発熱 3
ベッドの端に、ぽすんと座って頭を抱えていると、どこからともなく、ひゃっひゃっひゃっ、と大笑いする声が響き渡った。
「大丈夫ー。魔法だよ、マ・ホ・ウ。決まってんじゃーん!」
「誰っ!?」
ロヴの声ではない。同じように口は悪いが、彼の声はもっと落ち着いていて、耳に馴染む。
この声は彼の声よりも、高く間延びしていて、とても低い場所から聞こえてくるのだ。不思議に思い身構えていると、ベッドの下からするりと白い塊のようなものが出てきたのが見て取れた。
「わーい!元気になったね、良かったじゃん。あ、ロヴがね、魔法で着替えさせてたから大丈夫。見てないよー」
「猫っ!?え、……犬?猫?が、しゃべってる?」
真っ白いふわふわとした毛並みのそれは、猫のようなしなやかさで動くが、大きさは猫というよりも大型の犬に近い。
よく見れば脚も太くがっしりとしているし、レティシアを見つめる瞳も真っ赤に染まっている。
「猫?犬?どっちでもいいけどー、喋ると思う?」
「え、いいえ。思わない……かな?」
「でしょー?」
けたけたと笑いながら、その白い塊はぴょんっと跳ね、レティシアの座るベッドの隣に飛び乗った。
見たことのない獣が、まるで人間の様に笑い、喋る。もうすでに彼女の中では想像はついているが、どうにも喉元で言葉が詰まって出てこない。結局焦れたその獣が自ら自己紹介をしてしまった。
「俺は、ブランシッカドエルジェ。ご想像通り、魔獣だよーん。ブランって呼んでいいからね、レティ」
「きゃっ!ちょっと……」
そのまま、わふっ!とでも吠えそうなくらいな勢いでレティシアの胸に飛びついてきた。
あまりに突然のことに、びっくりして大声を出したが、元々彼女は動物が大好きだ。
領地では犬三匹、猫二匹を飼っていた。白いふわふわとした塊が、自らまとわりつき、撫でてといわんばかりに張り付いてくるのだから、もうたまらない。
魔獣?そんなことはどうでもいいと、気が付けば耳の根元に首回り、それだけでは飽き足らず体中を撫でまわしていた。
ブランと名乗った魔獣の方も、レティシアの胸に顔をうずめながら、それは気持ちよさそうに撫でられている。
そうして喜びを伝えようとブランの大きな舌が彼女の顔を舐めようとした瞬間、レティシアの髪の毛がぶわっと舞い上がるほどの空気の渦が彼女たちを覆った。
「おい、ブラン。俺は、レティには見つからないように、静かに留守番しておけって言ったよな」
「言った、言ったし。聞いた、聞いたよー。だから、下ろして?ロヴ」
「可愛い子ぶるな。クソ魔獣」
空気の勢いに負けて思わず目を閉じてしまったレティシアが、瞼を擦りようやく開いた目で見たものは、天井近くで宙にぷかぷかと浮かぶ魔獣ブランと、それに向かい睨みつけるロヴだった。
「やだ、ロヴ。早く下ろしてあげて!」
「ああ?ほっとけ。それより、レティ。熱は?」
「もうないわよ。いいから、下ろしてあげて!」
チッ。と、ロヴが舌打ちをすると、途端空気の流れが変わったようにブランが下に落ちてきた。
きゃっ!とレティシアが小さく叫んだが、魔獣の方はあっさりと体を回転させ、それは上手に着地をする。
「あー、怖かったよー。レティー」
へにょっと情けない表情でブランがレティシアの足元に走り、そう訴えると、よしよしと頭を撫でて庇う。
「私が眠っている間、留守番してくれたのね。ありがとう、ブラン」
「うん。俺ちゃんと仕事したよ。レティが起きるまでは声もかけなかったのになー」
そう言って、ちらりとロヴの方を見やる。
レティシアも、本当よと目線で訴えれば、いかにも不愉快そうな顔で両手を上げた。
