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文学少女と侍系男子

作者: 日本平 登

 そこは、ある大学のオープンテラスだった。 煉瓦造りの小洒落た造りとあまり

高級とは言えないものの雰囲気を損なわないデザインのテーブルと椅子が立ち並ぶ

そのテラスは独りでレポート用紙や本と向き合う者、数人で歓談に興じている者、

必死に弁当を食べている者といった様々な学生が利用していた。


 半数程度のテーブルが何かしらの目的で使われている中、その一つに白を基調に

黄色いバラの造花が飾られた幅広帽を被った少女が佇んでいる。 艶やかな黒髪を

腰の辺りまで伸ばし、ゆったりとしたデザインの薄紫色のワンピースに上着を重ね

眼鏡をかけた少女はテーブルの上に百科事典と見紛うような大きさの、古式めいた

装丁が施された本を広げていた。 テーブルの中央には背の高いポットが鎮座し、

少女の手元には湯気を放つカップが、ポットの傍には空のカップが置かれている。


 テーブルにバタバタと近付く音に、少女が本に向けていた顔を上げる。


「うーす、『紫花ゆか』。 悪い、待たせたか?」

「待ったわよ『武士たけし』。 四限が終わってから三十分も経ってるのよ」


 肩にかけた濃緑色のリュックを揺らし、黒いTシャツの上に白地に青縞が入った

シャツを羽織ってジーンズを穿いた青年……武士はばつの悪そうな笑いを浮かべて

紫花と対面するように椅子に座った。 息を吐いて『急いで来た』とアピールする

武士を余所に眼鏡を外してケースに収め、本に栞を挟んで閉じた紫花は頬杖をつき

じっと武士を凝視しながら一瞬だけ頬を空気で膨らませて見せた。


「言い訳を聞こうかしら」

「四限が『日本国憲法』の講義だったんだけどさぁ、終わって外に出たら街宣車が

 停まってて片っ端から学生捕まえて何か言ってんの」

「街宣車って……黒塗りのアレ?」

「それ。 で、哀れな俺もとっ捕まってしまいましたとさ」


 眉間に皺を寄せながら紫花の手がポットの取っ手に伸び、持主を待ち続けていた

空のカップに紅茶を注ぐ。 武士の元へとやってきたカップが仄かに湯気を放つ。


「……どうせ、武士のほうからしつこく食いついたんでしょ?」

「話してもつまらなかったから連中が立ててた看板を裏返してこっちに来た」

「看板?」

「裏に日本語じゃない文字が書いてあった。 ミルクと砂糖は?」

「無いわ。 口の中に広がる茶葉の芳醇な香りをゆっくり堪能してね」


 軽口を叩いてはいるものの、紫花が待つこのテラスへと急いでやってきた武士の

体は水分を激しく求めていた。 カップを手に取った武士は紅茶を一気に流し込み

上を向いた事で紫花の眼前に晒された喉が脈動すると、頬杖をついたままの紫花が

くすくすと小さく笑い出す。 遠くからバタバタと足音が響く。


「あ、紫花しふぉん先輩!」

「うげぇっ、また野武士先輩が一種に居るし~……」

「早く平家の落ち武者狩りにでも捕まって打ち首になっちゃって下さい!」


 ふたりの時間を外側から針で突き刺すような声に武士と紫花の顔が引き攣った。

ばたばたとテーブルに近付いて来たのは如何にもつい最近まで高校生でしたという

雰囲気の三人組の少女達だった。 これ見よがしに不快感を満面に浮かべる武士の

向かい側では紫花が小さく溜息を吐く。


「貴方達、『しふぉん』は止めて頂戴。 私そんなにキラキラしてないから……」

「え~? ダイジョーブですよぉ! 先輩によく似合ってる名前です!」

「そうですよぉ、落ち武者先輩と付き合ってるなんて信じられない! って回答が

100%を占めるくらいなんですから!」

「ちなみにアンケートの対象は私達三人です!」

「てめえ等いい加減にしろ」


 困惑した表情の紫花に目をやり、三人組を睨みつけた武士の声の調子は先程まで

紫花と話していた時のものとは明らかに異なっていた。 今にも喉笛に食いついて

引き千切りかねない表情と併せ、腹の底から轟くように響き渡るな声は武士の抱く

怒りの情を余す事無く表現している。


「そんなにDQNネームが好きならてめえ等が名乗れよ。 まずお前は『猿姫えいぷ』、

 お前は『泡姫そおぷ』、お前は『重機動姫だんぷ』な」

「ナニソレ!! 野武士先輩ネーミングセンス悪過ぎィ!」

「一緒だろ。 てめえ等、自分がされて嫌な事をよってたかって他人にするとか

今までの人生でどういう教育受けてきたんだ。 おい、頭大丈夫かよ?」

「女の子にそんな事言うとかキチガイの上にサイテー!!」


 武士に煽られた猿姫、泡姫、重機動姫は隊列を変えて三人掛かりで武士を囲むと

