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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

英雄のカルマ

作者: 遊獅

 爆音とともに、熱気を帯びた風が黄金の毛皮をなびかせる。しかしその風は、むせ返るような血と火薬のにおいまでは連れ去ってはくれなかった。アダン・ル・ペンは地面に突き刺さった大斧を引き抜き、身の丈ほどもあるそれを軽々と肩に担いで歩き出す。このような武器は、本来『獣人』にとっては不要のものだった。『獣人』同士の小競り合いや食物を得るための狩りにおいては、生まれながらに神から与えられた爪や牙さえあれば充分だった。しかし『人間』と『獣人』、二つの種族間での争いが長引くにつれ、両者ともより強い力を求めるようになっていた。今となってはどちらから仕掛けた戦だったのか、もはや知るすべも無い。

 アダンの尖った耳が、近付いて来る足音に反応してぴくりと動いた。辺りは草一本生えていない荒野である。地平線の向こうから、土煙を上げて向かってくる騎馬隊の影が見えた。『人間』の軍勢である。今しがた壊滅させた火薬庫を守る連中が呼んだものだろうが、時は既に遅い。厄介な鉄砲や大砲を封じてしまえば、腕力において圧倒的に優れている『獣人』にとって戦況は有利になるだろう。任務を終え、長居は無用とばかりにアダンは踵を返した。


「単独任務ご苦労。今回も上手くやってくれたな」巨大な角を持つ屈強な山羊獣人が、帰ってきたアダンを迎えた。「どうしたアダン。浮かない顔だな」

「いえ……」

「火薬のにおいで酔ったか? 奴らの使う火薬はにおいも威力も強烈だからな……まあ、疲れもあるんだろう。休んでこい」

 アダンは隊長に礼をし、天幕を後にした。自分の天幕に戻り横になっても、そわそわして落ち着かない。戦闘の後はいつもこうだ。敵を倒すことに罪悪感があるわけではないが、かといって気分のいいものでもない。終わりの見えない戦いというのはどうにも気が滅入る。しばらくゴロゴロしていると、仲間の猫獣人の青年が天幕に顔を出した。

「よう一匹狼。気分はどうだ?」

「良さそうに見えるか」

「だろうな」ひょうきんに笑って肩をすくめ、彼はウイスキーのボトルを取り出して振ってみせる。「良い酒が手に入ったんだ。皆で一杯やろうぜ」

 ついて行ってみると、すでに宴が始まっていた。

「おっ、功労者さんのおでましか」

「そういう肩書きはよしてくれよ」

「謙遜すんなって。座れよ」

 受け取ったグラスにすかさず酒が注がれる。ぐいっと飲むと焼けるような刺激が喉を降りていった。

「そういえば、こないだ小耳に挟んだんだがよ」そう話を切り出したのは大柄な虎獣人である。「なんでも『人間』の奴ら、とうとう『半獣』を投入し始めたって話だぜ」

「『半獣』? はっ、あんな半端者を使うようじゃ『人間』もおしまいだな」

「火薬なしで我々と戦わなければならないんだ。仕方あるまい」

「あーあ、めんどくせえ。とっとと降伏すりゃあいいんだよ。馬鹿な猿どもが」

 仲間達が好き勝手に喋っている間、アダンは終始黙っていた。一時間、二時間と時が過ぎ、宴の終わる頃には皆泥酔状態だった。たとえ夜襲をかけられても、火薬を持たない『人間』など恐れることはない。新戦力の『半獣』とて、完全なる野獣の力を持つ『獣人』の敵ではない。そういった驕りが彼らにはあったのだろう。数人の少年兵を見張りに残し、主戦力部隊の者達は各々の天幕に戻り眠りについた。


 深酒をしたせいだろうか。真夜中、アダンは目を覚ましてしまい、それからなかなか寝付けずにいた。横になっていても仕方がないので、外の空気を吸いに行こうと天幕を出る。

 空には無数の星が煌いていた。吹き抜ける風は少し湿っていて、戦場の荒野にはなかった草木のにおいを含んでいた。水場に向かうと、そこにはすでに先客がいた。見張りに当たっていた少年兵だろう。声を掛けようと近寄ったところで、アダンは息を飲んだ。

 三角形の耳に豊かな毛を蓄えた尾、白銀の毛皮を持つところまでは『獣人』と同じだが、振り返ったその顔はどの『獣人』とも似てはいなかった。体毛は少なく、顔と腹側の毛が禿げている。類人猿にも似た風貌だが、にやりと笑った口元から覗く牙はイヌ科のそれであった。

