発熱 1
「どうした、顔が赤いぞ」
「ええ、ちょっと……ね」
「パーティーに、いい男でもいたのか?」
とんでもない、と口から悪態が飛び出そうとしたが言いよどむ。
今日のミラベルの成人祝いのパーティーでは、少なくとも顔だけなら色男たちは大勢いたなと思い返した。銀髪眼鏡の彼など、その筆頭だろう。
「まあまあ、かしら」
正直な感想を述べると、何故かニヤニヤとレティシアの顔を覗き込むロヴにムカついて、はたきでわざと埃をたてた。鼻にきたのか彼は、ぶへっ、と大きくくしゃみをする。
「おい、レティ!わざとやったろ!?」
「まさか。魔王様に向かって、そんなご無礼な真似は出来ませんわ」
「はたきはそんなにバタバタ叩くもんじゃないって教わってないのか?」
「なんでそんなに細かいこと知ってるのよ。やっぱり年齢詐称してません?」
「するか、馬鹿やろう!まだ二十代前半だ、俺は!」
魔陣牒は使うことが出来ないというこの屋敷で、当てになる労働力と言えば魔法か人力しかない。
当然レティシアが使うのは己の力のみだが、それだけではこの汚れきった屋敷は綺麗にする事は出来ない。だから初日に箒とはたきにちりとり雑巾と、掃除用具を一通り魔法で出して欲しいとお願いしておいた。
ミラベルのお世話に、こちらの掃除、ダブルワークを毎日こなさなければいけないのなら、少しでもやりやすい方がいい。
今どき掃除や洗い物などは、よほど困窮していなければ魔陣牒を使用して済ませてしまうものだから、王都に住むほとんどの若者はこのような掃除用具など存在すら知らない。
だから田舎育ちのレティシアはともかく、ロヴが簡単な説明だけで揃えてくれるとは思っていなかった。その時に、流石は魔王だ、若く見えるがいくつになるのかと尋ねると、あっさりと二十代だと答えたのだった。
「大体、魔王なんてそんなに若くてもなれるものなの?」
今日のパーティーでの疲れが残っているのか、どうにもつまらないことに引っかかってしまうレティシア。精神的にも色々きたが、慣れないドレスでの振る舞いに、肉体的にもすでにオーバーワーク気味だ。
はたきを振る手を止めて、すっかりと雑談モードになってしまった。そんな彼女の顔を一瞥すると、ロヴは首をすくめる。
「魔王なんてのは、大昔の赤の他人が勝手に付けた肩書きだ。若かろうが年寄りだろうが関係ないだろう。ま、都合がいいときだけは使わせてもらうがな」
「なるほど、それはそうねえ。ん?でも、私小さい頃、お祖母様に『魔王ロヴ』のお話を聞かされたわよ。あれは何よ?」
「魔法使いにも色々あるんだよ。弟子を育てて名を渡す派、実の子供に襲名させる派。ちなみに、うちは世襲制だ」
「は!?魔王が世襲制?」
「魔法使いだって人間だぞ。何百年も生き続けてられるか」
魔法使いの知り合いなど、目の前の男しかいないレティシアには、そんなこと知る由もない。そもそも魔法使いと名のる者が今現在のこの世界にどれだけいるのかもわからないのだ。
「はー、なんだか物語も現実を知ると色褪せるものね」
まだ混沌としたこの世界に散らばり落ちた魔法使いたちと、それを束ねる魔王の活劇。
魔獣や飛竜の争いなど、領地の子供たちとよく話し、遊んだ懐かしい思い出が浮かぶ。
しかし、まさかその魔王が世襲制で、掃除の苦手な横暴な男がその名を継いでいるなどとは夢にも思わなかった。
「それが現実ってもんだ。生々しくて悪いが、普通に嫁取りもするぞ。なんせ世襲制だからな」
「えっ!?あ、ああ……それは、そう、よね。うん」
さらっと言ってのけるロヴに、レティシアは口ごもる。
この一週間というもの、真面目にここへ通い、契約通り掃除と本当に簡単な料理を作ってきた。
あの魔陣牒は午後九時を過ぎると発動するらしく、ミラベルの就寝の支度を手伝い、自室の扉を開けると自動的にここへ連れてこられるようだ。
昼間に自室へ戻っても飛ぶことはなかったので、夜だけなのだろう。しかしそうすると必ずミラベルの就寝後に来ることになるから、契約の仕事をこなしていると、当然夜中までこの魔王の屋敷へ滞在することになる。
妙齢の令嬢が、独身男性のところへ一人で訪ねるなど本来はあってはならないことだ。それが夜中までなどなおのこと有り得ない。
そんなことはわかっている。わかっているが仕方ないではないか。それが契約だからと、自分に言い聞かせながら通っていた。
それに何をしているのかは知らないが、ロヴは意外と忙しいようで、レティシアが一通り仕事を終えた頃にようやく戻って来ることもよくある。
だからこそ深く考えすぎないようにしていたのに、彼が嫁取りという言葉を口に出したことで、一気に現実がおそってきた。
ミラベルが魔王召喚の折に言っていた『純潔の乙女の住む処』に明確な意図があるのなら、そういうことなのだろうと思うほどにはレティシアだってもういい年だ。
無意識ながらもずずっと足を後ろに動かしてしまった。
「なんだ、妙ちきりんな顔になってるぞ。レティ」
「ふぁっ、はい?そ、そんなことないわよ?」
「いやいや、目が据わってる。おっと、大丈夫か?」
中途半端に置かれた本に踵がひっかかり、体が不自然にのけ反ったレティシアの腰をあっという間に支え、何故かロヴがそのおでこを彼女のおでこにピタリとくっつける。
まさかの事態に言葉も出ないレティシアだが、急激に熱が顔に集まるのだけは理解した。
「あ、あ、あっ……」
目の前には、黒い瞳。そこを飾る黒く長い睫毛がまるでカーテンの様に覆いかぶさっているが、その隙間からは、きらきらと星が瞬くような輝きが散っていた。
今日だけは、綺麗、だと思う感想よりも、恥ずかしいという感情が上回る。
この瞳に見つめられること、そして見つめてしまうことが、とても恥ずかしいと思ってしまった。
だから、両手にぎゅっと力を入れてロヴの体を押し返そうとしたのだが、彼の呆れたような声で我に返る。
「やっぱり、お前熱があるぞ」
「へ?」
「来た時から変に顔が赤いと思ったんだ。パーティーの酒で酔ったのかと思ったが、それにしちゃあ高い」
「えーっと……ワインを少しだけよ。」
一気飲みはしたが、量自体はそこまででもない。そこを隠して伝えると、ロヴはレティシアをじろりと睨んでぶつぶつと文句を言い始めた。
「疲れてるときに酒はよくない。ともかく熱がこれだけあるんだからぐだぐだ言ってんな」
そう言われても自分ではよくわからない。確かに顔は熱いし、体もなんだか火照ってきているような気がするが、それほど大事にすることではないと口に出そうと瞬間、体はベッドの上に横たわっていた。
「は?魔法?」
「とりあえず横になって休め。今……持ってきてやる」
さっきまで本と紙と埃の山の中にいたはずなのに、何故か今レティシアは柔らかい布団の中にいる。ロヴは一言残してさっさと部屋の扉から出て行ってしまったから、残された彼女は全くと言って状況がつかめないままだった。




