魔法陣 1
「しばらくの間、忙しくなる。ここに戻れるかもわからないから一週間ほど来なくていいぞ」
「ええっ!?ちょっと、困るんですけど!」
「は?休みだって言ってるだろうが。休みをもらって困るって、お前どんだけワーカーホリックだ?」
あと五日ほどで白の日が来る。するとミラベルの魔王召喚より一月が経つということになるのだが、早いものだとレティシアは考えながら片付けに勤しんでいた。
しかしその日の掃除がひと段落ついた頃になって、突然ロヴがそんなことを言いだしたのだ。
確かにレティシアは普通の貴族令嬢とは違い、体を動かすことが得意だから、ダブルワークもなんのそのといった様子で働いてはいるが、そもそもは働きたくて働いているわけではない。
公爵家では自分の伯爵家のため、そしてここ、魔王の屋敷では無理矢理働かされているようなものだ。
そんな事情もわかっているはずの魔王に少し苛立ちながらも返事をする。
「失礼ね。そんなことを言ってるんじゃないのよ」
苦手な魔陣牒の符号も少しは覚え、彼が屋敷に居る時に確認を取りつつも、区分け、掃除に勤しんだお陰で、なんとか小さな一部屋だけは物置状態から脱したところ。
一人ではどこに片づけていいのかわからないことも多いので、ロヴが居ないというのは確かに心もとない。
だが、レティシアが一番困るのはそこではない。
「来なくてもいいって言われても、勝手に飛ばされるんですけど?」
それも夜九時過ぎになると自動的に発動するのだ。
熱を出して部屋から出なかった時は飛ばなかったけれども、普通にミラベルの侍女という仕事をしていたら夜まで部屋に籠っているということは全くの無理難題である。
そうかといっていつも通りの仕事をしていたら、それはそれではレティシアが自室入った途端、魔王の屋敷に一直線だ。ロヴが居なければ公爵家に帰れなくなってしまう。
「そうか、あれは魔陣牒だったな。参ったな」
基本、魔陣牒は使い切りだ。一度使ってしまえば消えてなくなる。だから日常的に使用されるものなどは百枚単位の綴りで売っているのが普通なのだが、生憎とあの召喚用魔陣牒は普通のものではない。
どういった経路でミラベルの手に辿り着いたのかは、レティシアにはさっぱりわからないが、呼び出されたロヴ自身が全く驚いてなかったのを鑑みるに、彼が直接渡したのではないかと思うようになった。
それを一度ロヴに尋ねたことがあったが、知らん忘れたの一言で通され、それ以来は聞く機会がない。
ミラベルに至っては、ごめんねと、笑うだけで話すつもりが全くない。
「畳んでもダメなの?」
あれからレティシアの部屋にある魔陣牒は、ロヴに言われた通り、広げたままベッドの下に隠してある。
「畳めばもう使えなくなる。そもそも一回だけの使用しか考えてなかったからな」
だったら、何故自分がこんなことになっているのかという考えが、頭の中をよぎったレティシアだが、知らずの内でも契約を交わしてしまったのだから仕方がないと、そこは敢えて口を出さずに話を続けた。
「何か、こう……部屋に戻れるようなアイテムはないかしら?」
「魔法陣を組むのは簡単だが、お前に魔力がないから、使えない」
そもそも魔法使いは簡単なものなら呪文、少し凝ったものならば魔法陣を組んで魔法を使うのが普通だと、レティシアはこの間雑談の中で教えてもらった。
そして、それを簡素化し、符号の中に効率良く魔力を込め、普通の人間が使えるようにしたものを魔陣牒という様になったのだと。
さらに言えば、魔王であるロヴは、呪文を詠唱しなくても、魔法陣がなくてもよほど複雑なものでなければ動作一つで魔法が使えるらしい。
頭の中で瞬時に魔法陣が構築されると言っていたので、魔王の名は伊達ではないのだと感心する。
「やっぱり魔力がないと無理?」
「……いや。何か魔力の媒介があれば、っと、そうか。お前気に入られていたな」
ふと思い出したようにレティシアの肩を叩いた。
「ブラン!来い、ブランシッカドエルジェ」
「ほいほーい!わーい!、レティだ!久しぶりー!」
ロヴの呼び声に応え、一瞬で目の前に現れた白いふわふわは魔獣のブランだ。前回出会ったのはレティシアが熱を出した時だったので、半月ぶりとなる。
にもかかわらず、遠慮なく彼女の胸に飛び込んでくるのは流石に魔獣というか、獣そのものの行動だ。
そんな仕草が可愛くて、レティシアがふわもこの毛並みを堪能しようと抱きつこうとしたところで、またブランの体が宙に浮く。
「呼んだのは俺だ、ブラン」
「わかってるってー!いいじゃん、挨拶くらいー」
首根っこを摘まみ上げているが、よくも大型犬サイズの動物をあんなふうに持ち上げられるなと妙な感心をしてしまった。
「いいか、レティ。こいつを使うことにするからな。あんまり甘やかすなよ」
「んん?どういうこと?」
「ブランの魔力を借りる。魔法陣を組んで、干渉することによってお前が部屋に帰られるようにするぞ」
「へー、なんだかわからないけど、凄いのね。ブランってそんなに魔力があるんだ」
本当に仕組みはよくわからないが、凄いなと思った。
魔法が使えない身で、魔法が使えるなんてことが出来るだなんて思ってもみなかった。
「えへへ、俺凄いー!」
スルッとロヴの手から逃れたブランも、何故か喜んでいるので、凄い凄いと相槌を打つ。一人と一匹でそんなことをしていると、なんとなく楽しくなってきたレティシアだった。




