お悩み 2
「やあ、また会ったね。レティシア嬢」
ミラベルが友人の令嬢たちとおしゃべりに興じている間、その中でも特に仲良い友人の、レティシアも見知った付き添いの女性がちょっとの間見ていてくれるというので、お願いしてほんの少しだけ休憩をとるつもりだった。
そこへ、聞いたことのある声がかかる。
うえ。心の中でそう毒づくレティシアに、騎士服の色男が近づき、遠慮なく声をかけてきた。
どうやら今日は一人の様らしく、銀色の髪に整い過ぎている顔の美青年はいないようだ。
「お久しぶりです。コッズ様」
丁寧に挨拶をすれば、人懐こそうな笑顔が返ってきた。
「今日はきっと来ると思ったんだ。顔を出してよかった」
さらっと女心をくすぐるような言葉を伝えてくるが、生憎とレティシアにはその手の言葉は通用しなかった。
主であるミラベルがパーティーに参加してからというもの、彼女の後ろで多くの男性から何度も同じような台詞を聞かされていたからだ。
その都度ミラベルは、ありがとうございます、うれしいですわと、厭味なく卒なく返事をしていたが、レティシアはそうはいかない。そもそも顔に出過ぎてしまう。
にっこりと笑ったつもりが、どうにも頬がヒクついてしまった。それを見て、目の前の色男は苦笑いしながら言葉を続けた。
「いや、迷惑だったら済まない。先日の失礼を一度謝っておこうと思ってね」
「あ、いえ。迷惑だなんて……」
どちらかといえば失礼をしたのはレティシアとミラベルである。
彼らは常に貴族的に対応しただけだし、更に言えば彼女が腹を立てた一番の要因は、銀髪のグレン・トールダイスの一言だ。そこまで思い出すと、流石にマイクロン・コッズには申し訳ないという気持ちがたった。
「こちらのほうも失礼をいたしましたので、もうこれでお手打ちといたしませんか?」
「参ったな。謝罪も許されない?」
許すとか許さないとかではなくって、と言いかけてはたと口をつぐむ。あまり言いあっていると、また周りからの注目を浴びてしまうではないかと思い、考えた。
「それでは、ワインをお願いしてもよろしいでしょうか?それで結構ですわ」
そう言うと、マイクロンはさわやかな笑顔を見せつけ、給仕よりワイングラスを受け取ると、スマートな仕草でレティシアに渡してくれた。
「ありがとうございます」
我ながら上手く返せたと、レティシアは悦に入る。
そうすると、ワインを飲む間はマイクロンとお喋りをしなければいけないのだが、それくらいは仕方がないだろう。
そういえば先日熱を出してから、ロヴからも酒は飲むなと口酸っぱく言われていたことを思い出す。しかしパーティーでそういった訳もいかないので、そこも仕方がないと割り切ることにした。
「本日はどちらのご令嬢をエスコートされていらっしゃったのでしょうか?」
マイクロンのエスコートしてきた女性が、もしも婚約者やお付き合いのある方ならば、誤解の無いように知っておきたいと思い尋ねると、きりっとした眉を少しばかり下げて恥ずかしそうに答える。
「残念ながら仕事が忙しくて、約束をしてもらえる方がいないんだ。今日も友人と二人飛び込んできたところだよ」
「まあ、それは大変ですわね」
マイクロンほどの色男振りならば、突然の申し出も受けてくれそうな女性は大勢いそうだが、きっとまだ一人に絞りたくはないのだろうと思った。
このアウデイン王国では、王家主催の舞踏会ならばエスコートは必須だが、個人が催すパーティーであれば、招待状さえ届いており、独身ということならそう咎められることはない。
特に今日のような、若者向けのものでそこまでうるさく言うのも野暮な話だ。
そこでレティシアは、はたと気づく。
色とりどりのドレスの塊の向こうの、きらきらと輝く銀髪に。マイクロンは、友人と二人でと言った。ならば彼女が見つけたのはいけすかない眼鏡の男で間違いないだろう。
