第88章「Quiet SWAY」
路地裏の小さなカフェバー。
木目調の落ち着いた内装に、控えめなBGMが流れる。
椅子の配置はゆったりとしていて、音楽を“聴く”というより“浸る”ための空間がそこにあった。
店内には女性客が多く、それぞれに紅茶やカクテルを片手に、リラックスした様子で開演を待っている。
矢吹がドアを押しながらつぶやいた。
「……ここか」
「いい雰囲気ですね」
と、有村が店内を見回す。
「寝ちゃいそう」
宮下はあくび混じりに言いながら、ふかふかの椅子に身を沈めた。
「どんなバンドなんですかね、Quiet SWAYって」
と有村。
「日本語に直すと“静かに揺れる”……って意味だね」
宮下がさらりと答える。
「爽やか系だろ」
矢吹が腕を組みながら、やや不満げに言う。
「顔がいいだけで選ばれたりしてんじゃねぇだろうな」
「うーん、それもあるかも……いやいや、実力派しか選ばれないですよ」
有村が苦笑する。
その時、宮下が近くにいた店員に声をかけた。
「すみません、Quiet SWAYって、どんなバンドなんですか?」
店員はにっこりと微笑んだ。
「さっきリハーサル聴いたんですけど、すごく心地よかったですよ。無理のない、自然体っていうんですかね。リラックスして聴けると思います」
「へぇ、そうなんだ」
「もうすぐ始まります。楽しんでくださいね」
ちょうどその時、店内のBGMが静かにフェードアウトしていった。
明かりが少し落ち、ステージ奥から3人の人影が現れる。
「……え?」
有村が思わず声を漏らす。
矢吹、宮下も同時に目を見開いた。
「……あいつ、橘……」
矢吹が低く言う。
「北村くんに、田辺くんまで……滋賀で会ったあの2人……」
宮下が驚き交じりに呟く。
「嘘でしょ、3人で組んだんですね……Quiet SWAYって」
有村が信じられないという表情を浮かべる。
ステージ上。
ベースを肩にかけた男が、マイクに向かってゆるく喋り始める。
どこかだるそうで、けれど憎めない、あの独特のトーン。
「どーも。今日は来てくれてありがとー。ゆるっと聴いてってね〜」
続けて北村が軽く会釈しながら言う。
「……よろしくお願いします」
最後に田辺が、静かに言った。
「それでは、始めます」
北村のアコースティックギターが、静かに流れ始める。
田辺のカホンが、ゆるやかなリズムを刻む。
そして、橘がベースのフレーズを滑り込ませながら、歌い出す。
あの日のことは 忘れてね
幼すぎて 知らなかった
柔らかく、無理のない声。
藤井風の「旅路」。
それをQuiet SWAYは、まるで風のように軽やかに、アコースティックアレンジで届けていた。
観客たちは、微笑みながら静かに聞き入っている。
「……橘さん、ベース弾けるんだ」
有村が小声で言う。
「歌と同じく、優しいベースですね……音が浮かない」
「北村くんのアコギ、やばいなぁ。滋賀で聴いた時よりタッチが繊細だ」
宮下が腕を組む。
「……田辺のやつ、カホンだけでグルーヴ作りやがった……」
矢吹が悔しそうに呟く。
あーあ
僕らはまだ先の長い旅の中で
サビに入ると、橘のファルセットが店内に柔らかく響く。
高音ですら、肩の力が抜けたような自然な声で、聴く人の心に染み渡っていく。
演奏が終わる。
大きな拍手が店内を包んだ。
「どもども、ありがとー」
橘がだるそうに笑って言う。
「……最近組んだばっかでさ。まぁノリでオーディション出たら、受かっちゃってさ〜」
観客の笑いが起きる。
「なんか、決勝では視聴者投票あるらしいんで……よかったら見てねー」
観客の中からざわめきが漏れる。
「Quiet SWAYめっちゃよかった……」
「癒された……」
「今度の決勝、見に行こうよ!」
「応援するしかないでしょ!」
その反応に、3人は席に座ったまま、肩を落とす。
「……あちゃー、嫌な展開ですね」
有村がため息をつく。
「うーん、複雑……」
宮下も口を尖らせた。
矢吹はじっとステージを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……関係ねぇよ。勝つだけだ」
宮下が立ち上がりながら言う。
「とりあえず帰りますか、リーダーたちに教えてあげようよ」
3人が席を立とうとしたその時、背後から声がかかった。
「おっすー」
橘だった。
「久しぶりですね!」
北村が笑顔で言う。
「その節はどうも」
田辺も続いた。
矢吹が立ち止まり、振り向く。
「お前ら……東京に行くとは聞いてたけど、橘と組んでたなんて、知らなかったよ」
「久しぶりですね! すごく癒されましたよ……ちょっと悔しいです……」
有村が素直に言った。
「ほんと久々! どういういきさつでこうなったのさ?」
宮下も笑って訊く。
「色んなバンドから声かかってたんだけどさー」
橘があくび交じりに話し始める。
「上手いやつはいくらでもいるけど、アコースティックできるのはこの2人だったからねぇー。すぐ組んじゃった」
「橘と組めて嬉しいよ。新しい音楽ができる、なぁ田辺」
北村が言う。
「あぁ。カホンとか触ることなかったし、ドラムとはまた違う魅力があって楽しいよ」
田辺が静かに頷いた。
「なるほどね……で、組んですぐオーディション受けて、Bグループ代表になっちゃったんだ」
宮下が感心したように言う。
「そうなんだよねー。君らはDグループでしょ? 名前見てびっくりしたよ」
橘がにやっと笑う。
「しかもユイがボーカルなんでしょ? 負けらんないなぁ」
「こっちも負けねぇよ。……楽しみだな」
矢吹が静かに笑い返す。
6人は静かな闘志を抱えたまま、別れた。
帰り道、3人は無言だった。
「……凄かったですね、Quiet SWAY」
有村がぽつりと呟く。
「あぁ。でも、俺らは勝つしかねぇ」
矢吹が答える。
「たださ……俺らがアコースティックでやるなら、勝てるかな?」
宮下がふと漏らす。
「……正直、ウッドベースを使っても橘くんのベースにアコースティックで勝てるとは思いません。悔しいですけど……」
有村が顔を伏せた。
「今からカホンやって間に合わせる……って言いたいとこだけどな」
矢吹が続ける。
「田辺の聴いて、今からやるのは得策じゃねぇと思っちまった」
「俺も……アコギで北村くんに対抗できる気がしないよ」
宮下が苦笑いする。
「アコースティック路線は、なしですね」
有村が言い切った。
悔しさと、明確な現実を突きつけられた夜だった。




