第8章「混ざり合う設計図」
〈HANGAR〉のステージ裏。
喧騒の名残を引きずった空気の中で、田村奏真は膝の上にMacBookを広げていた。
「今ここで曲、作ってみてもいい?」
その一言に、有村康太と矢吹慎二の空気が止まる。
田村は画面を開いたまま、無造作にイヤモニを耳に差し込み、DAWソフトを立ち上げた。
操作音すらも音楽の一部のように聞こえるほど、その手つきは流麗だった。
「まずはルートとなるコード。Am7、から。
有村の低音、Fまで下がるフレーズが自然に流れる……なら、Fmaj7を次に置こう」
ピアノロールに打ち込まれていく、シンプルな進行。
だがその配置は、どこか“人間の鼓動”のように生きていた。
「ここ、有村のベースが“溜め”を作るとこ。
ベロシティちょっと落として……オフ気味に打つ」
打ち込みのはずなのに、生っぽい。
無機質なはずの音に、なぜか“熱”が宿っていく。
「次、矢吹のドラム……今のあんたならこう叩くだろ、ってやつを作る。
スネアは少し後ろ。キックは2拍目と4拍目に“重心”、ライドは敢えてハネさせない」
ドラムマシンの画面に、リズムが生まれる。
スネアの打点が、矢吹の実際の癖に似ていた。
キックの深さ、ゴーストノートの隠し方、すべて“再現”というより“読み切り”だった。
田村はヘッドホン越しにわずかに首を振ると、ボーカルトラックの仮ラインも打ち込む。
ソフトシンセの仮声が、静かに旋律を刻み出す。
>「足りないピースを 探しながら
> 名前のないまま走ってた
> 重なるノイズの中にだけ
> 確かに聴こえた “鼓動”があった」
……再生ボタンを押した瞬間、場の空気が一変した。
目を見開いた有村が息をのむ。
「これ……」
「……俺らの音じゃん」
有村が信じられないように笑う。
「……ベース、録ってないのに俺の弾き方、わかってる。
音の置き方も、跳ね方も、まんま俺の癖……なんで…」
矢吹も、ドラムのリズムに目を細めていた。
「……ここ、スネアじゃなくてリムショットに変えるのが俺の癖。
……マジでやってねぇのに、再現されてるってどういうことだ」
音が止まる。
奏真はMacを閉じ、二人の顔を見ないまま、淡々と言った。
「有村の“流れ”と、矢吹の“重み”。
それが両立するラインを作っただけ。そしたら曲が“見えた”」
矢吹がふっと、肩をすくめる。
「……やべぇな、こいつ」
有村は、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、田村さん天才なんだ…」
短い沈黙のあと、有村が弦に触れようとする。
「じゃあ、音入れてみますか」
矢吹も、スティックケースに手を伸ばしかけたが──
「……いや」
その手を止めた。
「……やらなくてもわかる。もう聴こえてるから。
でも──俺はバンドには入らねぇ」
有村が驚いた顔を向ける。
「えっ、ここまで来て……」
矢吹は肩をすくめて、笑った。
「手伝いならしてやるよ。あんたの曲なら、叩く価値はある。
でも俺は、いつも“アウトサイダー”でいたいんだ」
田村は少し笑って、頷いた。
「……オッケー。必要なときに呼ぶよ、“矢吹慎二”ってドラマーをな」
それ以上、誰も何も言わなかった。
ただ──Macの中にある“まだ未完成の曲”だけが、静かに熱を放っていた。