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静かなる怒り  作者: 56号
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第五話 河岸の市

港まで歩いた二人は、潮風の中をくすぐったような笑い声を交えながら、「河岸の市」へと足を運んだ。

静岡・清水の地魚が並ぶ人気の市場で、昼前でも店内は観光客と地元客でにぎわっていた。


「名物の漬けマグロいっぱい丼、行こ! お昼はこれって決めてたんだ~」

と、はしゃぐように美波が言う。


「もう、美波ったら相変わらずの食い気なのね」


「だってほら、あたしは美也子みたいに恵まれた職場環境じゃないし、素敵な上司いないもん」


園部美也子の頬には自然と笑みが浮かんでいた。

そして、わずかに目を細めながら、つぶやいた。


「でも、“シジュー”よ、あの人……」


美波が箸を止めて、すぐに察する。


「神谷さんでしょ? そんなの全然アリでしょ。っていうか、逆にいいじゃん」


「なにが“逆に”よ」

美也子は呆れたように笑った。だが、その口調にはどこか複雑な感情がにじんでいた。


「ってかさ、美也子はまだ三十一でしょ。全然若いし、めっちゃ綺麗だし、警察内でもモテてるって噂、聞いてるよ」


「噂って……やめて、そういうのいちばん面倒なの」


ふたりは笑い合いながら、丼を平らげていった。

テーブルの上には、空になった器と、どこかほんのり甘い海風だけが残された。


そのすぐ向こうで、海辺の一角が、青いテープで静かに封鎖されていたことには――

まだ、誰も気づいていなかった。




「私さ……あのとき、美波が一瞬、言葉を忘れてるって思っちゃったんだよね」

園部美也子は、河岸の市での出来事を思い出しながら、吹き出すように笑った。


「え、なにそれ。いつの話?」


「ほら、漬けマグロいっぱい丼。あのお兄さんがさ、笑顔で“好きなところでストップって言ってくださいね〜”って言ってから、

白米の上に、ぶつ切りのマグロを豪快に盛りつけ始めたじゃない?」


「……あぁ、あれね!」

美波も思い出し、両手を叩いた。


「普通はさ、ちょっと盛ってもらったら“あ、もうそのへんで”って遠慮するでしょ?

でも美波ときたら、目を見開いたまま、全然止めないの」


「いやだって、止める理由ある!?」


「もはや無言だったよ。真顔でマグロだけ見つめてるから、

私、途中で“これ、永遠に盛り続けるんじゃ……”って不安になったもん」


二人は顔を見合わせて、また笑った。


「……でも、あー、満足満足。ほんと、幸せだったな」

美波は手をお腹に当てながら、丼の山のようなマグロを思い出し、うっとりしたように目を細めた。


「当分マグロ、いらないとか言いながら、たぶん明日また食べたくなるよね」

美也子のその一言に、美波もあっさり頷いた。


小さな旅のなかの、ほんの短い昼食だった。

だが、その笑いの余韻が残る時間も――長くは続かなかった。




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