「わかった。悪かったな、ブラン。一応信じてやる」
「悪いと思ってないじゃん。こっちはロヴの濡れ衣まで晴らしてやったのにさー」
「ん、濡れ衣?」
レティシアは両手で、ブランの大きな口を口輪の様に覆いかぶせる。
本物の犬にいきなりこんなことをしたら噛みつかれるかもしれないが、相手はお喋りな魔獣だ。
それに、この話を蒸し返されるくらいなら、少しくらい噛まれた方がマシでもある。
「おほほほ。ねえ、着替えをしたいんだけど、私の服はどこにあるかしら?」
いまだにレティシアが寝間着でいることに、ようやく気が付いたロヴが、少し慌てたように手を軽く振った。
すると、一瞬でいつものメイド服に戻る。
「本当に、便利ねえ」
確かにこの魔法なら、肌など一切見せずに着替えが出来たのだろうと、ホッとした。
大体が、一瞬で服が着替えられるような魔陣牒は存在しない。
だからこんなことは考えたこともなかったが、もしこのレベルの早着替えが出来ればとても助かるのにと思った。特に、あのドレスの支度などに。
成人の祝いも終えた今、これからほとんど日を置かず、レティシアはミラベルに付き添ってパーティーに参加しなければならないのだが、その中で一番頭を悩ますのが、ドレスの存在だ。
ただでさえ苦しいのに、支度を含めて長時間着続けていなければならないのがたまらないと思う。
この魔法があれば、必要な時だけさっと着替えられるのにと、出来もしない夢想をする。
「この魔法、私にもできないかな……ドレス着たくない……」
「いや、無理だろ」
ひどく現実的な言葉が即返ってくる。その言葉に、さらにレティシアの肩が落ちると、ブランが不思議そうに彼女へ向かい尋ねた。
「レティはドレスが嫌いなの?女の子なのに変わってるねえ」
「嫌いというか、苦しいのよ。気分が悪くなっちゃって」
田舎者ゆえ、慣れてないからと言葉を続けようとすると、ブランが「ああ」と、わかったように相槌を打ち、ずばっと言い当てた。
「レティ、おっぱい大きいもんね。それじゃあ苦しいよね」
げほっ!と、ロヴの口から大きく吹き出す音がした。
レティシアは、顔を赤くしたまま、金魚の様に口をぱくぱくとさせて、あうあうと声にならない声を出している。
ブランだけがあっけらかんとしながら、ぐいぐいとレティシアの胸に突っ込みを入れる。
「この服はおっぱいあんまり目立たないけど、触ると凄いよ」
「触るって、ブラン、お前っ!」
「もうね、ぼよんぼよんしてるの。すっごい気持ちいいけど、あれじゃあ確かに普通のドレスきついよね、ぐぶっ」
レティシアが、足元のブランの口を、もう一度ぎゅっと覆い潰す。そうして、口元をひくひくとさせながら、ロヴへと向かい退出の挨拶をする。
「あの、今日のところはもう、失礼させていただいても?」
「あ、ああ。ゆっくり休めよ。夜に部屋の出入りをしなければ、ここへ飛ぶこともないから、今夜は部屋から出ないようにしろ」
「ありがとうございます。では」
「……うん」
「ではっ!」
再度促すと、一瞬で自室のベッドの上に戻ったレティシアだ。部屋の窓から入る日はまだ高い。
体調も戻ったことだし、いつもならば早速とミラベルの元へ足を運ぶところだが、そうもいかない。
「やっぱり?……やっぱり、私の胸って大きいの?そんなに!?あー、もう、いやっ!……恥ずかしい」
自分でも自覚はあったのだが、改めて他人、いや魔獣だが、他のものに指摘されると恥ずかしさが倍増する。
そうしてレティシアは、顔を真っ赤にしながら、枕に顔を埋め、ばんばんと布団を叩きつつ悶えることしか出来なかった。