『半獣』。その姿を直接見るのは初めてだったが、『人間』とも『獣人』ともつかないその容姿はおぞましく、化物染みていた。『半獣』の両手は真新しい血のにおいがした。

「……『金色の魔狼』アダン・ル・ペンだな」

 異形の姿からは想像できない、理知的な声で『半獣』は言う。

「その二つ名には覚えはないが……いかにも、私がアダンだ」

「俺の名はヘヌリ。武器を取ってくるがいい。アダン。貴様を殺して、俺は英雄になる」

「手柄のために単独で乗り込んできたのか。無茶なことを」

「敵に言われる筋合いはない! とっとと武器を持て!」

「必要ない。素手のほうが得意でね」

「……ふん、ケダモノ風情が」

 そう吐き捨てたと思うや否や、ヘヌリと名乗った『半獣』の姿が消えた。風を切る音を聞いて、アダンは前方へと跳ぶ。一瞬の差で、アダンの居た空間をヘヌリの爪が切り裂いた。やはり、丸腰で正解だった。使い慣れているとはいえ、大斧では視認すら難しいヘヌリの素早さには追いつけまい。そう思っている間にも敵の姿を見失う。背後の死角から唸りをあげる爪が迫り、アダンの頬を掠めた。

「どうした、反撃しなければ死ぬぞ」

 まるで戦闘を楽しんでいるようだ、とアダンは思った。『半獣』という生き物に対し陰鬱な家畜という印象しか持っていなかっただけに、ヘヌリという『半獣』の態度は意外だった。

「お前は、『人間』たちに無理矢理駆り出されたのではないのか」

「ふん、『人間』どものことなど関係ない」

「ではお前は、自らの意志で『獣人』に敵対するのか。同じ獣の血を持ちながら」

「だまれ!」ヘヌリが吠える。「貴様ら『獣人』が俺たちにしたことを、知らないとは言わせんぞ! 貴様らは俺たちを劣等種と蔑み殺してきたじゃないか! 同じ獣の血だと? 貴様らのようなケダモノと一緒にするな!」

「『獣人』の中にそういった連中がいることは知っている。だが『人間』などに協力して、お前になんの得がある? 家畜として生きることを選ぶのか?」

「家畜になどならない。俺は英雄になるんだ。アダン・ル・ペン。貴様を殺してな!」

「英雄だと?」ヘヌリの爪を両手で受け止めながら、アダンは唸る。「そんなものに何の意味がある!」

「意味ならあるさ……脆弱な『人間』どもに、俺たち『半獣』なしでは生きられないことを教えてやる。火薬を失った今、奴らは『獣人』はおろかそこらの獣にすら怯える生活を送っている。奴らに残された力は『半獣』だけだ。俺たちの力を見せ付ければ、奴らも俺たちに対する待遇を改善せざるを得ない」

「そんなことをせずとも、『人間』を裏切って逃げ出せばいいじゃないか。何故奴らに味方する必要がある!」

「それじゃあ意味がないんだよ」そう言って笑みを浮かべたヘヌリの表情には、自嘲じみたものが見えた。「『人間』どもには俺たちの苦しみを味わって貰わなければ……な」

「復讐、か」

 物音に気付いたのか、陣営がにわかに騒がしくなり始める。何人かの怒号と足音が近付いて来る中、アダンはヘヌリに鋭い双眸を向けた。『半獣』の青年は、心底嬉しそうに、楽しそうに口の端を吊り上げる。

「笑いたければ笑うがいい。所詮、貴様らケダモノには理解出来ないだろうな」

「ああ、わからないな」アダンは腕を振り払い、後ろに飛び退って距離を置く。「だから同情はしない。俺にも守らなければならないものがあるのだからな」

「侮るな。ケダモノの同情などいらない」

 二つの影が金と銀の閃光のごとく交差する。アダンの肩から、ヘヌリの脇腹から、赤い液体が迸った。

 騒ぎを聞きつけ集まった者たちは、二匹の獣の戦いを呆然と見守っていた。

 松明に照らされ飛び交う影。

 牙を剥き唸る声。

 ひらめく爪の軌跡。

 一対一の戦い。獣同士の真剣勝負。それは、アダンが戦場で繰り返して来た戦いとはまったく違う感情を彼に与えた。気分は高揚し、アダンの顔には自然と笑みが浮かんでいた。一方的な殺戮ではない、拮抗した実力を持つ者同士の命のやりとり。俺が求めていたのはこれだ。

 ヘヌリの爪が空を切り、肩の肉を抉った。痛みは感じなかった。

「くやしいな」

 アダンの呟きに、ヘヌリは訝しげに眉を吊り上げる。

「なに?」

「お前とは違う形で会いたかった」

 ヘヌリは答えなかった。冷徹な目でアダンの喉に照準を合わせ、鋭い爪を槍のように突き出す。

 そこにアダンの姿は無かった。

 標的を見失い狼狽するヘヌリの胴体を、鉤爪を持つ腕が貫く。

 咳き込み、大量の血を吐く『半獣』の身体を貫通した腕を引き抜いて、アダンは言う。

「……なぜ、避けなかった」

 ヘヌリは二、三歩歩いて振り返る。彼の傷は致命傷だった。にも関わらず、彼はその場に立っていた。挑戦的な双眸は未だ戦意を失っておらず、アダンを牽制する視線を送っている。

