不思議な君に、なんだか 3
「早く行こう?」
静香が待ちきれないといった面持ちで、全員を見回す。
うずうずしているのが表情から分かる。見た目だけで言えば、子供らしいその反応は京子の方が似合う。
どちらかと言えば静香は落ち着いた大人な反応をすると思っていた。そのため、今の静香はとても意外で、新鮮だった。
「うん、行くんよ! レッツゴー」
陽気な合図で、京子と静香が歩き出す。その後ろを笑顔の孝多が行き、さらにその後ろに雅也。女子二人は会話を弾ませ、男子二人は口を開かない。
会話に気を遣わなくて済んだと思ったのも束の間。孝多が歩く速度を落として雅也の隣に並んだ。
「悪いな」
「……何が?」
苦笑する孝多を一瞥する。
「今日、本当は静香とデートだったんだろ?」
「別に。無理矢理来させられただけだよ」
「そうなのか? まあ、邪魔だったら言ってくれ。京子は押さえつけとくぜ」
親指をグッと立てる孝多に、雅也はため息を漏らしそうになる。
孝多はとても良い奴に感じた。多くの人から慕われている理由も頷ける。だが、雅也にとってそれはただのありがた迷惑でしかなかった。押さえるというなら、静香の方をどうにかして欲しかった。
それに、邪魔と言うならむしろ自分の方だろう。
周囲の華やかな光景から目を逸らすように、雅也は足下に視線を落とした。
「なになに? 男子は何を話しているんかなー?」
いつの間にかすぐ目の前にいた京子が男子二人を覗き込む。
「何でもねーよ。男同士の話だ」
「ほほう……これはえっちい話な予感」
「京子はすぐそっち方面に話を持って行きたがるな」
心なしか冷たい視線を京子から感じた雅也は、身の危険を覚えて顔を逸らした。その先にちょうど静香がいて、偶然に目が合う。
「…………っ」
静香はわずかに頬を染めて、何かを隠すように太腿あたりで手を組んだ。そのせいで、雅也は理科準備室で見た桃色の下着を思い出してしまう。
二人ともほとんど同時に目を逸らして、雅也は頬を掻くことで赤くなっていることを誤魔化した。
幸い、京子と孝多は会話をしていたために気づかなかったようだ。
二人はぎこちない距離感を保ったまま歩く。だが、すぐに静香が身を寄せた。雅也にしか聞こえないささやき声で言う。
「あの、さ。もしかして、孝多に、その…………言った?」
「へ? な、何を?」
ぐっと言葉を詰まらせ、羞恥に頬を染めたまま目を尖らせる静香。
もちろん、雅也は静香が何のことについて言っているのか分かっていた。だが、彼女と同様に恥ずかしくて自分の口から言えなかったのだ。
「し、下着……のこと」
「い、言うわけないでしょ」
「……そっか」
それを聞いて安心したのか、ほっとした表情で雅也から身を離す。
パンツパンツと連呼して雅也を服従させた静香だったが、やはりそこは女の子。恥ずかしいことに変わりはないようだった。
人間とは一度意識してしまうとなかなかそこから離れられないものだ。違うことを考えようとしても、わずかな思考の空白に滑り込んでくる。
雅也は今まさにその状況に陥っていた。
今日は何色の下着を穿いているのだろう。
そんなことを考えてしまう。
すぐに頭の中から追い払おうとするのだが、静香の姿が視界に入る度にまた戻ってしまう。
拳を握りしめ、必死に耐えていた雅也を救ったのは京子だった。
「あ、見えてきたんよー」
弾む声に目を向けると、虹のように多くの色彩で飾られた門が見えた。
『Toyonaga Amusement Park』と描かれたそれこそが、豊永遊園地の入り口だ。門には自動改札機が設置されている。ただし、駅と同じような機械感のあるものではなくて、ポップに色づけがなされ、遊園地としての外観を損なわないように配慮されていた。
