1話 ありふれた空想
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楽しんでいただければ幸いです。
「今日はずいぶんよい天気ですね」
俺は毎回この言葉をかけるようにしている。
喫茶店の窓に向かって並ぶカウンター席。俺たちはそこに並んで座っている。窓の外には都会の、見ているだけで少し小うるさく感じてしまう雑踏。緑でも見えれば少しはよいのだが、何年か前の都市開発で、歩道を広げるために都会の道路の木は姿を消してしまった。効率性が重視される時代なのだ。ただ、春の空は快晴できれいな水色が広がっている。俺は晴れの日が好きだ。
「何かしこまっているのよ。私たち付き合ってもう三年じゃない」
「そうだったっけ」
俺はわざととぼける。そういうことになっていたなとおぼろげに思い出す。
「もう、とぼけちゃって。次の記念日、忘れないでよ」
「わかってる。ふざけただけさ」
このまま畳みかけられそうになるので慌てて頼んでいたコーヒーを飲むふりをする。
「記念日、何が欲しい?」
「えぇっとね、ちょっと待ってね」
女は悩みだす。わざとらしく「うーん」とか「あれとあれと」とかつぶやいている。
答えを聞いて、てきとうに約束するよとか何とかいえばどうにかはぐらかせそうだ。柄にもなく少し焦った。だがいつものことだ、顔には出さない。いや、正確には、出ているかどうかはわからないが経験則的にばれないようになってきた、だ。
駅で待ち合わせてこの喫茶店に入ってかれこれ一時間は経っただろうか。そろそろ潮時かなと思っていると、店員に声をかけられる。
「お待たせしておりました。ケーキでございます」
「ケーキ? そんなの頼んでないけど」
ちらりと横を見ると、いたずらを成功させた少年のようにニヤニヤしている女が目に映る。
「ハッピバースデートューユー、ハッピバース――」
突然歌いだした。
女ばかりでなく店員も。途中からは周りにいたお客さんまで乗ってきて、喫茶店の中は大合唱になった。ネームドは一人だけか。
みんな俺の誕生日を祝っているのか。自然と涙がこぼれる、ようにする。
やがて歌い終わると、周りが「おめでとー」と声をかけてくる。女が笑いかけてきた。
「おめでとう。誕生日、なかなか教えてくれなかったから友達に聞いちゃった」
「もう、恥ずかしいな。わざわざ予約までしたのか?」
「そうよ。喜んでくれた?」
「まあね。ありがとう」
「どういたしまして」
女はまた微笑む。少し胸が痛むが、誕生日なんてよくあるパターンだ。もう慣れている。
やがて小さなケーキが運ばれてきた。偶然にも俺が好きなチョコレートケーキだった。ろうそくが一本だけついて乗っている。
俺は周りに促されるままろうそくをふきけす。周りから歓声が上がる。
「参ったな。どうお返しすればいいか」
「いいのよ、気にしないで」
「でもそれじゃあ申し訳ないよ」
俺は少し考える。女からの好感度を上げる方法を。できるだけ短期間で。
「そうだ、記念日のプレゼント何がいい? 僕ができる限りのことをするよ。これからプレゼントを買いに行こう。行きたいとことはある? 海外? 欲しいものはある? バッグとか?」
俺は思いつく限りのプレゼントやロマンチックな場所を挙げる。ただ女は首を振る。
この女はいったい何が望みだろう。
「何が欲しい? 言ってみて」
女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、こういった。
「指輪が欲しい」
俺は声が出なかった。衝撃が走る。大抵のことはとりつくろえるのに、今回はそうはいかなかった。
結婚を希望されたのは久しぶりだ。罪悪感が胸いっぱいに広がる。
もういいだろう。予定変更だがある程度場は整った。
「聞いてくれ」
女はこの状況に酔っていた。求める答えが返ってくると信じた顔だ。
俺は息を吸う。これは何回やっても慣れない。人の「ユメ」をぶち壊すのだから。俺はいったい何をやっているんだろう。
「この世界は想像の世界、ユメだ。君ならきっとわかるはずだ。今までのことをよく思い出してみてごらん」
女は驚いた様子だった。そりゃそうだろう。今までの人も必ずそうだった。
「僕と初めて会ったのはいつだい? 思い出せないだろ」
女は震える。そして絞り出す。
「三年前の夏、海の家で私が働いているとき――」
このパターンか。女がユメに入ったのは二か月前だと聞いているが、自分の理想と記憶とごっちゃになっているんだろう。そうでもなければ俺の所まで治療に来ないだろうから予想通りだ。
「わかった。わかった。じゃあ僕の目を見てくれ」
このパターンにはこう。
女は俺の目を見る。女の顔はみるみる青くなっていく。
俺は今まで隠していた本性をさらけ出す。これは人に説明できない。感覚で、ってやつだ。かなり前に数少ない友人に同じ目をしたところ、それは憐みの目のように見えると言っていた。ユメにすがるしかない人に対する憐みか。ひどく納得できる。
「僕……じゃなくて俺か」
「――あなた……誰?」
それからはいつものパターンだ。女は「嘘よ、嘘よ!」と辺りに喚き散らす。悲鳴にも似たその叫びはひどく悲しそうで、何より寂しそうだった。
やがて店員が駆け寄ってくるがお構いなしに女は叫ぶ。叫び続ける。この時には自分が空想の世界にいたことを半分分かっているんだろう。
近くにいた客は驚いて距離をとっているが、一人いたネームドだけは呆然と立ち尽くしていた。重症じゃなければこれを見ただけで元の世界に戻れるだろう。
女は叫びちらし、疲れたのか黙り込む。俺をにらみながら。
「あんたさえいなければ。あの人との暮らしは! なくならなかったのに」
女は泣き崩れた。一応襲い掛かられた時のために合気道をやっているが、どうやらその出番はないらしい。
女の体は突如ひかり始めた。光の玉が一つ二つと増えていき、女の体を包みこんでいく。音はしない。ただ辺りの人間の声がうるさいだけ。
女はたぶん幻想的に消えていった。消える最後は見ないようにしているからわからないけど綺麗に消えると聞いている。見ないのもいつものパターンだ。
パターン、パターン、パターン。俺はそうやって世の中をテンプレート化する癖がある。そうやって型にはめて物事をして今のところは成功している。
ケーキを食べる。うまい。
春の日差しが心地よい。俺は晴れの日が好きだ。
そしていつものパターンでこうつぶやく。
「ごめんな」
そこで世界は暗転した。
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