チャーム 2
「この一週間、王宮で泊まり込みながら、通常の仕事に加えて偽造魔陣牒の一斉取り締まりだ。正直家に帰って寝たいくらいだが、流石に婚約披露の招待状がくれば顔を出さない訳にもいかない」
「仲がよろしいでしょう?」
騒がしい一団の中から、アントーニオがグレンを見つけ出し、大きく手を振ってきた。
こっちへ来いと誘っているのだろうが、グレンは軽く手を上げるだけで動こうとはしない。
「一応学友ではある。それも、あっちが一年留年したお陰でね」
嫌気を隠すつもりのないこの態度はどうなのかとも思うけれども、流石にこれだけ疲れている様子ではグレンに同情する。
しかし、レティシアもミラベルを待たせているのだ。ここは申し訳ないが、さっさと離れてしまおうと、口を開きかけたところで、華やかな美人が一団を引き連れて二人の前まで押し出てきた。
「まあ、こちらがアントーニオ様の親友でいらっしゃる方なの?ぜひ紹介をお願いしますわ」
美人ではあるが妙な粘っこさがあるバーネットが、しなを作りながらアントーニオへ紹介をねだる。
わざわざ尋ねなくとも、グレンほどの姿形とトールダイス侯爵家の家格ならば社交界デビューをしていて知らないものはいないはずだが、そうしなければ挨拶が出来ないというのならば、未だかつて一度も彼と引き合わされたことがないのだろう。
同じ侯爵家で年周りも近いというのに、なんとも不思議なことだ。
「やあ、グレン。久しぶりだね。どうか僕の真紅の薔薇を紹介させてくれ。バーネットだ。エキレーゼ侯爵家の至宝を賜ったんだぜ」
どこか焦点の合わない恍惚とした表情でアントーニオが歌うように語り出すと、周りの青年たちもヒューヒューと賑やかし囃子立てる。
その奇妙な空気にレティシアは首を捻った。仮にも貴族の子弟たちが、これはないのではないのかと。
グレンの方を見やれば、彼は彼で先ほどまでの疲れた様子など微塵も見せずに、その美しい顔にうっすらと笑みさえのせて応える。
逆に怖い――
ぞぞっと上る悪寒に、一歩下がってそこから離れようとしたレティシアだが、知らぬ間にグレンの手に腰をとられていた。
両手にチェリーソーダのグラスを持っているせいでその手を拒否できないのが辛いところだ。
「ああ、久しぶりだ。アントーニオ。それから、はじめまして、バーネット嬢。グレン・トールダイスです」
「まあ!あなたがトールダイス侯爵家のグレン様でしたのね。お噂はかねがね聞いておりましたのよ」
クネクネと首や腰を動かしながら応える様はまるで蛇だ。隣に立つレティシアを威嚇しつつ、何かを絡み取ってやろうとする目で、グレンへと再度声をかける。
「もしよろしければ、あちらでお喋りしませんこと?きっと楽しいわ」
その言葉が合図だったかのように、銀のトレイに載せられた少し小さめのグラスが一つ、バーネットの元へ運ばれてきた。
それを受け取ると、グレンの前にすっと差し出し「お近づきの記念に」と手渡す。
レティシアは、その仕草に何となく嫌な気配を感じたのだが、グレンはあっさりとそれを受け取った。
そうして一気にその液体を飲み干すと、全く申し訳なさそうな口調で目の前の毒々しい薔薇へと言い放った。
「申し訳ない、彼女との久しぶりの逢瀬なんだ。アントーニオ、君らの婚約式をダシにして悪いが、幸せな君たちは許してくれるだろう?また後で」
腰に回していない、開いた手の方をすっと軽く上げて挨拶をすると、彼らの返事も待たずにレティシアを強引に連れ出した。
勿論その場にいたい訳ではなかったレティシアだから、そこから離れることに異論はなかったのだが、如何せん一つだけは納得できない。
「お、逢瀬って、あのっ、トールダイス様っ……」
これは訂正しなければと思い、声をかけようとグレンを見上げると、その整いすぎるほど美しい顔が、怖いほど真剣さを帯びていた。
「チャームか……」
「え?」
一言呟いたその言葉の意味を聞き取ろうとしたが、その前にミラベルの元へと辿り着いてしまった。
「遅かったのね、レティ……うっ、……」
中々戻ってこないレティシアに苛立ち始めていたミラベルだったが、文句を言う前にグレンの姿を見つけてしまい、その勢いが一気に下がる。
「ミラベル、サイガスト公爵の顔はもう十分立てただろう」
「まあね」
「じゃあ、今すぐ帰れ」
頭ごなしに言われるのが一番嫌いなミラベルだが、そのグレンの言葉を聞くと、口をすぼめながらも素直に従う。
元々帰るつもりだったとはいえ、あまりにも大人しくいうことを聞くなと思いながら、急ぎ帰りの馬車を出すように御者に連絡を頼んだ。
ベルギュン伯爵家の馬車溜まりは広くとってあるものの、パーティーの開かれている大広間とは反対の方向だ。中々に距離がある廊下を、急いでいるようには見えない程度の速度で歩いて行くと、誰かが言い争いをしているような声が聞こえた。
「侍女同士の喧嘩かしら?」
「それにしては少し乱暴な言葉遣いのような気がしますね」
その声には、なんとなく嫌な感じがする響きがこもっていた。




