第82章「音の名を刻む日」
会場に着いた瞬間、空気が変わった。
大型ホールの入り口には、すでに何組ものバンドが集まっていた。機材車が次々と乗りつけ、ギターやベースを担いだ若者たちが、受付の前で順番を待っている。明らかに場慣れした様子のグループもいれば、緊張で無口になっているような学生バンドもいた。
「──うわぁ……」
櫻井由奈が、思わず声を漏らす。
「みんな、バンドマンなんだ……!」
目の前を通り過ぎていくひとりひとりが、楽器を背負っていて、衣装や髪型にもこだわっている。場の熱気と圧に、さすがの櫻井も圧倒されているようだった。
「ま、俺たちもな」
矢吹慎二が、にやりと笑ってドラムケースを指で弾く。横で宮下辰馬も軽く息を吐いた。
「全員、敵……って感じだな」
「まぁ、オーディションですからね」
有村康太はベースのネックをゆっくり肩に掛け直すと、落ち着いた様子であたりを見渡した。
そのとき──
「よっ、来てくれたな!」
通路の奥から、スーツ姿の男が手を振って駆け寄ってきた。
高木翔が振り返ると、その男はすぐに笑顔で近づいてきて、軽く握手を交わした。
「久しぶりだな、高木。元気してたか?」
「元気ですよ! そちらもこの世界にしがみついてるみたいで安心しましたよ」
「言うじゃねぇか。こっちは今も必死さ。今日はな、未来の目を探しに来てんだ」
男はひとしきり笑うと、〈レゾナンス〉の方をちらりと見た。
「その子たちか。……雰囲気は悪くねぇな。目はある。じゃ、期待してるぜ」
そう言い残し、男はポケットからスタッフ証を取り出して首にかけ、慌ただしくステージ裏へと消えていった。
高木の案内で受付を済ませると、〈レゾナンス〉のメンバーは控え室の一角に荷物をまとめて置いた。
「今日は見学ですね。明日が本番になるので」
そう言って、高木が全員に視線を配る。
田村奏真は静かに頷いた。
「……とりあえず今日は、全体の流れを見ておこうか。本番に向けて」
大型モニターが設置された待機エリアでは、すでにオーディションが始まっていた。ステージでの演奏はリアルタイムで中継され、客席のざわめきや審査員の表情まで映し出されている。
まず登場したのは、鋲付きのジャケットを着た4人組のパンクバンド。
荒々しいギターリフに、怒鳴るようなボーカル──その勢いに場内が一気にざわめいた。
続いて、煌びやかな衣装をまとったロックバンド、
洗練されたサウンドでアレンジされたジャズトリオ、
ポップでキャッチーな曲を披露するガールズバンド……。
ステージの幕は、次々と変わっていく。
「──うん、みんな、一次通っただけあって……上手いわ」
モニターを見つめたまま、田村がぽつりと呟いた。
「たしかにな」
矢吹が頷きながら腕を組む。
「ただ、緊張しすぎじゃねぇか? ドラムが焦ってるバンド、多いぞ」
「普段の実力の、三分の二ってとこかなぁ」
宮下が首をかしげる。
「そりゃそうだよ……私だって、本番まだなのにもう緊張してるもん」
櫻井が小さくため息をつきながら、手をぎゅっと握りしめた。
「テンポも、全体のまとまりも不安定ですね」
有村が冷静にモニターを分析する。
「人生かけてやってるんだから……そう簡単に上手くはいかないわ」
片寄が、すっと視線を伏せながら呟いた。
その目は、ただ“見ている”のではなく、“感じて”いた。
裏側の審査エリアでは、控えめなトーンで審査員たちの会話が交わされていた。
「……今のバンドは、ないな。あれだと、すぐ消える」
「今のところは……ガールズバンドですかね。華があるし、声も通る」
「でもよ、パンクも捨てがたいって話、聞いたことあるだろ? 次の流れはあれかもしれないぜ」
「いや、それは一部の界隈だけでしょ。今は安定感が求められる時代だって──」
モニター越しには見えない、しかし確実に“評価”されていく空気。
〈レゾナンス〉の出番はまだだったが、全員の胸の奥に、じわじわと熱がこもっていくのがわかった。
──と、そこへ。
モニターの画面に、次のバンドの情報が表示された。
《バンド名:Neon Waltz》
片寄結衣の顔色が、ぴくりと動いた。
「……あの子たち」
「知ってるのか?」と田村が横から聞く。
片寄は画面を凝視したまま、小さく頷いた。
「昔ね、オーディション界隈で、ちょっとだけ話題になってたの。……女性ツインボーカルの、実力派バンド」
ステージに立ったのは、揃いの衣装に身を包んだ5人組。
その真ん中に、マイクを手にした二人の女性──そのうちのひとりが、観客席を見渡して微笑んだ。
そして音が鳴った瞬間──
〈レゾナンス〉の誰もが、息を呑んだ。




