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昨日の君に、さよなら  作者: WW
第2章
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不思議な君に、なんだか 1

 雅也は理科室の掃除ロッカーを開けて中身を確認した。箒やチリトリを数えて手元のリストと照合する。数が合っているのを確認し、理科室と書かれた欄にチェックを入れる。


 今日は月次作業である掃除用具点検の日だった。日次の活動から一週間しか経っていない。

 月次も当番制で回していて、日次と月次の周期は独立している。運が悪いと被る日もあり、それは美化委員にとって運の悪い日だった。その日は必ず良くないことが起きるというジンクスがあるのだ。そんな迷信じみたものを雅也は信じていないし、そもそも今回同じ日には被っていないのでどうでもいいことだった。


 だと言うのに。


 今日は運の悪い日だと言っても差し支えないだろうと、少し離れたところにいる女子生徒を見て思う。


「部活行ったら?」

「ううん。私も美化委員だし!」


 ため息を吐きたい衝動に駆られたけれど、必死に我慢した。おかしい。記憶では一週間前に彼女を怒らせているはずだ。

 雅也は掃除ロッカーの扉を閉めて隣の教室へ向かう。

 そのうしろをついてくる彼女は気まずそうでもなく、かといって怒っているわけでもない。むしろ明るく、溌剌としている。この前と別人なのではと疑うほどだ。


 こういうタイプを雅也は苦手としていた。ぼっちに対して平気で話しかけてくるからだ。こちらが用意している対人防壁を素手で破壊してくる。もはや化け物である。


 雅也のパーソナルスペースは教室いっぱいを使っても足りないのだけれど、静香はほとんどないに等しいようだ。

 何でもない顔で雅也の手元のリストを覗き込んでくる。その度に、雅也は身体を反らしてできるだけ距離を取った。


 近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い。


 その悲鳴は彼女に聞こえることはないし、聞こえても無視するに決まっている。


 隣の教室は理科準備室。科学や物理などの理系授業に使用する、ありとあらゆる備品が詰め込まれた倉庫だ。割れ物や高価な物もあるため、この部屋の点検は慎重に行わなければならない。美化委員からは不評な場所だった。

 入るなり静香は雅也の手元からリストを奪い取って、軽やかな足取りで掃除ロッカーへと向かっていく。


「走るなよ」

「へいきへいきー」


 と言っている側から、彼女は肘を何かに当てた。


 人体模型。


 一〇万はくだらないことを知っていた雅也は思わず叫んだ。


「馬鹿!」

「え?」


 前後に揺れる人体模型。その揺れ幅は瞬く間に大きくなり、傾き始める。

 壊したら弁償。その言葉に雅也はいつも以上の動きを見せ、人体模型の下に身体を滑り込ませた。

 

 雅也を影が覆う。

 程よく筋肉のついた太腿と桃色の下着が見えた。滑らかなシルク素材が艶めかしい。人体ではあるものの、それは模型ではなかった。


 すぐにそれの正体を悟って抜け出ようとする雅也だったが、一歩も二歩も遅かった。

 人体模型を元の位置に戻し終えた静香と目が合う。自分の下に雅也の顔があることを不思議そうに眺めていたのも束の間、すぐに静香の顔が真っ赤に燃え上がった。


「っ――」


 スカートを押さえて、さっと後退する。さすがのフットワークだ。

 静香は床にへたり込み、雅也を睨みつける。

 静香が叫び声を上げなかったのは雅也にとって幸運だった。叫ばれていたならば間違いなく変態という汚名を背負わされ、これからの学校生活が地獄と化していただろう。


「あっ、その」

「……最っ低!」


 言葉が雅也の心に突き刺さる。

 快活な静香の印象から、桃色の女の子らしい下着を穿いていることが予想外で見てしまった罪悪感が重くのしかかる。


「あ、いや、わ、わざとじゃ……」

「わざとじゃなかったら、見てもいいの?」

「……よくないです」


 静香は慎重に立ち上がり、スカートの裾を払う。スカートを押さえるように正面に手を置いていて、いかに信用されていないかを雅也は痛感した。

 そんなアクティブに覗きに行かないから警戒しなくてもいいよ、とは言えない。覗きの話をこのまま続けても百害あって一利なし。話題を変えようと雅也は口を開いた。


「さて、美化委員の仕事を――」

「ねえ、女の子のパンツ見ておいて、それで終わり?」

「っ――」


 思わず変な声が出てしまい、雅也は慌てて口を押さえる。言っている意味が分からず目を見開くと、静香は唇を噛みしめた。俯いているせいで目元が黒髪で隠れている。表情は窺えないけれど、その頬はわずかに紅潮していた。


