白の日 2
アウデイン王国で一般に販売されている全ての魔陣牒は、国によってその数量と種類値段が調整されている。
普段からよく使われるような、コンロの火つけや水の供給に家の灯りなど、生活に密着した魔陣牒のように、どこの店でも手に入るものですら実は厳しい管理がされているのだ。
だからこそ、こんな客引きのような真似をして売る店などはない。普通ではありえない。魔陣牒の偽造販売は、貨幣の偽造と同じ罪に問われる。
よく見ればその少年の身なりは悪くないものの、どことなくスレたような雰囲気を醸し出している。それは、今そのあたりを元気に走り回っている少年たちとは明らかに質の違うものだ。
「まさか、偽造魔陣牒……」
レティシアがそう口にすると、その少年はあからさまに気分を害したように、忌々し気に唾を吐く。
「ふんっ。こちらとそんな偽物・粗悪品なんて扱ってねえよ。品質だけはそこらの正規品よりもずっといいって、お得意さんも言ってんだぜ」
「君、ダメよ。そんなもの売ってたら……」
とにかく止めようと、少年の腕を取ろうとしたが、するりと躱されてしまった。
「お姉さん困ってたみたいだから声掛けてやったのにな。まあいいや、もし何か用があったら言ってよ。俺この辺をブラついて……って、やべ」
少年は目ざとく何かを見つけると、あっという間にベンチから飛び降り路地裏へと駆けて行った。
まるで野生動物のようなその姿に呆気に取られていたレティシアだが、突然ベンチの横に現れた影にまた驚かされた。
「レティシア嬢。ロズベール伯爵家のご令嬢ともあろう方が、今の裏通りの少年とお知り合いか?」
「っト、トールダイス様……お久しぶりです」
慇懃無礼な態度で声を掛ける銀髪のその美青年は、至極自然な仕草でレティシアの横に座る。
そうして、挨拶もそこそこにもう一度同じ質問をした。その有無を言わさない言葉に圧倒され、素直に言葉を返す。
「いいえ、先ほど初めて声を掛けられました」
「そう。用件は何と?」
言ってもいいのだろうかという思いが過る。例え偽物でなくても、魔陣牒の個人売買は禁止されているのだ。きっと捕まれば、少年だろうと重い罰が下りるだろう。
言い淀むレティシアに、グレンは小さく息を吐いた。
「魔陣牒の売買を持ちかけられたのだろう?」
「ええっ、知って、いらっしゃるんですか?」
「あれは、疑似魔陣牒不法売買の常習犯だ」
常習犯――あんな少年が?まさかと思うよりも納得してしまった。
動物のような勘の良さに、どこかほの暗い雰囲気の少年だった。
「二度と近づくな。ヤツの魔陣牒は危うい」
危ういとは一体どういったことなんだろうか。少なくとも偽造品のように使えないというこはないのだろうか。
そこが気になり、もう少し詳しく知りたいと、声を出そうとしたところで見知った顔を見た。
「やべえ、グレン、見失った。あいつ逃げ足早いわ。猫みたいだ」
「一人で動いている分、フットワークが軽くて捕まえにくいな」
「本当に猫なんじゃねえの……おっと、お久しぶりです、レティシア嬢」
いつもの目立つ騎士服ではなく、極力地味にと選んだだろうジャケット姿のマイクロン・コッズがレティシアへ挨拶をした。
「お久しぶりです、コッズ様」
「本当に。ここ最近はどのパーティーでも顔が見えなかったからどうしてるか気になってたよ」
「……ええ」
ミラベルのお供で参加はしていたのだが、あなた方は避けていましたとは言えずに相槌だけ打っておく。
そんな事よりも先ほどの少年の話だ。もしかしなくてもこの二人は、すでに彼を捕まえるつもりで動いているのだろうか。そんなふうにしか思えない。
いくら重い罪だとしても、年若な少年ではないかという気持ちが捨てられないレティシアはどうしても彼を弁護してしまう。
「あの、どうか、酷いことはなさらないでくださいませんか?」
「ん?」
話が見えないといったようなマイクロンは首を捻るが、敏いグレンはその意図を正確に受け取り切って捨てた。
「俺の所属する第三執務室は魔陣牒の管理取締りが主な仕事だ。魔陣牒の不法売買を許すことはない。使えないものを売るくらいならまだ可愛げがあるが、ヤツのはなまじ使えるから困るんだ」
「使えるから、困る?」
「中途半端な知識、中途半端な符号で書かれたものが広まってしまい、暴走した時に一番困るのは誰だ?」
「それは……」
それは勿論、一般の人たちだ。魔陣牒への信頼も揺らげば、今までの様に当たり前に使うことすら怖くなるかもしれない。
今世に出ている魔陣牒は、これまでの人たちが使ってきた上でどんどん改良されてきたものだった。キッチン用のものは、コンロ以外では火はつかない。灯り取り用も同様だ。例えば人に向けて火をつけようとしても、現在流通しているものは絶対につかない仕様になっている。
しかし、疑似魔陣牒は人に向けても火がつくのだとしたらどうだろう。それは、間違いなく何か悪いことへと使われてしまう。
そこまで考えて、レティシアはゾッとした。そして自分の浅はかさにも頭を痛めた。
「まあまあ。そんな訳で、俺らが出張って、何か事が起こる前に捕まえようとしてるの。まだあいつは、そこまでヤバいもの売ってるわけじゃないからね。な、グレン」
少しのんびり加減でマイクロンがグレンへと同意を求めると、小さく頷き絞り出すように声を出した。
「早く止めてやらないと、な」
その、少年のことを思いやるような言葉を聞いた時、初めてレティシアは彼の内面をきちんと見たような気がした。
あまりにも整い過ぎている顔に、能面のような表情と、険のある言い方のせいで一方的に苦手意識を持っていたが、今までかけられた言葉に間違ったものはなかった。
むしろ、こちらの方が勝手に悪くとっただけで、グレンはレティシアを気にかけていたのではないかと、今になって気が付く。
「ごめんなさい」
「なんだ?」
唐突に出てしまった謝罪の言葉に、訳が分からないと言ったような顔つきの二人に向かい、言葉を続ける。
「余計なことを言ってしまって、ごめんなさい。早く、あの子を捕まえてあげてくださいね。そして、二度と間違いを起こさないように、教えてあげて」
そうレティシアが言い直すと、ああ、と答え、グレンがその口角を上げてほんの少しだけ笑って見せたのだ。
その嫌味のない、美しい微笑みに、胸がどきりと高鳴ってしまった。ばくばくと早鐘を打ち出すそれに呼応するように熱が上がり始めるのがわかる。
何故、ロヴに手を握られた時の様になるのかわからない。けれども、確かに同じような感情が沸きあがってくる。
理由は思いつかないが、これ以上、彼と顔をあわせているとダメだと感じたレティシアは、挨拶もそこそこに離れることにした。
既に次の仕事に頭が回っている二人は、特に不自然には思わなかったようなのが救いだった。




