白の日 1
『白の日』、それは瑞兆の玉鏡が太陽を増幅させ、一日のほとんどを光り照らす恵の日。
黒の日とは真反対のこの日、世間では昼も夜も無く、一日中賑やかに過ごす。
本来なら今日のこの日は、王太子が十五歳の成人の日を迎えてから初めての白の日となるため、王宮にて婚約が発表されるはずだった。
それは、このアウデイン王国の慣わしとして、国民の皆が知っている。
そして発表が公布され次第、王都はいつも以上のお祭り騒ぎとなる予定だったのだが、王太子がビエルへの行軍という予想外の出来事が起こったために、なんとなく皆が肩すかしを喰らってしまったような気分になってしまった。
無論、ワーガットとの小競り合いも気にかけていない訳ではないが、そこはやはり遠い地方での出来事だと、王都の人々にとっては少しばかりなおざりなようだ。
しかし、そんな王都の人々とは、全く真逆の、なんとも苛々を隠せない者が一人、サイガスト公爵家の一室にて、やたら周りに当たり散らしていた。
「そんなにカリカリしなくてもよろしいでしょう?ミラベルお嬢様」
「カリカリしてないわよ」
朝から屋敷の中を、あっちへ行ってはこっちへ行く、の繰り返しをして、やたら皆に声をかける。普段しないようなことをしては、ぶつぶつと文句を言い出す。これがカリカリしていないと、誰がいえようか。
そんな気持ちは伝染しやすい。レティシアにしても、なんとなく朝から気分が優れずにいた。
「そんなにお暇でしたらナヤル侯爵家のお茶会にお邪魔すれば良かったのに。アイーダ様からお誘いがあったのでしょう?」
「嫌よ。アイーダ様は色々うるさいんだもの。それに」
「それに?なんです?」
「パーシーから連絡がくるかもしれないし……」
「ああ……」
成人の祝いの席でのことだ。ルミオズ辺境伯の三男で、優男のデイナ・ルミオズが王太子のパーシヴァルの世話係としてビエルへと向かうと聞くやいなや、ミラベルは彼と内緒の交渉をした。
一体何を材料としたのかレティシアは聞いていないが、どうやら交渉は成功したようで、通信用の魔陣牒を使い、王太子と二人、こっそり連絡を取り合っている。
そしてその五日に一度していた連絡がここのところ滞っていることが、今日のイライラに繋がっているらしい。
一般の人々が遠く離れた人と連絡を取りたいと思えば、普通は郵便を使うしか選択肢がなく、それも人力で集め配達をするので日数はそれなりにかかる。
物や声などを送る魔陣牒というものは一般的な店などでは見かけることさえなく、特殊な専門店でしかお目にかかれない高価な代物だった。
勿論貴族ともなれば、通信用の魔陣牒も持っていないこともないが、それもいざという時に使うものであって、頻繁に使用できるようなものではない。
そんな高価な魔陣牒を惜しげもなく使い、連絡を取り合う二人に、流石は王太子と公爵家令嬢だと思うものの、割り切れない思いが、胸をちりりとかきむしる。
レティシアのロズベール伯爵家の領地にも、通信用の魔陣牒が一枚のみあったのを覚えている。そして、そのたった一枚が使われたのも、覚えていた――
「だって酷いのよ、パーシーったら。この間の話の終わりに、しばらく連絡できないとかいうの。でも、今日は白の日じゃない。あのままパーシーがビエルに行かなきゃ、今日はパーシーと……」
「お嬢様が悪いんでしょう」
レティシアは衝動的にミラベルへと毒を吐いた。
「え……」
「ご自分が蒔いた種です。それを今さら何をおっしゃっているんですか?殿下がビエルに行くことになったのも、私が毎晩ロヴの屋敷の掃除をすることになったのも、全部全部お嬢様のせいじゃないですか」
「……レティシア?」
言い過ぎたと思った時には全てが口から零れ落ちてしまっていた。
「……申し訳ありません。本日お店にお願いしてあるお嬢様の刺繍糸が届く予定ですので、街まで取りに行ってまいります。それでは、しばらく留守にいたします」
いつもなんだかんだとお願いを聞いてくれるレティシアから、始めて受ける当てつけのような言葉に、ミラベルは驚き言葉を失っている。その隙にと、彼女は足を速め、急ぎ公爵邸を後にした。
***
「ああ、言わなくていいことを言ってしまった……」
貴族御用達の店が居並ぶメイン通りからは少し離れた場所にある、雑多で賑やかな店の前に置かれたベンチに座り、レティシアは口元をぎゅっと押さえた。
いくらミラベルの魔王召喚が招いたこととはいえ、あそこまで責めるつもりはなかったのに、と落ち込む。
そもそも止めるべきならば、嫌がられても誹りを受けても召喚前でなければならなかった。それがミラベルの専属侍女としての役目なのに、結果召喚させてしまったのは、誰が何と言おうとレティシアの失態に他ならない。
その上、始めは嫌々通っていたはずの魔王ロヴの屋敷の掃除にしても、今では楽しい日課になっていた。
意地悪に見えて実は優しいロヴとのお喋り、可愛い魔獣のブランをもふもふしながら、くだらないことを言っては笑う時間は、もうとても大事なものになっている。
けれども、どうしても引っかかってしまったのだ。勿論それもレティシアの勝手な事情で、ただの八つ当たり。
「魔陣牒の使い方なんて人それぞれよ。それに今更そんな余分があっても、どうにもならないのに」
考えても仕方がないことを未だに考えてしまうことがある。あの日あの時、もう一枚だけでも声を送ることのできる魔陣牒があったのなら、助かったのかもしれないのに、と。
「お父様……」
小さく、そう呟くと目頭が熱くなるのがわかった。けれどもこんな人通りの多いところで泣いてはダメだと、ぐっと歯を噛みしめる。
そうして、ふうと一息つくといつの間にかベンチ隣に座っていた少年に声を掛けられた。
「お姉さん、魔陣牒欲しいの?」
「え、誰?」
目深に帽子を被っているため顔はよくはわからないが、そこから茶色のくりくりっとした髪がはみ出しているのが見て取れる。
声や背の大きさからいって年の頃ならおそらくレティシアの弟のコーヴェンと同じくらい、多分十二から十三といったところだろうか。その少年は、ずずっと横に移動してレティシアの方へとすり寄り、少しだけ周りを気にしながら軽い感じで話しかけて来る。
「誰だっていいじゃん。ねえ、欲しいの?欲しくないの?俺んとこさ、色んなの揃ってんだけどな」




