第十話 不可侵
〝はっかい〟での昼食を終え、三人がパトカーに乗り込んだ直後のことだった。
運転席に座った水原のスマートフォンが、ポケットの中で小さく震え始めた。
「……失礼します」
水原が画面を確認し、すぐさま神谷に顔を向けた。
「神谷さん。署からの連絡です」
「何かあったか?」
「はい。清水港のターミナル付近で、中国籍と見られる外国人がゴミの不法投棄で事情聴取を受けたとのことです。
場所は……問題のパナマ船が停泊しているエリアと重なります」
神谷の目が鋭く細められる。
「どうなった?」
「当初、県警の警邏員が事情を聴いていたんですが、
その男が**“外交官身分証”を提示したことで、外交ルートを通じた抗議が本部に入りました**」
「外交官?」
「はい。中国大使館の名義が入ったIDだったようです。
現場では上層部の判断で、その場で即時釈放されたとのことです。
現在は、所在不明です。」
神谷は黙ったまま、窓の外に視線を向けた。
港へと向かう道は、昼の光を浴びながらも、どこか陰鬱な色合いを帯びていた。
「……中国の外交官が、なぜ“あの船”の近くで不法投棄なんて真似をするの?」
美也子がぽつりと漏らす。
「故意か、それとも……わざと見せたかったのか」
神谷の声には、重く冷たい響きがあった。
外交官特権。不可侵の領域。
その背後に隠された“何か”が、この清水港で蠢いている――
そんな確信めいた直感が、神谷の胸にじわりと広がっていく。
「水原、その現場の警邏員、名前を確認しておけ。
あと、港湾局と入管にも連絡を入れよう。“船内で何が行われているのか”を掴みに行くぞ」
「了解しました」
パトカーは静かにエンジンを鳴らし、清水港へと向かって走り出した。
車内には、しんとした沈黙だけが、流れていた。




