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発熱 2

「ここって、まさか……」


 ぼうっとした頭できょろきょろと見回す。こぢんまりとした部屋に置いてあるものといったらタンス、テーブルランプ、そして今レティシアが横になっているベッド。


「し、寝室ーっ!?」


 どう考えても寝室以外には見えないないその場所は、今日彼女が最も警戒した場所だ。

 黒い上掛けは、ロヴが召喚された時に肩に掛けていたものだろう。うっすらと香る自分の匂いでない何かが鼻について、首の裏がゾクリと泡立った。


 初めて覚えたその感覚に怯えたレティシアは、例え少しくらい熱っぽいと言われても、こんなところで悠長に寝てはいられないと慌ててベッドの上から飛び起きた。

 が、床に足が下りたのと同時にへたりと座り込んでしまう。


 思っていたよりもずっと力が入らない。そう自覚してしまうと余計に力が抜けていき、熱も上がっていくような気がした。

 それでも、ここに居てはいけないと、力の入らない腕でずりずりと這いつくばり扉へと向かう。


 なんだか距離の感覚も視界もぼやけてわからなくなってきたところで、誰かが怒鳴っているなと思った瞬間、レティシアはブラックアウトした。


***


 ふう、ふう。と自分の吐く息の音で目が開いた。

 寝転がる自分の目に映るのは、天井に開けられた明り取りのような天窓から見える小さな星空だった。

 まるでロヴのその瞳の様に切り取られた星空に、思わず言葉が漏れる。


「綺麗……」

「起きたか、馬鹿レティ」

「へ?」


 ベッドの横に持ってきた椅子に座り、小さなテーブルランプの光をグッと落とした灯りで、本を読むロヴと目が合った。


「あっ、あ……あの、ロヴ?」

「お前いい加減にしろよな。熱さましの薬草茶持ってきたら床でひっくり返ってるとかありえないだろう。何しようとしたんだ、馬鹿が」


 自分勝手な思い込みで逃げ出そうとしていたなんてことは口が裂けても言えないレティシアは、ロヴのお叱りを黙って聞くしかない。

 それでもと、少し体を起こそうとすれば手で制された。


「今作り直してくるから待ってろ。今度こそ動くなよ」

「は、はい」


 そう言って、じろりと一睨みして立ち上がるロヴ。大人しくしていないと、今度こそ呆れられてしまうと、静かに上掛けをかぶる。そうすると、またあの匂いが香った。

 落ち着かないと思ったレティシアは、何か他のことを考えようと必死に頭を回そうとするが、熱のある頭ではあまりまともな思考へと辿り着かない。

 ここで普段ロヴが寝ているのだとか、そんなことばかり考えては頭を抱える。


「ううう、また熱が上がりそう……」

「ああ?まだ大人しく寝られないのか」


 レティシアのしょうもない独り言に答える様に、ロヴが薬草茶片手に扉を開けた。


「う、ううん。大丈夫、大人しくしてました」

「じゃあこれを飲んどけ。そしたらもう少し寝ろ」


 片手に薬草茶を持ったまま、器用にレティシアの体を起こさせる。

 そうして渡された薬草茶からは、懐かしい田舎の青臭さが感じられた。しかし薬草茶とはまたレトロな代物だ。

 熱さましとしては有能な薬だが、即効性という点では劣る。

 今時熱が出た程度なら魔陣牒ですぐにでも平熱にすることが出来るから王都に来てからというものの、この香りを嗅いだことがなかった。


「あの、魔法で熱は下げられないの、かしら?」

「どうした、苦手か?それでも飲みきれよ」

「子供じゃないんだから飲めるわよ。そうじゃなくて、早く下げないと明日の仕事に……」


 じろりと睨まれ、レティシアは首を竦めながら慌てて薬草茶に口をつける。

 この屋敷では魔陣牒が使えないのは重々承知だ。だから魔法をと頼んだのだが、浄化系魔法と同じで苦手なのかと勝手に推測した。

 しかし、ロヴは小さな溜息を一つ吐くと、静かに話し始めた。


「熱ってのは、体の不調を知らせる一番わかりやすい危険信号だ。そいつの生命力にも関係してくるから無理矢理抑え込むのは良くない。俺はケガならともかく、極力病気を治す魔法は使わないって決めてるんだよ」


 何故か、熱のあるレティシアよりも、苦しそうな顔つきで話すロヴ。

 そんな表情をされると、なんと言って言葉を継げばよいのかわからないので、黙ってそのまま薬草茶を飲みほした。

 空になったコップを渡されたロヴは、少しだけほっとしたように息を吐き、そのままそこで眠るように促す。


「私の部屋に戻してくる?そうしたら大人しく寝るから」


 このままここで寝ろ、だなんてそんなのは拷問に近い。

 ロヴの近くで、ベッドで、布団で寝ろとか無茶を言わないで欲しいと思い、頼んだが全く言うことを聞こうとはしない。


「はっ!信用できるか。どうせ向こうへ帰りゃあ、魔陣牒で熱だけ冷まして、仕事をするだろう?明日は休むようにミラベルへ連絡しておく。だから、寝ろ」

「そんなあ」


 図星を突かれて反論のできないレティシアを置いて、ロヴが部屋から出て行くと、もう仕方がないと腹をくくった。どうせ彼が送ってくれなければ自分の部屋には帰れないのだ。


 だったらロヴが言う通りに、さっさと眠って体力を戻した方がいい。そうしなければ、いつまでも返してもらえそうもない。

 それではレティシアもだが、主であるミラベルも困るのだ。


 心を決めて、ごろんと横になると、天窓にはさっきと同じように星が瞬いていた。


 こんなあちこちにロヴを感じられる部屋の中で果たして眠られるのかと考えながらも、ゆっくりと目を閉じる。

 しかしそうすると、あっという間もなく睡魔に襲われていったのだった。


***


 すっかり寝入ってしまったレティシアが目を覚ました時には、もうすでに天窓からさんさんと太陽の恵みが降り注いでいた。


「うわっ、寝たわー」


 案外と図太い自分の神経に、レティシアは思わず笑ってしまった。

 そしてあれだけ寝られないだのごねていたのはどこの誰だろうとも思う。しかしそのお陰で、頭はだいぶすっきりしている。体の方はまだ少しだるさを感じてはいるが、熱はしっかりと落ちたようだった。

 元々体力はある方だから、そのだるさもすぐにとれる。


 このところ、ミラベルの成人祝いの支度に、ここの掃除と、立て続けて肉体的にも精神的にも負担のかかる事が多かったから、やはり疲れがでたのだろう。

 そう考えると、相当無理矢理だったが、こうして休ませてもらって心身ともにリフレッシュ出来たのは良かったと、レティシアは思う。あのまま熱だけを下げて仕事に戻ったとしても、いつかまた同じように倒れたかもしれない。


「ちゃんとありがとうって言わないとね」


 ロヴに感謝の言葉を伝えなければと考えながら、ベッドから起き上がり首元下からの自分の姿を見てみると、襟元に白いレースの飾りが付いた、裾の長い可愛らしいネグリジェを着ていた。


「あれ?こんな可愛いの持ってたかしら……って、え!?」


 倒れた時はいつもの通りのメイド服だった。レティシアも流石にそれは覚えている。

 しかし、ベッドに入ってからは全く記憶にない。確かに布団で寝ていても違和感はなかったが、これは一体どうしたことだろう。


 まさか、ロヴが?いや、それしかないだろうと思う。このケルンの庭という場所にある魔王の屋敷に、誰が居るというのだ。


「う、うう……もしかして、見ら、れた?」


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