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昨日の君に、さよなら  作者: WW
第6章
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大好きな先輩に、愛を込めて 1

 切ったばかりの黒髪をいじりながら、彼女は柱に背をもたれて行き交う人を眺めていた。ミディアムボブにしたはいいものの、頭が軽くなったせいで少し落ち着かない。


 歩いてくるカップルを見つけて、ニヤリと口元を歪めた。


「さて、最後の下準備です」


 彼女はカップルの前に立ち塞がると、とびっきりの笑顔を咲かせた。


「ちょっと、お話いいですか? せーんぱいっ」


 彼女と同じ髪型をした女は顔を引き攣らせ、明らかな嫌悪を示した。



 *



 一〇月末の文化祭に向けて、どのクラスも着々と準備を進めていた。雅也のクラスは執事喫茶を開くことになっていた。

 メイド喫茶という案も出たが、すぐに女子によって却下された。理不尽だという男子の意見をはねのけ、女子一丸となって執事喫茶を強行採決した。喫茶店はホールとキッチンに分かれていて、ホールは執事の格好をしなければならない。必ずどちらかに就かなければならないので、雅也はキッチンにした。


 キッチンと言っても何か料理を作るわけではなく、お菓子や飲み物を用意するだけの簡単な仕事だった。生ものを提供できず、火も使用不可なので、料理ができなくても洗い物さえできれば問題ない。


 準備はなるべく全員参加ということだったが、部活に入っている人は部活が優先になってしまうので、自然とできる人は限られてくる。ギリギリになって遅くまで残ってやることになるのは面倒なので、雅也は仕方なく毎日作業をしていた。教室を喫茶店に見せるための装飾品や執事服などを作る仕事が主だ。手先が器用な雅也は淡々とそれをこなしていった。


「せーんぱい」


 放課後になってすぐ、明るい声色が教室に響く。クラスの視線が一点に集まり、その人物が雅也の前で立ち止まった。


「先輩、どうです?」


 その場でくるりと一回転して見せ、黒髪をふわりと広がらせる。


「どうって……何で来たんだよ」

「ちょっと、先に感想じゃないですか? 彼女が髪の毛を切って来たんですよ? しかも黒染め! 先輩ってこういうの好きですよね?」

「彼女じゃないから……」

「髪型は否定しないんですね?」


 憂鬱な気持ちになった。確かに黒髪ボブにすることで紗理那の可愛さが一段階引き上がったように見えた。しかし、それをわざわざ教室でやらなくてもいいではないかと、雅也は後輩に抗議の目を向ける。

 それに対して、紗理那はベロを出して誤魔化した。


「先輩、一緒に帰りませんか?」

「いや、作業が……というか、部活あるだろ」

「んー、お休みします」


 椅子が勢いよく引かれ、誰かが立ち上がった。足音が近づき、雅也の視界に入った。


「紗理那、最近休みすぎだよ。大会近いんだから――」

「静香先輩! そんな怖い顔しないでくださいよ。ちゃんと出ますって。ところで、孝多先輩との仲は進展しましたか?」


 静香の視線が一瞬だけ雅也を捉えた。少し動揺した様子で、静香は紗理那を睨みつける。


「その話、今は関係ないよね」

「えー、そうですか? むしろそちらの方が重要だと思いますけど。まあ、そうですね。ごめんなさい」


 まったく悪びれた様子のない紗理那に、静香の表情が苦悶に染まる。何かを言いかけて、ぐっと吞み込んだように見えた。


「静香、落ち着け。部活行くぞ」


 孝多が静香の肩を叩く。躊躇いの色を浮かべていた静香だったが、大人しく頷いた。


「お熱いですね」

「有明、いい加減にしろ」


 凄みを利かせた孝多の言葉に、さすがの紗理那も黙り込んだ。いつもなら茶化すところだが、さすがにそういう雰囲気でないことは察したらしい。

 孝多と静香が教室からいなくなると、今まで息を止めていたのかどっと息を吐いて、紗理那が崩れ落ちた。机に腕と顎を乗せて苦笑を浮かべる。


「あちゃー。怒られちゃいましたね、先輩」

「怒られたのは紗理那だろ」

「えへへ、じゃあ先輩。紗理那は部活に勤しんで来るので、終わるまで待っててくださいね」

「分かった」


 その言葉に、紗理那は目をキラキラさせてにじり寄った。


「あれ? あれ? 今日の先輩やけに素直ですね。もしかして、もしかしちゃったりします? ついに紗理那のこと好きになっちゃいました? あー、これはまずいですね。紗理那のこと忘れちゃいますよ。これじゃあ先輩は童貞に戻っちゃうじゃないですか」