出来れば彼とは話したくはないと思ったレティシアは、ここからさっさと離れるために、手に持ったワインをあの時と同じように一気に飲み干そうとした。
「やめた方がいい」
口に付けたはずのグラスが、何故かいつの間にかレティシアの横に立つグレン・トールダイスの手の中に移っていた。
「え?早っ!」
「よう、モテ男。ご令嬢たちのお相手は済んだのか?」
マイクロンの声に、冷たい視線を送るグレン。
「お前が一人で消えなきゃもっと早く逃げ切れたはずだったがな」
「悪い、悪い。レティシア嬢を見つけたもんだから、つい」
二人軽口のような言い合いをし出すと、周りの女性たちがまたこちらの方をちらちらと横目で伺いだす。
目立つ二人の間に挟まれるようにされているレティシアは、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
早くここから離れてミラベルの元へと戻ろうと思ったが、けれどもその前に一言どうしても言っておきたいと、グレンへと声をかけた。
「あの、グラスを返していただけますか?」
「駄目だ。君は飲むな」
けんもほろろに言い返された。
「いえ、謝罪の代わりにいただいたものですから。どうぞ、こちらへ」
本当は別段謝罪も必要なかったのだが、勝手に人のグラスを取り上げたグレンの言いなりになるのが嫌だと思ったレティシアは、しつこくワインの返却を要求する。
「謝罪?」
「俺が、この間のお前の失礼を詫びて渡したの」
眼鏡の縁がきらんと光り、咎めるようにマイクロンへと向かうと、しゃあしゃあといった風情で答える。
その言葉を聞いたグレンは、はっ!と息を吐き出して、一気にそのグラスを飲み干し空けた。
「先日のことならば謝罪などは必要ない。それよりも、彼女に酒を飲ませるな。また熱を出したらどうする」
謝罪が必要ないと言い切るのにも、ピクンときたが、それよりももっと聞き捨てできない台詞があった。
また熱を出したら――
「ちょっと、どうしてそれを知っているんですか!?」
確かにあの日の夜レティシアは熱を出し、周りには内緒ではあるがロヴの屋敷で休んでいた。
結果、次の日に休みをもらってしまったから、当然屋敷の使用人もそれは知っているだろう。けれども仮にも公爵家の使用人たちだ、自ら屋敷内の細かいことまで吹聴することはあるまい。
「ああ、……あれでも大事な又従妹だ。付き添いに不備がないか気にするのも別におかしくはないだろう」
わざわざ人の様子を確認したのかと知り、かっとした。
レティシアにはミラベルに付き従い、その身を不自由なく過ごさせ、かつ守るという仕事がある。
そういった点では間違いなく先日の発熱は彼女の失態だ。何が原因であれ、体調不良を招いたのだから言い訳はしない。だが、わざわざこんな人前で触れ歩くことはないだろう。
正論ではあるが、腹が立つ。
やはりこのグレンという男は苦手だという気持ちでいっぱいになってしまった。
ぐっと拳を握り締め、レティシアは深呼吸をする。そうして、胸元に手を置き、軽く会釈をした。
「そうでしたか。それは申し訳ありませんでした。では、これ以上不備がないように、失礼させていただきます。ミラベルお嬢様がお待ちですので」
一息でそう言い切り踵を返す。後ろの方でマイクロンがグレンに対し、何か言っているような声がしたが、もう知ったことではないとその場を離れた。
その後は、ミラベルの後ろを一歩も離れずに張り付いていたレティシアだったが、あまりに近づきすぎていたせいで、ミラベルから邪魔とまで言われてしまった。
夜中、掃除がてらそのあたりの愚痴もロヴに語って発散したかったのだが、生憎と彼も帰りが遅く、レティシアの顔を見るなり、あっという間に自室へと戻されてしまう。
なんとも上手くいかない気持ちにもやもやする。レティシアは、やはりグレンには関わりたくないと、思いを強めながら布団にもぐりこんだ。