端に券売機が数台あり、そこにはたくさんの人が行列を作っている。
京子たちは列に並ばずにそのまま入場口へ向かった。
「へっへっへー。じゃーん」
京子がポーチから取り出したのは四枚のチケット。それをペラペラと閃かせ、得意げに目を瞑る。
「並ぶなんて時間がもったいないんよ。ネットで事前に買っとくのが常識なんよね」
「さすが京子」
静香の賛辞でさらに鼻を高くして、京子は平らかな胸を強調するように反らす。厳かな動作で一人ひとりにチケットを配るが、雅也が取ろうとした瞬間に手を引っ込めた。
「欲しいか、小僧?」
チケットをひらひらさせて、京子は見下すような目つきで雅也を見上げる。
そのちぐはぐさに呆れのような疲れのようなもの感じて、別に欲しくないと言いかける。その直前、京子の手からチケットが奪われた。
「はい、雅也くん」
「あ、ありがとう」
「ちょっと京子。雅也くんに意地悪しないで」
静香は京子の脳天に手刀を叩き込む。
京子は頭を押さえながら不満そうな声を漏らし、キッと雅也を睨みつけた。お前のせいだとでも言いたげな視線に、雅也はげんなりした顔で嘆息する。完全に目の敵にされてしまったらしい。
そんな様子を孝多は楽しげに笑っていた。
「お前ら意外に仲いいんだな」
どこがだよ、という雅也の呟きは誰にも届くことはなかった。
改札を抜け、一行が真っ先に向かったのは『トルネード・ハイクリフ』という名前のジェットコースターだった。豊永遊園地において、最大にして最強の絶叫アトラクション。その名の通り、高い崖からの急落下のような斜面と、竜巻のような螺旋が組み合わさったコースだ。多くの絶叫好きに愛され、園内で最も人気のある乗り物だった。中には一日に一〇回以上乗る強者もいるという。
開園直後ということもあり、待ち時間は三〇分程度。興奮を隠しきれない静香と京子。一挙手一投足から感情の高ぶりが垣間見える。孝多も同様で楽しみにしていることが窺えた。
そんな中、雅也は一人顔色が悪かった。
「どうしたの?」
様子に気づいた静香が首を傾げる。
チャンスだと思った雅也は、少し大袈裟に嫌がる素振りをして見せた。
「僕、絶叫系は駄目なんだよ」
「え、そうなの?」
残念そうに眉尻を下げる静香とは対照的に、京子は鼻で笑う。
「絶叫系に乗れないとか、お子様なん? 本当に高校生?」
「悪かったな、お子様で」
どれだけ馬鹿にされようとも、逆上して乗るなどという愚行は犯さない。乗らずに済むのなら、どんな言葉でも甘んじて受ける所存だ。
「何に乗って駄目になったんだ?」
孝多の問いかけに、雅也は心の中で歯噛みした。余計なことを。
「いや、乗ったことはないんだけど、無理なんだよね。乗ったら死ぬ気しかしない」
その発言に目を光らせた京子が下卑た笑みを浮かべる。
嫌な予感がして、雅也は話を逸らそうとしたが間に合わなかった。
「へー、じゃあ、乗ってみたら案外楽しかったってこともあるんよね?」
「いや、だから――」
「確かに! 乗らず嫌いってこともあるかも! 雅也くん、乗ってみようよ」
パッと花が咲いたような笑みで京子に便乗する静香。そんな表情をされると断り難い。
そこへ、京子がとどめを刺す。
「仕方ない、雅也には静香の隣に座る権利を与えるんよ」
楽しみだね、と顔を綻ばせる静香に曖昧な笑みを返し、京子に抗議の目を向ける。
京子は素知らぬ顔で口笛を吹きながらそっぽを向いた。
京子の目論見は分かっていた。
静香の隣で醜態を晒させ、悪印象を与えたいのだ。雅也としてはそれはそれで一向に構わないのだが、ジェットコースターに乗るのは嫌だった。命を削るような真似をしてまで静香を遠ざけようとは思わない。
