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魔法陣 3

 翌日からレティシアがロヴの屋敷に行くと、必ずとブランが待ち構えているようになっていた。


「レティ!お帰り!」

「いやね、ブラン。逆よ、いらっしゃい、って言わなきゃ」


 何度教えても、首を捻るばかりで同じことを繰り返す。

 まあ獣だから細かいニュアンスはわからないのだろう、あまりしつこく言っても可哀そうだと思い、そのままブランの言いたいように任せることにした。


「今日は何をしよっか?」


 まるで何の玩具で遊ぼうか?と尋ねられているようだが、そうでもない。

 ブランは部屋の片づけに大いに役立ってくれている。書いてある文字や魔法陣はわからなくとも、そこから感じる魔力で大体どんなものかを判断してくれるのだ。


 今までは逐一どんな系統かをチェックして、それを最終的にロヴに確認をとっていたのだが、それも彼が忙しそうにしているとお願いするのも憚り、ついつい後回しにしてしまっていた。

 けれどもブランが進んで手伝ってくれることで格段と片づけの効率性が上がったのだ。


「嬉しい。もう半分も片付いたのよ!ここに来てからあの小さな部屋は一月もかかったっていうのに、こっちの部屋はたった三日で半分も!」

「俺役に立ってるー?レティ」

「勿論よ、ロヴなんかよりもずっと役に立ってるわ!」


 ひどい言いぐさだが、本音がぽろりと出るくらい、この屋敷の片づけは大変なのだ。

 レティシアに褒められたブランは、嬉しそうに彼女の足元へ体を摺り寄せる。

 撫でて欲しいのだろうと思い、手を出しかけたところで止めた。今撫でまわすと、せっかく片づきかけている部屋に、ブランの毛が舞い散ってしまう。ならば場所を変えようと、ブランを誘った。


「キッチンへ行きましょう。おやつにするわね」

「うん!」


 そう言うと、ブランが尻尾を千切れんばかりに振り回し、よろこんでついてくる。今日は随分と進んだから少しくらいの休憩もいいだろうと、久しぶりにキッチンに立つことにしたのだ。


 ロヴの屋敷は魔陣牒が使えないと聞いた時、レティシアは一から火をおこすのは大変だなと思った。

 田舎育ちだから火おこしもしたことはあるし、水汲みだって時には手伝った。まがりなりにも伯爵家令嬢として育ってきたレティシアだが、キッチンへの出入りは領地では当たり前のことだった。


 だから初めてこの屋敷のキッチンに立った日、ここまで凄いとは思わなかった。

 コンロやオーブンには最初から火が入っているし、ポンプの蛇口部分からはずっと水が出っぱなしだ。食品庫は低温に保たれており、野菜や肉も新鮮そのものといったところである。何故かパンまでもが焼きたてのような状態で保存されている。


 水はまだともかくとして、流石に火の付きっぱなしはどうなのかとロヴに聞いてみたが、あっさりと魔法だから大丈夫だと言い返された。

 そもそもキッチンに人が立たなければ火も水も出ない仕組みらしい。魔法とは、なんと万能なのだと感心してしまったレティシアだった。


 そんな訳で、ブランと一緒になってキッチンまで来ると、まず食品庫を覗く。


「ブランは何が食べたい?」

「レティと一緒のがいいの」

「一緒?いいの、それで?お肉とかじゃなくって?」

「うん!」


 勢いよく返事をするブランの頭を撫で、それならばと、コンロにヤカンを置き紅茶の準備をする。そうして持参してきた焼き菓子を二つの皿に分けて盛って出した。


「紅茶はどうする?」

「それはいらないー」


 すでに焼き菓子に口につけ、がつがつと美味しそうに食べ始めているブランにと、深めの皿に水を入れて出してあげる。

 お湯が沸くと大きめのカップに紅茶を注ぎ、キッチンのテーブルの椅子に座って、ゆっくりと紅茶の香りを堪能した。


「魔獣って、何でも食べられるのね?」


 好奇心がわき、少し尋ねてみると元気良く「うん!」と言葉が返ってきた。


「でも魔力がないのは力にならないのー。ロヴが教えてくれた」

「そうなの?じゃあこの焼き菓子も、食べても意味ないの?」

「美味しいから嬉しいの。意味あるよー」


 力とは、やっぱり魔力のことを言っているのだろう。

 魔力のあるものを食べないと、ブランはこれ以上育たないのだろうか?

 だったら魔力のあるものを食べさせた方がいいのか?

 そんなふうに考えるレティシアだが、にこにこと焼き菓子をパクつくブランを見ていると、まあ一回くらいはいいだろうということにした。


「はい、それならもう少しどうぞ」


 自分の皿の上から、すでに空になってしまったブランの皿へと焼き菓子を二つ移すと、わーいと喜びながら食べ出す。

 なんだか魔獣とは、動物というよりも、小さな子供のように見えて仕方がない。みんなこんなに可愛らしい生き物なのだとしたら、あの恐ろしい噂は嘘なのではないかと思ってしまう。


「ねえ、ブランはどうしてロヴと一緒にいるの?」

「ん?どうして?どうしてって?」

「普通、魔獣は魔法使いや人とは仲良くないんじゃないのかなって思ったんだけど……」


 大昔から続くお伽噺の中でも、魔法使いや人間の勇者が魔獣を倒す物語はたくさんある。

 魔獣は見境無く人を襲う悪いモノだと受け継がれているのもそのせいだ。そもそもケルンの庭とは、魔法使いが魔獣を閉じ込めるためのものだという逸話もある。

 もちろんそれが全てでは無いとは思うが、一度広がった確執はそう簡単には縮まらない。


「ロヴはね、俺を助けてくれたから、好き!」

「え?」

「俺ね、魔獣の中じゃ体も大っきくて乱暴だったから、危なくなったの。でもロヴが助けてくれた。だから、好き!」


 ブランの言葉足らずな説明では、今ひとつピンとこないが、とにかく危険なところをロヴに助けられたということだけはわかった。


「レティもね、好きだよ。だからいつでも名前呼んでね。俺、すぐに飛ぶから。魔獣はね、呼ばれればどこにでも飛べるの」


 椅子に座っているレティシアの膝に、ブランの脚が乗る。

 そうしてぐりぐりっと自分の頭を彼女の胸に押し当てて、甘える姿にきゅんときた。


「勿論よ。いつでも呼ぶわ、ブラン」


 そう言って、ブランの首をよしよしと撫でると、それは気持ちよさそうに目を細める。その姿を見ながら、このブランが大きい方だなんて、魔獣とは思っていたよりも大きな生き物ではなかったのだなと考えていたレティシアだった。


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