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昨日の君に、さよなら  作者: WW
第5章
19/28

微笑む君と、このまま 2

「女子遅いな」

「ああ、そうだね」


 煌々とした日光が水面を照り返し、眩しさに雅也は目を細めた。その光も人の群れによって揺れ崩される。賑やかに多くの人が入り交じるプールの中にこれから入ると思うと、雅也はげんなりした。できるならここで帰ってしまいたい。だが、そうはできない理由があった。


 雅也と孝多は着替えのために女子グループと別れてからものの数分で更衣室を出た。もちろんそこに女子たちの姿はなかったのだが、それから一〇分経っても姿を見せなかった。


「暑い……」

「東堂は弱っちいな。待ちぼうけてても仕方ないし、入っちまうか」


 暑さから逃れるにはそれが一番だが、入る決心がまだできていない。孝多は準備運動のようなものを適当にやり始めた。手持ち無沙汰なので雅也もそれを真似て身体を動かす。

 孝多は引き締まった身体をしていて、長身も相まって目を引いた。先ほどから行き交う女性が孝多をちらりと見ているのを見て、雅也は自分の身体を見下ろす。薄い胸板に痩せ細った棒のような身体。頼りなく、みすぼらしい。手を一方の腕に当て、雅也は顔を背ける。


「時は来たんよ!」


 その居心地の悪さを裂くように、京子の声が届いた。

 雅也はその方向に目を向け、声を漏らした。


「ふふん、うちに見とれて言葉も出ないん?」


 京子は薄っぺらい胸を反らして、片手を後頭部、もう片手を腰に手を当てる。本人は色っぽいポーズをしているつもりなのだろうが、漂うのは背伸びした幼児のような哀愁。

 雅也は一瞥をくれてやってから、本当に見とれていた静香を見やる。


 京子は胸元を隠すようなフレアタイプの桃色を基調としたビキニだが、静香は胸の谷間を見せるつけるようなタイプのいわゆる普通のビキニ。水色を基調とした淡い色のカラフルな色彩で、谷間のところにはレースが施されている。そのせいもあってか、目線は自然と胸へ行ってしまう。

 静香が顔を赤くして、右手を左肩に当てて胸元を隠した。それでハッとして、雅也も頬を染めて顔を逸らす。すると、雅也の左腕に至極柔らかな塊が二つ押し当てられた。


「先輩、さっきから静香先輩の胸ばかり見過ぎじゃないですか? 私の方が大きいですよ?」


 静香の視線が鋭くなったのを感じて、雅也は大慌てで紗理那から離れた。自分は無実だということを身振り手振りで訴えるものの、剣呑な目つきは収まらない。殺意すら感じで、原因を作った悪魔的な後輩に目を向ける。


「おい、こういうのやめろって」

「えー、こういうの? どういうのですか?」


 顎に指を当てて、ニヤニヤしながらとぼけた振りをする後輩に深いため息を漏らす。

 紗理那は紫の一見するとシンプルなビキニで、静香と同じように胸元が強調されていた。異なるのは、デニムのショートパンツを穿いていて、ボタンもファスナーも開いているということ。そして、背中側からわずかに見えるビキニショーツから、どうやらTバックらしいということだった。


 先ほどから行き交う男たちの視線は紗理那の臀部に向いている。じっと見るのではなく、チラチラと見ている辺りに下心満載だった。

 わざと腕を寄せて胸の谷間を強調してくる紗理那からすぐに目を逸らして、雅也は京子に向き直った。


「全員揃ったな。どうするんだ?」


 いち早くこの空気を取り払おうと、雅也は慣れない口ぶりで先を促す。すると、京子は不敵な笑みを浮かべ、ある方向を指さした。


 見上げるような高さから螺旋を描くように巻かれたチューブ。そこから悲鳴のような絶叫が急落下していくのが聞こえた。ほどなくプールから水しぶきが上がり、はしゃぎ声が響く。

 日本最大のウォータースライダーと呼ばれる『スパイラル』は、全長三〇〇メートル、高さ四〇メートルでぐるぐるととぐろを巻いたような螺旋になっているのが特徴的で、ジェットコースターに引けを取らない絶叫アトラクションという触れ込みだ。


「ここに来たらまずはあれに乗らないと始まらないんよ」


 見るからに恐ろしいアトラクションに雅也は足を竦ませるが、ここで拒否すると一人になってしまい、ただでさえ居心地の悪い空間がさらに不快になる。また、それでは静香と離ればなれになってしまう。静香ともっと話がしたいという欲求が恐怖を棚に上げ、雅也は一向に付いていくことにした。

