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チャーム 3

 この場合、他家の内情に関わらないということもだが、主であるミラベルに何かあってはいけないので、スルーして馬車溜まりへ急ぐのが正解だ。

 しかし、退屈だったパーティーに余程フラストレーションが溜まっていたのだろう、声のする方にと勝手にミラベルが進んでいってしまった。よく見れば、いくつか並んでいる扉のうちの一つが少し開いている。


「お嬢様、いけません」

「少しだけよ。確認したらすぐに帰りましょう」


 ここで強く出るのは簡単だ。

 むしろレティシアが少しでも大きな声を出したのなら、その部屋の奥で言い合いしている者たちは蜘蛛の子でも散らしたように逃げてしまうだろう。

 だが彼女がそうしなかったのは、今この部屋から聞こえてくる声に聞き覚えがあったからだ。ミラベルの後を追い、扉の前までくるとこっそりと聞き耳を立てる。

 そうすると、先程よりも鮮明な声が聞こえた。


「だから言ってんだろ。てめえんとこで使い方間違えたんだって」

「そんな……だって、お嬢様はいつも成功してたのに、今日だけダメだったって。一番捕まえたかった人だったのに。今までほとんど社交に出てこられなかったから、ようやく来たチャンスだったのにって、そりゃもう怒ってて」

「だから、それが間違えたっつーの。人のせいにすんじゃねえよ。足りなくなったから持って来いって呼び出しやがって、不良品だ?ふざけんな」

「どうにかしないとお金払わないって、言ってて」

「ああ!?くそ野郎が!俺んとこのは、絶対に、失敗なんかしねえっ!金ちゃんと持ってこい、そうじゃねえと二度とチャームは売らねえぞ!」


 ひっ!と息をのむ侍女の声よりも、もう一人の声に驚いた。

 間違いない、それはレティシアが白の日に出会った、あの疑似魔陣牒を売ろうとした少年の声だ。


 チャーム、それはグレンが先ほど真剣な顔をしながら零した言葉と同じもの。そしてその疑似魔陣牒を売る少年がここにいる。

 これは間違いなく自分たちが関わってはいけない話だと察したレティシアは、そっとミラベルへ耳打ちした。


「お嬢様、これ以上はいけません。まだここに居るようでしたら公爵夫人へご報告させていただきますよ」


 切り札の言葉を差し出すと、身を固くしたミラベルが慌てて立ち上がった。

 優しく慈愛に満ちたように見える公爵夫人も、娘の淑女マナーについては人一倍うるさく厳しい。こんな所で立ち聞きなど知られたならば、即マナー教育のやり直しだろう。それを身に染みているミラベルは素直にレティシアの言うことを聞いた。


 急ぎその手を取り、馬車溜まりの方へ促すと視界の隅にグレンの銀髪が映る。

 ならばすぐにでも出なければとほとんど小走りのようにして馬車に乗り込み、ベルギュン伯爵家の屋敷から離れたところでようやく少し落ち着くことの出来たレティシアだった。

 それはミラベルも同様で、一息つくと思い出したように口を開いた。


「でも、なんだかおかしな喧嘩だったわね」

「そうですね。でも、他所のお屋敷のことまで首を出してはダメですよ」

「……わかったわ」


 ミラベルも思うところがあるのだろう、素直に言うことを聞いてくれたのは幸いだったと、ホッとした瞬間、ガタンと音を立てつんのめったように馬車が急に止まった。


「どうしたのかしら?」


 いつもならばこんなことはめったにないほど熟練した御者だ。

 一体何があったのだろうと耳を澄ませていると、「申し訳ありません。お嬢様方、大丈夫でしょうか?」と馬車の扉の向こう側から声がした。


「大丈夫よ。でも、何があったの?」

「いえ、猫が急に飛びこんで来て、自分の顔をひっかいてきたものですから、つい手元が狂いまして」

「まあ、傷は深いの?」

「いえ、自分は大したことはありません。では、急ぎます」


 レティシアは猫という言葉に妙にひっかかった。馬の邪魔になるのならまだしも、御者に飛びつくということがあるのだろうか?余程慌てて?猫が?何がという明確な理由がある訳ではないが、とにかく気になったのだ。


「ねえ、その猫はどうしました?」


 御者が戻る前に思わず声をかける。律儀な彼は、レティシアの奇妙な問いかけにもいちいち丁寧に答えた。


「そこの道端に。どうやら怪我をして動けないようですが、馬車を汚すわけにもいけませんから」


 貴族お抱えの御者ならば当然の受け答えだ、何も間違ってはいない。

 けれどもレティシアの疑惑は高まる。動けないほどの大怪我をしている猫が、わざわざ馬車に飛び乗ろうとするだろうか?

 そう考えれば考えるほど気になって仕方がない。

 だから、御者に外側のかんぬきを開ける様に頼んだ。そうして、その猫を連れてくるようにと。


「まあ、酷い……」


 御者が気を利かせ、馬車の軽い汚れを落とすための布巾で猫を包み連れてきたが、すでにそれにも血がにじみ出している。

 その茶色い毛並みの小さな猫には、何かで斬りつけられたような傷が、ぱっと見ただけでも右目の下と背中についていた。

 特に背中が酷く見えたレティシアは、自分の肩に掛けているストールを外すと、それでその猫を包みなおす。

 ミラベルが少し眉をひそめたが、彼女も動物は嫌いなわけではないから黙ってレティシアのすることを見守ってくれた。


「じゃあ、急いでちょうだい」

「はい」


 真面目な御者がレティシアの意をくんで、静かに、それでも出来るだけ早くと馬を操る。

 彼の顔の傷は血も滲んではないようだが、後で何か差し入れをしておこうと考えながら、そっと猫の傷の無い部分を優しく撫で続けていた。


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