口々に罵詈雑言を飛ばし始めた。 テーブルに片肘をつきながら顔を斜めに傾けて

頬杖をつき、三人を見据える武士が鼻で小さく嘲笑して見せる。


───これでこいつ等の意識から紫花が消えたな。 後始末にかかるか。


「今、猿姫が『女の子』って言ったがそれは大きな間違いだ」

「はぁ!?」

「人間という存在は生物学的側面と社会学的側面の用法を満たしてこそ成り立つ。

まともに躾けられていないてめえ等は人間じゃねえよ。 動物の雌だ!」


 強い語気で言い放った武士が口を閉じるとテラスが静寂に支配される。 三人に

とって致命的だったのはこの『静寂』が入り込む余地を与えてしまった事だった。

人数と合計の声量に勝るという利点を生かして武士に反論の余地を与える事なく

心理的な威圧で屈服させる事が出来なかった時点で結果は見えていた。


 ふと猿姫、泡姫、重機動姫が周囲を見渡すとテラスに居る全ての学生の視線が

自分達へと向けられている。 三人を見る目は一様に真冬の朝のように冷え切り

中にはスマートフォンを向けて撮影している者も居る。 劣勢を悟った三人は

その場から逃げるように揃って駆け出した。


「女を持ち上げて貢ぐイケメン以外の男は存在価値ねーよバーカバーカ!」

「高スペイケメン捕まえて野武士はミジメに泥水啜らせたるから覚悟しとけー!」

「市中引き回しの上打ち首獄門だー!」

「かくして、俺達の心の平穏は守られたのであった。 この世の全ての悪を切腹に

追い込むその日まで……戦え! カレッジサムライたけし!」


 遠ざかっていく三匹の子豚を満足気に眺めながら、何時の間にか椅子ごと紫花の

隣へと移動していた武士が呟く。 紫花が労うように武士のカップに紅茶を注ぐ中

ふと視線を上げてみると既に空は朱色がかった色へと染まり始め、鴉の鳴き声が

遠くから聞こえ始めていた。 武士が再び紅茶を一気に飲み干すと、テーブルの

下から取り出したバッグに紫花がティーセットの一式をしまっていく。


「私達もそろそろ帰りましょうか?」

「そうすっか……ったく、余計なモブ敵が湧いたせいで時間を取られちまった」


 立ち上がった武士はティーセットの一式が納まったバッグの取っ手を握り、鞄に

入らない大きさの本を抱える紫花を伴って歩き出す。 出歩いている人間も疎らな

構内を紫花のペースに合わせて歩く武士が所在無さげにきょろきょろと見回すと

校舎の随所からはガラス越しに電灯の光が漏れていた。


「キラキラネームの『キラキラ』って、いかがわしいお店のネオン看板みたいな

下品な光の事を指してるとしか思えないわ」

「なぁに、読み仮名を変えるだけなら割りと簡単だし。 市役所ですぐだぜ?」


 仏頂面でぽつりと呟く紫花の顔を正面から覗き込む武士が荷物を持たない右手の

人差し指で紫花の頬をぴにぷにとつつき始めた。 紫花が眉を吊り上げて目を細め

武士の顔をじとりと睨むと武士は肩を竦めて笑い出す。


「だからちょっと苦しいが俺の独断によって『ゆか』に決定した。 『ユカリカ』

だとロックバンドか蚊の一種みたいになるしな……」

「人名だと思って貰えないじゃない。 まあ……私の本名もそうだけど」


 紫花の頬の感触を堪能していた右手の手首が突然掴まれ、紫花に引っ張られた。

僅かによろめきながら呆気に取られた表情の武士の顔から紫花は目を離さないまま

武士の右腕を抱きながら囁くような調子で続ける。


「明日逢う時までの分『ゆか』って呼んで。 実感が湧きにくいかも知れないけど

自分の名前の悩みって凄く重いのよ」

「ん~、悪いけどそうだな。 俺なんて自分の名前については『武志』じゃなくて

良かったって事くらいしかコメント無えし」

「……何で?」


 全く想定していなかった武士の反応に今度は紫花が目を丸くする番だった。 

言葉が途切れ、ふたりの周囲の空間に『意識の隙間』とでも表現すべき空白が生じ

心理的に紫花のペースに呑まれかけた武士はその隙を突いて心の均衡を持ち直すと

悪戯を仕掛けた子供のような笑みを紫花へと向ける。


「『志』は『士』の下に『心』。 『士』は男に通じるから、『武志』だと俺が

下心のある男だと名前を漢字で書いた瞬間にバレるだろ?」

「……ばーか。 心配して損したわ」


 声色に目一杯の呆れを込めた紫花だが、直後に武士の顔を見上げているその顔に

にこやかな笑顔が戻る。 二人の様子が視界に入ってしまったすれ違う通行人達が

忌々しげに顔を歪め、時折舌打ちで送り出す中を武士と紫花は家路へと就いた。



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