「したことないだろうが。ねつ造するな」

「童貞ということは否定しないんですね?」

「うるさい。文化祭の準備があるだけだ。あと三日だし、そろそろラストスパートかけないといけない」

「なんだ、そういうことですか? だったら先に言ってくださいよ! 紗理那なんのために怒られたんですか!」


 紗理那は頬を膨らませて可愛く怒ってみせる。リスみたいだなと思いながら、その膨らみを指で押し潰した。


「早く行けよ。また怒れるぞ」


 紗理那を送り出した雅也は好奇心旺盛な視線に居心地の悪さを感じながらも、作業に取りかかった。



 *



 一九時を回っていた。もうクラスには雅也しかいない。作業が一段落し、準備の終わりも見えてきた。今日はこれくらいにしておこうと、雅也は片付け始める。


「あれ、雅也くん、一人?」


 振り返ると、そこにいたのは静香だった。前髪が少し濡れていて、制汗剤の爽やかな香りが仄かに香る。ジャージ姿の彼女はエナメルバッグを机に置いて、雅也の近くに膝を折った。


「手伝うよ」

「ありがとう」


 二人は無言のまま手を動かした。すべての机を元に戻して、ようやく帰ることができる。


「助かった」

「ううん。ごめんね。部活で手伝えなくて」

「いいよ、別に。暇だし」


 すると静香はクスクスと笑い始めた。特に面白いことなど言った覚えのない雅也は目を細める。


「何だよ」

「ううん。ごめんごめん。変わらないなと思って」

「何の話だよ」

「何でもない。雅也くんってさ、ああいうのが好きなの?」


 首を傾げると、静香は雅也に背を向けて窓際に歩いた。黒く染まった景色を眺めながら、ゆったりとした口調で言う。


「紗理那みたいな、女の子らしい髪型」


 放課後に紗理那が髪型を見せびらかして来たのを思い出して、何だか急に恥ずかしくなった。


「まあ、そう、だな」

「そっかー。じゃあもしかして、パンツよりスカートの方が好き? あ、パンツってズボンのことだからね」

「わ、分かってるよ……。んー、スカートの方が好きかな」


 この問答に何の意味があるのだろうか。雅也はその真意が分からない。

 一瞬の空白。静香は振り返って、頼りない笑顔を浮かべた。


「そうだったんだ。何だ、もっと早く知っておけばよかった」


 雅也が何のことか尋ねようと口を開きかけるが、静香はそれを許さない。


「紗理那とはうまく行ってるんだ?」

「いや、付き合ってないから」

「またまたー。いつも一緒にいるじゃん。登校のときも、下校のときも。紗理那のこと……忘れないの?」

「え?」


 予想外の言葉に雅也は狼狽した。それを見た静香は困ったように笑って、雅也に向かって歩き出す。


「知ってるんだよ、私。雅也くんは忘れちゃったかもしれないけど、……元カノ、だから」


 消え入るような声で、静香は雅也の横を通り過ぎた。

 振り返ろうとした雅也を静香が押さえる。


「…………ずるいなあ」

「姫野……」

「っ…………日記は、どうしたの?」

「日記?」

「ううん。何でもない。そうだよね。変なこと聞いてごめんね。……お幸せに」


 肩を押さえていた手が離れて、雅也は振り返る。すでに静香はエナメルバッグを肩にかけて教室を出るところだった。


「おい、姫野」


 声はその背中に届かなかったのか、振り払われたのか。静香は足を緩めることなく、廊下を駆け抜けていった。

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