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昨日の君に、さよなら  作者: WW
第2章
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不思議な君に、なんだか 6

 胸に手を当てて呼吸を整える雅也の横で、静香は彼の左手を横目で見る。

 息づかいで上下する手はわずかに開かれている。そこに自分の手を躊躇いがちに伸ばすものの、寸前のところで止まってしまった。顔が赤らみ、このまま行くかやめておくか逡巡している静香は、雅也の視線に気づかない。


「何やってるの?」

「え、え? な、何が?」


 慌てて手を引っ込めて知らんふりをする静香。その様子を見て違和感を持った雅也はニヤリと笑みを浮かべる。


「……あ、もしかして」


 静香は耳まで熱くなり、視線を泳がせた。見透かされたような気がして、落ち着かない。平静を保とうと組んだ手を握る力が強まり、指が白んだ。


「あれだけ言っておいて、本当は怖いんだ?」

「へ? いや――う、うん。実はそうなんだよ」

「何か意外。姫野はこういうの全然平気だと思ってた。ノリノリだったし」

「楽しいけど、やっぱり怖いものは怖いからさ、あはは」


 順番が来て、二人は扉の中へ進む。

 薄暗がりの中で、静香は安堵の表情で胸をなで下ろした。


 反対に雅也はせり上がる恐怖を必死に押さえつけて歩く。まったく心が安らがない。本当は叫び声を上げながら走って行き、すぐにここを出たいのだが、静香の手前そうも行かない。みっともない姿を見せて笑い種にされてはたまったものではない。


 京子の最初の悲鳴はどうやら本当に悪ふざけだったようだ。何も出てこない。おおかた自分たちを怖がらせようとしていたのだろうと、雅也は少しだけ恐怖が薄らいだ。


 次の瞬間――


「ひゃっ」

「…………ん?」


 悲鳴に身構えた静香は、わずかな間を置いて首を傾げた。目が慣れてきて、周囲の様子はある程度見えるようになっていた。だからこそ、周りには自分たちしかいないことが分かる。だとすれば、今の悲鳴はいったい――。


「もしかして、今の雅也くん?」

「え、え? い、いや、ち、違うけど?」


 上擦った声で否定されたら、それは肯定と同義だ。


「随分と……可愛い悲鳴だね」

「い、いや、違うんだ。今、手に何かが触れて」

「……それ、私の手だから」

「あ……そう、か」


 互いに交わずべき言葉が見つからず、沈黙のままその場に佇む。

 気まずい。雅也はこの場から消えてしまいたいくらいに燃えるような羞恥を抱き、何とかしなければと焦りが募る。額と背中に汗が滲んだ。


 その空気を変えたのは水の音だった。水面に滴が落ち、跳ねる音。それがポタポタと大きくなっていく。無機質な壁に反響しそれは様々な方向から聞こえ始め、火照っていた身体が急激に冷めていく。背筋を舐めるような悪寒が走り、雅也は通路の先に視線を向けた。


 そこには何もない。何もいない。


 分かっている。それが分かっていても寒気が止まらない。

 不気味な空気。水の音はペタペタと床を叩くような音に変わる。


「ひ、ひめの……こ、これはまさか」

「ああ、結構怖いよね、これ。けど、ただの音だから――」


 肩に当たる温度を感じて、静香は言葉に詰まった。

 雅也は静かに身体が寄ってしまっていることに気がつかない。それどころではなかった。


「やばいやばいやばいやばいやばいやばい」

「ど、どうしたの?」

「いや、あれ本物だろ絶対本物だよやばいよ憑かれちゃうよどうしよう」


 耳元で聞こえる声に、静香は思わず吹き出しそうになる。

 静香は雅也に手を差し出した。


「おいで。私がいるから大丈夫だよ」

「い、いけめん……」


 細い手を握ると、同じくらいの力で握り返してくれた。心細い気持ちに寄り添うような彼女の温もりに、少しだけ恐怖が取り除かれた。


「もー。こういうのは男の子の方がやらないと駄目でしょ」

「いや、ちょっとそんな余裕がないんだよなあ」


 放さないようにしっかりと手を握りしめ、雅也は静香の横を歩く。最初はそれだけだったのだが、次第に耐えられなくなり、もう片手を静香の腕に添えた。


「怖がりすぎじゃない?」

「いや、普通に怖いだ――ひっ」


 横から飛び出てきた何かに、雅也は飛び退きながら静香に抱きついた。


「あ、ちょっ――」


 床が濡れていたせいで静香が踏ん張ろうとした足を滑らせ、雅也は飛びついた勢いのまま静香を押し倒してしまった。

 ぎりぎりのところでせめて静香の身体を守ろうと機転を利かせた雅也は彼女の背中に腕を回す。腕に衝撃が走るが、痛みなど感じない。


 それよりも何よりも。


 鼻腔を通り抜ける甘く爽やかな静香の香り。

 抱きしめた静香の柔らかい身体。

 胸部に強く主張する弾力のある物体。


 何もかもが刺激的で。何もかもが限度を超えていた。


 心臓が飛び出るほどに跳ねまわり、耳元で太鼓を激しく叩き鳴らされているようだった。それが静香に聞こえてしまっているのではないか。不安と焦燥ですぐにでも離れようと思うのだが、冷静さを失っているせいか身体が言うことを聞かない。それは何も身体だけというわけではなくて、頭もやられてしまっているらしい。腕を動かすことができない。


 耳元で聞こえる静香の吐息が妙に艶めかしくて、胃を吐き出してしまいそうなほどの緊張が襲いかかる。鼓動は速度を増していき、まるで何かのタイムリミットが近づいているような錯覚を覚える。


「雅也くん……人が来ちゃうよ」

「あ、ご、ごめん」


 その声でようやく身体の拘束が解けた。静香の身体を起こしながら立ち上がる。


「……えっち」

「ご、ごめん」


 ああ、と雅也は頭を抱えたい衝動に駆られた。下着を見てしまった件に続き、今度は抱きついてしまった。どちらも故意ではないものの、やってしまったのは事実。これを人質に今度はどんな要求をされるか、想像もできない。

 それよりも。今は静香への申し訳ない気持ちの方が強かった。


「ごめん。その……」

「大丈夫。分かってるから。事故、だよね」

「本当にごめん」

「いいっていいって。気にしてないから。さ、行こ?」


 静香は手を差し出さなかった。


 二人は微妙な距離感を保ちながら進んでいく。

 途中、いくつもの怖がらせる仕掛けがあったのだが、雅也は驚きもせず声もあげず、ただ歩いていた。

 少し前を歩く静香の背中を見つめ、まだ腕の中に残る柔らかな感触に心がざわめいた。

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