何度も抵抗を試みた雅也だったが受け入れられず、極めつけの『パンツ』で逃げ出すこともできず、ついに順番が来てしまった。
静香に背中を押され、座席へと座らされる。すぐにバーを下ろされ、かっちり固定された。これでもう逃げることはできない。
コースターが動き始めた。
雅也はこれから訪れるであろう恐怖に息を呑む。
初めのうちは何てことのないカーブや直線で、心を乱すようなことはない。問題は、目の前に見えてきた上り坂。そして、そこからの急落下だ。
坂にさしかかり、速度が急激に落ちた。
カチカチという不気味な音が足下から響く。身体が九〇度傾き、ゆっくりと天へ向かって進む。焦らすような速度が落下したくないという思いを募らせる。それとは反対に早くしてくれという矛盾した気持ちが芽生えた。その焦らしが乗客の気持ちを高めるエッセンスなのだろうが、雅也にとってそれは拷問でしかなかった。
周囲からは興奮が漏れ出ていて、頭のおかしい奴らめと雅也は唇を噛んだ。
ようやく山を登り終え、頂上に達した。わずかに平坦な道を行くが、その先にはもう道が見えない。待っているのはさらに強烈な地獄。
「怖い? 手を握ってあげようか?」
挑戦的な目つきで静香が顔を寄せる。
それが少し癪に障って、雅也は鼻で笑った。
「そ、そんなわ――」
突然、身体の正面から強烈な圧力を感じ、すぐに浮遊感に襲われた。鳩尾のあたりをすうっと何かが通り抜けていく感覚が気持ち悪く、雅也は安全バーを強く握りしめた。
前後から男女の悲鳴が上がる。どれも楽しそうな声色で、こんな鉄の塊に乗る命知らずな彼らのことを素直に異常だと思った。狂気じみている。
急降下を終えて、ようやく平穏が戻ると思いきや、すぐにコースターが反転し、ぐるぐると螺旋のコースを回る。目まぐるしく上下が入れ変わり、自分が回っているのか、世界が回っているのか分からなくなる。
できたのは湧き上がる恐怖を叫ぶことだけだった。
ゆっくりと乗り場に車体が滑り込む。安全バーが開き、ようやく視界が定まった。雅也は立ち上がるが、足下がおぼつかずによろめいた。
「大丈夫?」
包み込まれるようにして静香に支えられた雅也は、あまりの気持ち悪さに何の抵抗もできず、介抱されるままに歩いた。四人がけのベンチに座らされ、ようやく人心地がついた。ぐだっと座って、深く息を吐く。
「ジェットコースター駄目なら言ってよ」
「言ったんだけど……」
「あれ、そうだっけ? ごめん」
満面の笑みで謝られても、確信犯にしか見えない。
「ごめん。まさか本当にそこまで駄目だとは思わなくて」
孝多から水を受け取り、雅也はそれを胃に流し込んだ。喉を冷たいものが落ちていくのが分かる。もう二口ほど含んで、背もたれに身体を投げ出した。
「悪いけど、僕ちょっとここで休んでるよ。みんなは満喫してきて」
本当に気分が悪いし、これは絶好の機会だと思った。
これで結構な時間を一人で潰すことができる。救護室で寝るという手もある。
「じゃあ、私もいるよ。京子たちは気にせず乗ってきて」
「え、じゃー私も。コータは気にせず乗って来るんよ」
遊園地を一人で回れという狂気の沙汰を言い渡し、ベンチに腰掛けようとする京子。その首根っこを掴んで、孝多は雅也たちに手を挙げる。
「じゃあ、俺らは遠慮なく回ってくるわ」
「は? コータ一人で行くんよ?」
「いいから行くぞ」
京子は駄々っ子のように暴れながら引きずられていく。静香に手を伸ばして助けを求めるも、静香は苦笑して手を振り、それを見送った。
やがて京子の声が聞こえなくなり、遊園地の喧噪が戻る。