精霊はやんわりついてくる
「……どうしてそれで着いてこられるんだ」
僕は周囲に聞こえないようにぼそりと呟いた。
欠伸をしたり鼻提灯を垂らしたり、なんとも気ままな姿のコトが隣にいる。だが足を動かしていない。
「凄いとこ、見せていませんから……眠いです」
うとうとしながら寝言を紡ぐコトは、道路の上を滑らかに流れていた。こちらが止まると止まり、速く走っても振り切れない追尾性も兼ね備えていた。寝る必要があるかはさておき、頭だけを垂らし怨霊の如く追跡してくる姿はホラーといっても差し支えないだろう。
通行人とすれ違う。彼はコトと重なり、そして何事もないかのように通り過ぎていった。
「……あと五分……です」
本当にどうして隣にいるのかが理解できない。お祓いを視野に入れておくべきだろうか。
一先ずコトを触ることが出来ず、僕以外からは見えないという可能性が増したことだけは分かった。
急いだ甲斐あってなんとか間に合った。
出席カードを読み込ませていると後ろから声をかけられた。
「よ。お前が二十分も遅刻するとは珍しいことでもあるもんだ」
「遅いことは納得だが、十分前に着いている」
「今日の朝礼は三十分早くなったってこと知らなかったのか?」
一応点呼を確認する。案の定遅刻にはなっていない。
「いや、本当に騙されやすいよな」
こんな誰も喜べない嘘を吐いて、尚且つ笑っている下種がそこにはいた。
席に着いた後、朝礼中と仕事が始まるまで嘘のラッシュは続いた。宝くじが当たっただの妊娠しただの恋人ができたと言ったおめでたい話をする人もいれば、不幸なネタを提供し続ける屑もいた。
嘘が聞こえる度に胃がきりきりと痛んだが、今となってはそれが些細な問題だったことを知らされた。
「……おはようございます」
何故ならもっと酷い問題が近くにあるからだ。体を大きく反らし欠伸と共に場違いの挨拶をする。目の前に構えているコトのせいで作業がはかどらないのである。
「せめて後ろに行ってくれ」
邪魔だと直接言わないだけ有情だと思う。周囲が「遂に妄想の世界に入り浸ってしまったか」という憐憫と嘲笑をごちゃ混ぜにした不快な視線で見つめてくる。
「こうでもしないとわたしを無視する気がするのです」
現状仕事の邪魔にしかなっていないのだから、そりゃ可能な限り無視するだろう。
コトは動いたかと思うとデスクに体を埋めていた。よく分からないが楽しいらしく、モグラごっこでも続けている。どこかにハンマーはないのだろうか。
不穏な気配を察知したのか冬眠してくれたようである。ようやく、一時の平和が訪れた。
昼休み、一番嘘が発生しそうな時間帯。僕は公園のベンチに独りもたれかかっていた。
「わたしもいますよ」
生憎、隣には騒霊種のコトが足をプラプラさせて遊んでいた。
「これでも神聖な精霊です。騒霊なんかと一緒にしないで欲しいのです」
胸を張ってコトは答えるが、そこに今一度問いただしてみることをおすすめする。今日やったこと、騒いで邪魔することしかしていない。
「わたしの能力は公にしたくないのです!」
「……」
中二病罹患者の幽霊みたいな幻影に憑りつかれた。そんな現状を把握するが相当酷い気がする。名誉挽回のつもりで言っているらしいが、汚名に泥水を被せている限り綺麗になることはないだろう。
「その名も『嘘を本物にする能力』なのです!」
両手を腰に当て、背筋を大きく伸ばす。
春にしては冷たい風が吹き、花びらを散らした。
弁当箱の蓋を開け、箸を取り出す。海苔と白米だけの質素な飯である。
「反応が冷たすぎるのです! 実際凄い能力なのですよ、これ」
コトは半べそをかいていた。実際、欲望の赴くままに世界を変化させることが現実的に可能なのだから素晴らしく人智を超えた能力だと思う。だからこそ、目の前も馬鹿がそんな物騒なものを持っていないと信じている。
「ということで一回嘘を吐いて…………ごめんなさい、無理強いはしません」
コトは繰り返し両腕と頭をこすりつけていた。明るく自慢気な雰囲気はどこへ行ったのか、今にも地面が濡れそうである。
もう一度ネタとして信じてみないか、頭の中の一人が問いかける。普通なくて、尚且つ人様に迷惑をかけない。更には本音から来た冗談を言えばいい。仁義と矛盾しているような思考回路から一つの結論を導き出した。
「じゃあ『今日の片付けは同僚が全てしてくれる』でいいか?」
普段僕に押し付ける連中だ。それ位の平等ならあってもいいだろう。
「……!」
じとっと湿った視線を投げ掛けていたコトの目が丸くなる。
「了解なのですよ!」
コトが羽を動かすことなく螺旋を描き天へと昇る。偶然後光が貫通し、どうしてか神々しい姿になってしまっていた。