 恐ろしいほどの待ち行列を経て、いよいよ順番が回ってきた。


 『スパイラル』は浮き輪などを使わず身体のみで滑るボディースライダーと呼ばれるタイプのウォータースライダーだ。入り口が二つあり、それぞれに一人ずつ時間を空けて滑る。

 自然と滑る順番は京子、雅也と静香、紗理那と孝多になった。京子は早く滑りたくてうずうずしていたようで、前のグループが一人余ると知るや否や率先して前に移動した。紗理那は「先輩と滑りたいです」と不満げにしていたものの、結局は一人で滑ることになるのですぐに諦めたようだった。


「わくわくするね」

「う、うん……そうだな」

「ん? もしかしてビビってる? やめとく?」


 挑戦的な笑みに雅也は目を細めた。


「だ、大丈夫だよ。これくらい」

「へえー、遊園地のジェットコースターは気持ち悪くなって数時間休憩した上に私を放って寝ちゃったんだけど、今回は大丈夫なのかな?」

「むぐっ…………み、見てろよ……」


 順番が回ってきて、まずは知らない人と京子が同時にバーから手を放した。京子に関してはただ放すのではなく、鉄棒の逆上がりのような感じで勢いをつけて自らを発射した。あっという間に京子の姿はチューブ先へ消えていき、楽しそうな絶叫が響いてくる。京子と同時にスタートした女性に関しては苦手だったのか、可憐な悲鳴が響いた。


 雅也たちの番が来て、乗り口に腰掛ける。頭上のバーを握って、スタッフがスタートを促すまで待たなければならない。チューブは滑らかな傾斜が続いていて、カーブした先は見えない。先ほどの女性の悲鳴を思い出して、雅也は握り締めたバーに力を込める。離したくないという衝動に駆られた。


「係の人が合図した後に私が合図するから、そしたら一斉にスタートしよ」


 弾んだ声で静香が言う。

 顔を向けると、伸びた腕から脇、胸、くびれからヒップまでの美しいラインが目に入った。白く滑らかな肌にほどよく引き締まった身体。それでいて豊かな胸。それらが織りなす芸術のような肉体美に、雅也は釘付けになる。


「……くん…………やくん」


 ビキニブラの横からわずかに覗く丘の袂。膨らみの始まり。その神秘へと至る原初の――


「雅也くん!」


 その声にハッとして雅也は静香と視線を結んだ。どうして彼女が自分を見ているのか、認識が遅れる。


「へ、あ、何?」

「行くよ!?」


 雅也はようやく自らの置かれいる状況を思い出した。まだ頭に薄い靄のようなものがかかっている気がして、頭を振って払いのける。


「お、おっけー」

「じゃあ、行くよ。せーのっ」


 静香のかけ声とともに雅也は手を放した。視界の端で静香も同じように手放すのが見えて、すぐにその姿がチューブの中に消える。同時に、自分もチューブの中へと呑み込まれた。


 最初はそこまでのスピードは出ていなかったので、胸を撫で下ろす雅也。しかし、カーブしてから徐々に速度が上がっていき、おまけにコースがぐるぐると螺旋を描き始め、遠心力が追加される。速度はさらに増していき、胸の中心を何かが通り過ぎていく感覚が襲う。声が漏れ、我慢できずに叫び声に発展する。


「あああああああああ」


 声がチューブの中に響いて自分の耳に返り、それが余計に恐怖をかき立てた。遠くからくぐもった静香の楽しそうな悲鳴が聞こえてくるが、気にしている余裕がなかった。目まぐるしく身体の位置が変わり、時には回転しながら、水とともに滑り降りていく。


 早く終われと何度念じても終わりは訪れない。全長三〇〇メートルという言葉を思い出して、雅也は絶望を孕んだ悲鳴を轟かせた。

 チューブの中は様々な色が縞模様のように連続していて、太陽に照らされて光を帯びている。それは普通の精神状態で見ればとても綺麗な光景だったのだが、三〇〇メートルを飽きずに楽しんで貰おうという作成者の意図を雅也は恨めしく思う。そんな工夫要らないからもっと距離を短くしてくれと念じ、大声で恐怖を紛らわせる。


