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猫 2

 その言葉を聞くと、今まで静かにお茶を飲んでいたグレンがすっと立ち上がる。


「では、俺はこれで失礼します、サイガスト卿。朝早くから申し訳ありませんでした」

「いや、グレン。早くに教えてもらえて助かったよ。まあ直接君が来るとは思わなかったけれどね」

「人づてにしたくはありませんでしたから」


 実に鷹揚に笑う公爵に対し、少しばかりむくれたように答えるグレンの頬がうっすらと赤いのを見て、レティシアは、おや?と思った。

 どこのパーティーで見かけても、いつも冷たく整った彼の顔が、なんとなく幼く見える一瞬だった。

 ミラベルに対しては別だが、やはり親戚関係というのはどこの家でも特別なのだなと思う。そんな、自分の伯爵家のことに思いを馳せていると、公爵から突然声が掛かった。


「裏門の方に置いてある、南方からもらった鉢植えをグレンに持って帰って見てもらいたいのだ。レティシア、案内してやって」

「あ、はい。……ええと、どれでしょうか?」


 裏門へと続くサイガスト公爵家の裏庭には、少し変わった類の植物が植えられていたりするのだが、いったいどれのことを言っているのだろうと尋ねると、それはグレンがわかるからと返された。

 あまり二人きりになりたいものではなかったのだが、公爵からの言いつけに従い、彼を裏庭へと案内した。


「大丈夫か?」


 公爵家の表玄関から広大な庭を抜けて裏庭の方へと歩いて行くと、昨日打ったお尻がまた少し痛みだす。参ったなと思っていると、不意にグレンからそう尋ねられた。


「えっ?や……、何が、でしょう?」


 まさかそんなにわかりやすく歩いていたのだろうかと姿勢を正し、質問に質問で返すと、妙な表情をして、ごほごほっと咳をしながらグレンが言葉を続ける。


「し……いや、猫。そう、昨日助けたという、猫は大丈夫、かと……」

「猫っ?あ……はい、大丈夫そうでした。というか、今朝もう逃げてしまいましたので、多分ですけど」


 正確に言うと、逃がした、だ。

 しかも、その正体からして猫のことはグレンに一番知られたくなかったのだが、いつの間に猫の話を聞いたのだろう。そう考えていると、あっさりと答えられた。


「さっき、ミラベルがサイガスト卿に話していただろう」

「あのとりとめのない話の洪水の中でよく聞き取れましたね」

「慣れているからな」

「……そう、ですか」


 普段から忙しい父親と話せることが嬉しくて、いつも以上に饒舌だったミラベルの話は、随分とあっちにこっちにといったりきたりしていた。

 ああなると、五年専属侍女を務めているレティシアにも聞き取り辛い話もあるというのにと、グレンに対して少しだけ嫉妬心みたいな気持ちが湧いてくる。


「やっかむことはない。そんなにいいものでもないぞ」

「え?」

「小さい時からお守させられていたんだ。あの程度聞き取れないと、ずっと癇癪が続くから、慣れだ、慣れ」


 ふう、と溜め息まじりに吐き出す砕けた言葉よりも、レティシアは自分の心の内を読まれたのに驚いた。


「あの……私、そんなに顔に出ていましたか?」

「ああ、手に取るように、な。私のお嬢様なのにって、ぶーたれた顔をしていた」

「そんな顔していませんっ!」

「いいや、していた。こんな風にな」


 そう言って、グレンは口を尖らせ頬を大きく膨らませた顔をレティシアに向けた。

 あの氷の様に冷たく、彫像のような端正な顔が、ここまで崩れるものかと唖然とする。そうして普段パーティーで見せる、とり澄ました表情とのあまりの変りように、大きく吹き出してしまった。


「やだっ、その……顔っ!もう、してませんから!」


 お腹を抱えて笑うレティシアが、ようやく落ち着き言い返すと、グレンの大きな手のひらが彼女の頭を軽くぽんぽんと撫でるように叩く。


 その手のひらからじわりと伝わる熱は、昨夜ロヴから伝わってきたものと同じ熱だ。

 はっと目を見開き、レティシアはグレンの顔を見つめる。すると流れるような銀色の髪に、グレーの瞳が反対にレティシアを見つめ返していた。


 髪も瞳も真っ黒なロヴとは全く違うというのに、何故か彼に対するのと同じような気持ちが湧きあがってきてしまう。


 ふっと目を逸らし、グレンにはわからないようにと息を飲み込む。


「もしかして、慰めてくれてます?猫の、こと……」


 わざと無関係なことを口にしてグレンの意図を図ろうとすると、頭に置いた手を下ろし、じっとレティシアを見つめたまま声を絞り出す。


「そうじゃない。それだけじゃないんだ。俺は、レティ……」


 レティと呼ばれ、胸が跳ね上がった。

 今、王都でレティシアを、レティと呼ぶのは魔獣のブランを除けばロヴだけだ。その彼と同じように呼ばれて、同じように体が熱くなる。


 どうしよう、とレティシアは思う。どうしてこんなふうになってしまうのか、自分では全くわからない。そうして、グレンの言葉を待ってみると、どうしてか彼の動きもピタリと止まってしまっていた。


 彼の見ている裏門の方を、レティシアも振り返り見てみると、そこにはあの魔陣牒を売る茶色の髪の少年が何かを探すかのように公爵家の裏庭を覗いている。


「あ!」


 レティシアが、大きな声を出すと少年も彼女に気が付いたが、隣に立つグレンの姿を視認すると、びくんと体を震わせて慌ててそこから逃げ出してしまった。


 無事に帰れたのだと、ほっと息をつくと、それを目ざとく見つけたグレンが後ろからレティシアの肩に手を置いて、ゆっくりと、しかし有無を言わさない声を出した。


「レティシア嬢、詳しく聞きたいことがあるんだが、もう少し時間をとってもらおうか」

「……はい」


 先ほどまでの甘い雰囲気が一瞬で吹き飛び、代わりに冷たい空気が漂いだした時に、ああ、バレたなとレティシアは理解した。


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