召喚 1
新連載です。一話目は少々短めになります。どうぞよろしくお願いします。
二ヶ月に一度くる、暗澹の玉鏡が太陽を覆い隠し、漆黒の闇が一日の大半を支配するこの『黒の日』、待っていたとばかりに淡いブルーのドレスを身に付けた銀髪の美少女が、彼女の専属侍女であるレティシア・ロズベールの部屋へと忍び込んだ。
「待って、待って下さいませ、お嬢様!考え直しましょう」
侍女とはいえレティシアは、身分上はれっきとした伯爵家令嬢だ。
本来ならお仕着せのメイド服を着るような立場ではないのだが、その方が楽だから、そしてドレスを新調しなくてもいいからという理由で紺のメイド服と白いエプロンに身を包んでいた。
そんな格好ながらも、レティシアは出来るだけ淑女らしくと優しく訴えるが、その少女は綺麗に広がる銀髪をふるふると揺らしながら反抗する。
「嫌よ。絶対に呼ぶの!」
「いえいえいえ、止めましょう。きっとろくなことにはなりません」
「どうしてそんな事を言うの?折角あるのだから使わないと勿体ないわ」
勿体ないなど、どの口が言うのかと、小一時間ほど問い詰めたいくらいだが、そこはグッと我慢するレティシアだった。
なにせこの目の前の少女ミラベルは、アウデイン王国三大公爵であるサイガスト公爵家令嬢として生を受け、来週の誕生日で十五歳になる今日この日まで何一つ生活に苦労などしたことがないのだ。
勿論公爵令嬢としての教育を疎かにして、ただ甘やかされて育てられた訳ではない。
ミラベルが貴族としての教育に、淑女としてのマナーをきっちりと勉強しているのは、五年前から側で仕えていた身として、そこはレティシアが一番よく知っている。
だが、それとこれとは話は別なのだ。本当に止めて欲しい。何故なら――
「魔王は、勿体ないからと言って呼び出すものではありませんっ!」
「なんで?折角、ロヴの召喚用の魔陣牒があるのよ。普通使うわよ」
「ダメです!魔王、絶対に、ダメっ!というか、なんで、ここ、なのですか?」
ここはレティシアがサイガスト公爵邸の中であてがわれた部屋だ。
侍女とはいえ一応は伯爵家令嬢でもあり、ミラベルの専属ということで、公爵家で働く者の中ではかなり良い部屋を一人で使わせてもらっている。
だからという訳でもないが、元は客間だったというその部屋には、たまにこうしてミラベルが息抜きがてら遊びに来ることもあった。
そして、以前から魔王を呼び出し、願い事を叶えてもらうのだと言っていたことはあった。
しかし、まさか本当に……しかも、このレティシアの部屋で魔王を召喚するつもりだったとは思わなかった。
ぴらぴらと、ミラベルが振って見せるのは、大仰な蠟印でくくり止められた一つの魔陣牒。
世の中に色んな魔陣牒は出回っているが、そんなにごつい魔陣牒をレティシアは未だかつて見たことがない。
「なんで、って?それは……」
「それは……?」
ゴクリと息をのみ、レティシアは続きの言葉を待つ。
先に聞かされている『魔王を召喚したい理由』は、本当にくだらないものだった。
これで、『ここで魔王を召喚するべき理由』がとんでもないものだったら、ミラベルが自分の主人だろうが関係ない、無理矢理奪い取ってでも止めてやる、と意気込む。
暗闇にランプの光がほのかに揺らめく。
その向こう側で、美しい銀髪の少女がほんのりと顔を赤くして、こう言った。
「純潔の処女の住む処でなければダメなんだって」
だったら、自分の部屋でやれーっ!と、レティシアが叫ぶ間も無くミラベルは、さっと蠟印を割り、あっという間に魔陣牒を広げる。レティシアは、しまったと思ったがすでにあとの祭りだ。
ミラベルが両手をかざしたのと同時に、ゆらりと空気が歪んだと感じた。
その瞬間、真っ黒なぼさぼさの髪に、真っ黒なシャツとズボン、そして真っ黒なローブを身に着けた、全身真っ黒と言ってもいい、男の人らしき形のものがレティシアの部屋の真ん中に姿を現した。
そうして忌々し気に一言呟く。
「マジか?ふざけんな」
それはこちらのセリフだと、レティシアは心の中で大きく嘆いた。
――嘘でしょ?まさか、まさか本当に魔王が召喚されちゃったの!?