 ようやく出口が見えた。そう思ったときにはチューブから勢い良く吐き出され、宙を飛んでいた。時間が止まったような感覚が一瞬して、すぐに水中に身体を沈ませた。もがきながら立ち上がって、ようやく息を吐いた。水位は腰辺りまでなので冷静に足を伸ばせば届くのだが、いきなり水中に投げ出された人間にそれは無理な話だった。


「し、死ぬ……」


 どっと疲れが襲う。岸へと上がろうとしたところ、もの凄い速さで悲鳴が近づいてきた。背後を振り返ると、雅也と同じように静香がチューブから吐き出され、すぐ横に着水した。

 雅也が手を差し伸べると、静香はその手を取って身を起こす。だが、すぐに自分の身体を見下ろしたかと思うと、勢いよく身体を沈ませた。


「どうし――っ」


 腕ごと引き寄せられて、静香の顔がすぐ目の前に迫る。耳まで真っ赤に染まり、目尻に水滴が溜まる。下がった眉尻がとても頼りなさそうで、震える口元からささやき声が漏れる。


「…………ら……ちゃった」

「え?」


 もっと大きな声でという意味で耳に手を当てると、静香の口が雅也の耳に寄せられた。何か柔らかいものが雅也の胸に当たる。それは今までに感じたことのない感触だった。


「……ブラ取れちゃった。探して」


 漏れそうになった悲鳴を呑み込んで、雅也は胸元の感触を理解した。同時に雅也も茹でダコのように顔を上気させ、すぐに静香から離れて水着を探す。

 幸いすぐに見つかって、雅也の陰に隠れて静香がブラを付け直す。背後から聞こえる水音が妙に生々しく聞こえて、気が気でなかった。


「ごめん、ありがと」

 まだ真っ赤な顔で目を伏せている静香に、雅也は自分まで恥ずかしくなってきた。心臓の音がうるさい。

 と、そこへ。次なる悲鳴がやってきた。


「きゃぁぁぁ、っ、せんぱ――」


 振り返ると同時、雅也は頬に強烈な衝撃を受けた。チューブから飛び出してきた紗理那の足の裏がクリーンヒットしたのだ。鈍い音がして、水面に顔面が打ち付けられる。身体が沈んでいき、息苦しい。上から手が伸びてきて、自分の身体を絡め取っていく。その中で一層力強く引き上げる腕があった。


「ぶはっ――し、死ぬ」

「大丈夫か、東堂」


 咳き込んで水を吐き出しながら頭上を見上げると、心配そうに覗き込む孝多の顔があった。妙に力強い肉体に包まれているなと他人事のような感想を抱きながら、ようやく雅也は現状を理解し始める。大慌てでその腕から逃れ、距離を取る。


「どうした東堂」

「あ、いや、何でもない」


 身の危険を感じだとは言えるはずもなく、雅也は両腕を抱くように組んで水中に肩まで沈んだ。

 また同じ事件が起きないように五人はすぐさま陸に上がって、近くにあったベンチに腰掛ける。


「先輩、ごめんなさい!」


 両手を合わせて、紗理那が腰を折った。心の底から謝っているのが分かるほど誠意が伝わってくるが、上体を傾けたせいで二つの塊がより強い主張を始める。それが目に入ってしまい、心臓の鼓動が急速に鳴り始める。あざとさのないところが余計に扇情的に映った。


「いや、気にしなくていいから。顔上げろよ」

「本当にごめんなさい。痛くないですか? 頭大丈夫ですか?」

「言葉の選定に悪意あるな……」

「顔歪んじゃいましたね。けど、大丈夫です。先輩がどんなブサイクになろうとも、私が責任を取ります」

「顔は元からだから……」


 すっかり元の調子を取り戻した紗理那に安堵していると、横に座っている静香が心配そうに覗き込んで来た。


「本当に大丈夫?」

「ああ、問題ない」

「ごめんね。私が、その……」

「いや、き、気にしなくていいから」


 口ごもる静香に釣られて雅也も口ごもる。その様子を訝しく思ったのか、京子が顎に手を当てて目を細めた。


「これはラッキーイベントの匂いがしますな」

「な、何でもないから」


 妙に鋭い京子に狼狽しつつ、雅也と静香は何とか誤魔化した。そのせいで余計に何かあったのだと京子は疑いを深めたが、孝多が次行こうと話を逸らしてくれたおかげで助かった。


「貸しイチな」


 耳元で囁かれた孝多の言葉に、雅也はげんなりした。

 どうにかして忘れてくれないだろうかと、孝多の後頭部を眺める雅也だった。

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