな笑いを見せた。


 二度と会えないのなら、最後に少しだけ素直に、わがままになってもいいだろうと、二人に伝えたい言葉を探す。

 そうしていると、いつの間にか二人の姿がレティシアの側に寄っていた。


「好きよ、ロヴ。好きなの、グレン様」


とびっきりの笑顔をのせて、二人に手を伸ばす。そうして自分の胸に抱きしめ、もう一度、最後にと――


「好き……」


「ふっ、んぐっ!」

「え?」


 声など聞こえるわけがない。胸にあたる感触も気のせいだ。

 何故なら自分はもうこの世のものではないのだから、そう思いながらレティシアは自分の胸元を確かめる。


 だが、そこには綺麗な艶のある黒髪を、きちんと一つにまとめた頭がのっかっていた。


「きゃ!何っ!?え……やだっ!」


 慌てて手を離し、その頭を押しのけると、そこはもう白い空間ではなく、よくある町家の一室のような場所だった。

 レティシアはその部屋に置いてあるベッドの上に横になっていたのだ。


「ええ?ど、どういうこと……私、確か、フォルツと……え?違う、バーネットが、飛んで……それで、ケガをして?」


 ぐるぐると頭の中を回るつい最近の出来事に、思考が追い付かずにパニックになりそうだ。そんな意味不明のレティシアに業を煮やした男の声がかかる。


「おい!理由はこっちが聞きたい。お前は何故、俺を呼んだ?」

「は?」

「しかも、これは俺が作った魔陣牒だろ。何故これを、見たことも会ったこともないお前が持っている?」


 そう詰問されて気が付いた。目の前にいるレティシアと同じ年頃の男の姿は、綺麗にまとめた黒い髪に、切れ長の黒い瞳。

 真っ先にその珍しい色に目がいったが、美しく整った容姿にも見覚えがある。眼鏡こそ掛けていないが、グレン・トールダイスそのものだ。


 これでは、まるで、まるで――


「グ、グレン?ロヴ……?」


 一体どちらなのかと、レティシアが問うと、男はチッと舌打ちをする。


 やっぱり知っているのかと、忌々し気に呟くと、頭をぽりぽりと掻きながら、面倒くさそうに言った。


「そうだ、グレン・ロヴ。どこで知ったか知らないが、俺が新しい『魔王』だ」


 その一言で、レティシアは大き口を開けたまま、まるで岩のように固まってしまった。


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