「だから、女の子のパンツ見たんだからすることあるでしょ?」

「することって……」


 分からないと言いかけて雅也は納得した。なるほど確かに。女の子のパンツを見ておいて、まだ謝っていなかったのだ。

 面と向かって言うのは恥ずかしく、静香から顔を背ける。


「……ごめん」

「うん。それで?」

「え、それで?」

「うん」


 視線を彷徨わせ、静香が何を言っているのか考える。白い天井は日差しで焼けたのか黄ばんでいて、ところどころに小さな穴が空いている。そこに答えが書いているわけでもないのに、意味もなく視線を往復させる。


 まったく見当がつかない。謝った後に何をすべきか。

 雅也は考えた。考えて考えて、あらゆる可能性を潰し、あらゆるアイデアを捨てる。その結果、はたと思い至った。

 雅也は先ほど、パンツを見たことに対して謝ったつもりだった。静香もその認識だったならば、そこで終わっていたはずなのだ。しかし、終わらなかった。それはつまり、その謝罪対象がことなっていたと推測できる。では、静香は何に対して謝ったと思ったのか。


 そう――感想を言わなかったことに対してだ。


 例えば、他人に何かを見せるとき、当然ながら見せたものに対する感想が欲しいという期待がある。受けた側はそれを汲み取って感想を言う。そうしてコミュニケーションが成り立っているのだ。


 雅也はその答えに辿り着いたものの、踏ん切りがつかなかった。パンツの感想を言うなど生まれて初めてのことだった。目を細める静香と視線が交錯して、雅也はごくりと唾を飲み込んだ。

 覚悟を決める。


「そ、その……か、可愛いパ、……下着だね」

「……え?」

「え?」


 きょとんとして顔を引き攣らせる静香。


 感想を間違えたかと不安になる雅也。


 沈黙が通り過ぎる間、二人は互いに相手の意図を推し量る戦いを繰り広げる。


 先に動いたのは静香だった。

 眉間を押さえ、頭痛に耐えるように顔を顰める。


「もしかしてなんだけど、違ってたらごめんなんだけど。……今、私の下着に対する感想を言った?」

「え、だって――」

「そ、そんなこと求めるわけないでしょ!」


 もの凄い剣幕で怒鳴られ、雅也はようやく自分が根底から間違っていたことに気づく。

 いや、薄々は気づいていたのだ。彼女が下着を見せて感想を求める変態であるわけがない。ただ、この間と今日で怒ったり笑ったりと雰囲気の変化が激しかったので、通常ならあり得ないこともあり得るのではないかと邪推してしまったのだ。


「ご、ごめん……」


 雅也は耳まで赤くして、掃除ロッカーへ早足で向かう。

 消えてしまいたい。気まずい。早く仕事を済ませて帰ろう。


 扉を開けて掃除用具を数え始める。だが、その数が正しいか確認するためのリストがなかった。探そうとしたところで目の前にひょいっと現れる。その先には静香がいて、にっこりと微笑んでいた。


「はい、これ必要でしょ?」

「あ、ありがとう……」


 恐る恐る受け取る。何も起きない。

 静香は後ろ手に組んで出口の方へと行ってしまった。


 雅也は安堵の息を漏らし、リストと照合して問題ないことを確認。チェックを入れる。


「よし、次で最後か」


 長い放課後だった気がして、雅也はほんの少しの達成感を抱いた。

 けれど、それは始まりに過ぎなかった。


「あの、出られないんだけど」

「どいて欲しい?」


 静香が出口を塞いでいるせいで外に出ることができなかった。またしてもにっこりと笑う静香に、雅也は背筋に悪寒が走るのを感じた。思わず一歩退く。それを合図してか、静香はふっくらとした唇をゆっくりと開いた。


「今週の土曜日、京子たちと遊びに行くんだけど――雅也くんも行こ?」

「いや、その日はちょっと予定が……」

「パンツ」

「……いや、ちょ」

「可愛いパンツ」

「…………」

「先生! 下からスカートの中を――」

「ああああああああああああああ」


 廊下に向かって叫びだした静香の腕を引き、口を押さえて無理矢理黙らせた。しかし、遮れたのはほんの一瞬だけで、すぐに手首を取られて簡単に外される。

 壁に思い切り叩きつけられ、肺から空気が押し出された。苦悶に表情を歪ませるも束の間、顔のすぐ隣に手のひらが勢いよく叩きつけられた。ペチンという音が無音の部屋に響く。


 人生初の壁ドンである。


「行くよね? 一緒に」

「は、はひ……」


 超近距離からの決め技に、雅也はあっけなく堕ちたのだった。

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