相談 1
ほう。レティシアが掃除の手を止め、先ほどから何度目かの溜め息をつくと、流石に我慢できないとロヴは苛立ち気味だ。
「おい、いい加減にしろよ。いったい何が気になるってんだ?」
ここのところ一週間ほど、またロヴが忙しいからと、帰りはブランに送ってもらうことが多かったから、あまり話をする時間がなかった二人だった。
そんな中で今夜久し振りに顔を合わせる時間がとれたと思えばこれでは、彼の言っていることもわからないではない。
しかしレティシアは今日再会したあのフォルツという元疑似魔陣牒売りの少年のことが気にかかって仕方がなかった為に、あいまいな返事をロヴへと返す。
その祖父を亡くしてしまったばかりの少年の扱いに悩んでいたのだ。
もう二度と魔陣牒は売らないと、売るものがないと言っていたのを信用はしたが、果たしてそのままにしていいものだろうか。やはり今まで犯した罪は罪として、一度グレンたちに保護してもらった方がいいのだろうか、その判断をどうすべきかずっと考えていた。
グレンは魔陣牒の管理取り締まりの部署で働いているのだから、少年の話をすれば、きっと彼を捕まえるために動くはずだ。
しかし、レティシアは出来るだけそうあって欲しくない、出来ればこのまま菓子職人の見習いとして普通の生活をしていって欲しいと思っている。
だから、本当はすぐにでもグレンは連絡をしなければいけないと思いつつも、こうして夜になっても溜め息の数を増やすだけで行動に出られないのだった。
「だけど、うん……やっぱり相談しよう」
出会ったばかりの頃ならともかく、今ではグレンの少し不器用な優しさも知っているレティシアは、心を決めた。
明日になったら話をしてみようという気持ちをぽろりと言葉にして零すと、それを聞きつけたロヴが、嫌悪感をむき出しにしてくってかかってきた。
「相談?はあ、何で俺にしない?」
「……えっと、だって、ロヴの知らない話のことだもの」
いくら魔陣牒のこととはいえ、レティシアが相談したいことは少年の今までの罪と今後の処遇だ。
それにはケルンの庭に住む魔王よりも、王国の執務官の方が適役なのは誰が考えてもわかる。そもそも、疑似魔陣牒のことを聞きたいと思う時はいつもロヴの方が忙しく、フォルツ少年の話は彼には一度も話したことがない。
「ああ?お前、あんな男に何を相談しようってんだ!?」
「え?」
誰になどと口に出した覚えもないのに、ロヴの言葉はいやに断定的だった。
何故知っているのかわからないが、それにしてもあんな男呼ばわりはない。グレンは見た目こそ冷たいが、心はとても温かい人だと思っている。
レティシアは自分では気が付いていないが、それこそ、ロヴと同じように信頼し、同じような特別な感情も持ち始めていた。
そんなロヴが、一方的にグレンのことを悪く言うのがとても嫌だと思ったのだ。
「ロヴ、その言い方は失礼じゃない?あと、どうして私の相談先を知っているのよ」
勝手な彼の言い分に軽くむっとしたレティシアが言い返すと、しまったと言わんばかりに目線を外した。その態度に彼女は余計腹を立てる。
「ねえ、もしかしてロヴ、私のこと何か調べでもしたの?」
「はっ!そんなことする訳がないだろう」
「だって、そうじゃなきゃ私が誰に相談するかなんてわからないじゃない!」
ぐっと息を飲み込み、そんなもの……と口ごもるロヴへと追い打ちをかけた。
「そういえば初めて会った時、ロヴは私の名前だって名乗る前に呼んだわよね。あれだっておかしいわ。ミラベルお嬢様も呼んでなかったのに、あなたは私の名前を知っていたのよ」
「っ、それは」
「魔王だものね、なんだってわかるのよ。なんだって、簡単に、知りたければ人のことなんか、心をちょちょいって……あ」
そこまで言い切ってしまったレティシアの喉から、小さな後悔の声が漏れた。
以前、ロヴは怖くないかと聞いてきたことがあった。
人の心を操ることの出来る魔法使いが怖くないかと。レティシアは正直に怖くないと答えた。
ロヴはそんなことをしないと信じていたからだ。だが、今彼女は彼に向かってなんと言ったのだろうかと思い返す。
魔法使いだから、人の秘密なんかなんでもないと。言い方は違えども、同じことをいったのだ。ロヴは、人の心も勝手に読むのだと、そう言ったも同然だった。
ロヴはただ、何も言わずにその場に立っている。
何も言わせなくさせてしてしまったのはレティシアの斬りつけた言葉のせいだ。そう感じたレティシアは、自分自身への嫌悪感でいっぱいになった。
「ごめんなさい」
そう一言だけ絞り出すと、部屋の隅で小さくなりながら二人の様子をうかがっていたブランへ声をかけ、部屋に送ってもらうように頼んだ。
ロヴが軽く頷くのを見て、ブランはレティシアの手のひらへ鼻スタンプを押す。
彼女が一瞬で飛ぶと、しんとした屋敷にロヴとブランの溜め息だけが残った。
「ロヴー……」
「うるさい、ブラン。言い過ぎたのは俺も一緒だ、だが」
もう一つため息を追加すると、がしがしと頭を掻きながら苛立ち言葉を荒げる。
「あんな下品なクソ野郎に相談だなんて言えば、そりゃムカつくに決まってるだろうが!何が、親戚だ!ふざけんな」
そう、レティシアの思惑とは外した、かみ合わない言葉を口から吐き出した。