 その状態のまま、ヘヌリはすでに息絶えていた。アダンは気付く。避けなかったのではない。避けられなかったのだ。おそらくはヘヌリ自身、自分が死んだことにすら気付いていないのかもしれない。英雄を目指した青年の最期は、あまりにもあっけなく、あまりにも虚しく幕を閉じた。


 戦力の差は圧倒的であった。火薬を失い、頼みの綱の『半獣』も『獣人』には敵わず、『人間』側は遂に降伏声明を出した。『人間』はその地から追い出され、大陸は『獣人』のものとなった。

 戦争において大きな功労を成したアダン・ル・ペンは英雄としてもてはやされることとなったが、終戦から数日と経たず姿を消した。戦いを求めて別の大陸へ行ったとか、山奥に篭って隠居生活を送っているとか、様々な憶測が流れる中、謎の失踪を遂げた英雄はとある廃墟群を訪れていた。かつて『人間』たちが住んでいた町は壊され、風化し、砂に埋もれていた。アダンが物心ついた頃には、既に『人間』とは憎むべき敵であり、倒さなければならない相手として教えられていた。彼らがどういった価値観を持ち、どういった生活を送っていたのか。それを知ろうと思ったのは、皮肉にも『人間』が大陸を去った後のことだった。町の中を歩くうち、奇妙な建物を見つけて足を止める。窓には鉄格子が嵌められ、重々しい扉には複雑な構造の鍵が取り付けられている。鍵は『獣人』が攻め込んだときに壊されていたようで、扉は僅かに開いていた。囚人を捕らえる場所だろうか、と思い、ちょっとした好奇心から中を覗いてみて、アダンは顔をしかめた。

 そこは酷い悪臭に満ちていた。肉の腐ったにおいや、カビのようなにおい、淀んだドブのようなにおいが鼻を突く。咄嗟に顔を引っ込め、アダンは激しくくしゃみをした。好奇心なんて出すもんじゃない。探索は諦め、アダンはその場を後にしようと踵を返す。

「誰か……いるの?」

 か細い声が聞こえ、心臓が跳ね上がる。声のしたほうを見てみると、声の主は小さな子どもだった。ドブのにおいのする暗闇の中で、大きな耳をぴくぴくと動かす姿が見える。

「子どもか……なにをしてるんだ、そんなところで」

「ぼく? ぼくはねー、待ってるの」

「待ってる? 誰を?」

「何日か前に、怖いひとたちが来て騒いでいったでしょう。今は静かになってるけど、まだ怖いから隠れてるの」

 目が暗闇に慣れてきたところで、アダンはようやく気が付いた。その子どもの容姿には見覚えがある。

「ぼくが怖い目にあってるとね、ヘヌリにいちゃんが助けに来てくれるの。でもこないだ出掛けていって、それっきり戻って来ないんだあ。道に迷ってるのかなあ」

『半獣』の少年は、のんびりとした口調でそう言った。どうやら彼は目が見えていないらしい。アダンが近寄っても怯える様子はなかった。

「おじさんもここで待ってればいいよ。ヘヌリにいちゃんはとっても強いから、怖いひとたちが来ても守ってくれるよ」

『半獣』の子どもは屈託の無い笑みをアダンに向けた。

「そうか。なら安心だな」アダンは少年の頭をなで、目を細める。「その青年になら、もうすぐ会えるよ」

「おじさん、ヘヌリにいちゃんのこと知って」

 その言葉が終わる前に、アダンは少年の頭を握り潰していた。水風船でも割るように容易いことだった。

 動かなくなった『半獣』の少年を担ぎ、立ち上がる。向かった場所は、『半獣』という生き物に初めて出会い、殺し合い、最期を見届けた場所だった。

 背の低い草の生える地面に、土が盛られた箇所がある。その隣に穴を掘り、少年の亡骸を埋めた。

「久しぶりだな」土を盛り上げた小山に向かって、アダンは言った。「その子を送ってやってくれ。お前のことを最期まで慕っていた……。恨むなら恨んでくれ。『半獣』の生きる場所は、もうこの地にはない。俺は『獣人』だから、『獣人』の敵は殺さなくてはいけない。今までも、たくさん殺した。『人間』も、『半獣』も……たくさん、殺したんだ」

 答える声などあるはずもない。アダンは続けた。

「なあ、ヘヌリ。お前は本当に英雄になりたかったのか……?」


 同胞は彼を『英雄』と呼んだ。

 だが彼は『英雄』になりたいと望んだわけではなかった。

 図らずも『英雄になってしまった』青年は、『英雄を目指した』者の墓を後にした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 説明も簡潔で読みやすい、いい文章でした。冒頭から世界観に引き込まれ、夢中で読んでしまいました。いい意味での書き方の癖なのか、各所に伏線にできそうな点が見られたので、いつかシャムさんの長編を…
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