第78章「最高潮」
── I’m gonna live like tomorrow doesn’t exist, like it doesn’t exist…
《Chandelier》は、いよいよクライマックスに突入していた。
片寄結衣の高音は、一音一音、まるで命を削るように響き渡っていく。
ステージの熱気は限界を超え、観客の視線が一点に集まっていた。
「……あれ?」
ミキサー席、高木翔が眉を寄せる。
「おかしい……片寄さん、まさか……ミックスボイス使ってない?」
「そうなんだよ……」
隣で田村奏真が、驚愕を押し殺した声で言う。
「あの高さを……地声でいく気か……嘘だろ? 本人ですら下げてるのに……」
ステージでは、片寄が肩を上下させながら、次のブレスを吸い込んでいた。
「I’m gonna fly like a bird through the night, feel my tears as they dry──」
──その瞬間。
片寄結衣は、一切の裏声やミックスを使わず、地声のまま、最高音F5へと突き抜けた。
エッジボイスとシャウトが混ざり合い、鋭く、そして美しく──まるで心を抉るように、その声が場内を切り裂く。
「……!」
ステージ下から、息を呑むようなざわめきが漏れる。
何人かの観客は息を止め、目を見開き、まるで呪いにかけられたかのように、動きを止めていた。
櫻井由奈は、キーボードを弾きながら、小さく心の中で叫ぶ。
(よし……! さすが、結衣ちゃん!)
観客の間から、涙を流しながらスマホを構える女性の姿が見えた。
ステージを見つめたまま、声も出せず、ただその“瞬間”を焼きつけている。
──たしかに、音は届いていた。
言葉ではない。理屈でもない。
気持ちそのものが、音に乗って、真っ直ぐに響いた。
2番、そしてラストサビへ。
〈レゾナンス〉は、会場の空気を完全に掌握しながら、さらに深く、さらに高く、演奏を続けていく。
楽器の音は、互いを鼓舞するように力を増し、片寄の歌声はなおも強く、まっすぐに飛び続けた。
そして、ラストの一節。
「── I'm just holding on for tonight…」
キーボードのコードが余韻を残しながら消え、音が止まった。
「……っは、はぁ……」
汗に濡れた片寄が、肩で息をする。
──静寂。
ほんの一拍の間、誰も声を出せなかった。
「──ありがとう!」
その一言が、爆発のような大歓声を呼び起こした。
どよめき。喝采。スマホのシャッター音。
さっきまで彼らを嘲笑していた観客すらも、今は手を叩いていた。
ステージの最前列では、女性が涙を拭きながら叫ぶ。
「ありがとう!感動したよーっ!」
〈レゾナンス〉のステージは、完璧に幕を下ろした。
「……すげぇ……」
「マジで原キーかよ……」
「日本人でこんなの初めて聴いた……」
「やばい、泣く……」
スマホを掲げる手、震える涙。
拳を突き上げ、音に応える若者たち。
──音が、心を撃ち抜いた。
田村奏真が叫ぶように立ち上がる。
「やったー!! よくやってくれた!」
高木翔も、満面の笑みを浮かべながら、すぐに機材を操作する。
「今の映像、すぐ編集してYouTubeに上げます! これはもう、バズるしかない!」
そこへ、クラブのオーナーが声をかけてきた。
「いやぁ……驚いたよ。あの彼女、天才だね! 高木くん、サインとかもらってもいいかな?」
高木が勢いよく頷いた。
「もちろんです! うちのバンド、必ずプロになりますから!」
田村も一歩前に出て、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました! 今日は〈レゾナンス〉にとって初挑戦のことが多くて……。喜んでもらえたなら、それが一番嬉しいです!」
「おうとも! こちらこそ、ありがとう!」
固い握手を交わす三人。
舞台裏へと戻った彼らを、他のメンバーが迎える。
「やったね! 結衣ちゃん!」と櫻井由奈が駆け寄る。
「流石です」有村康太が少し照れたように笑う。
「まだ上手くなるつもりかよ」宮下辰馬が肩をすくめる。
「……あれぐらいやってもらわないとな」矢吹慎二がニヤリと笑う。
片寄結衣は、ゼェゼェと肩で息をしながらも、真っ直ぐに言い切った。
「……はぁ……はぁ……当たり前よ!」
そこへ田村と高木が合流する。
「おつかれ! みんな最高だったな!」田村が声をかける。
「お疲れ様です! 車、用意してますから、少し休憩したら事務所に戻りましょう!」
──静まりゆく控え室。
さっきまでの歓声が、まだ耳に残っている。
その夜、ひとつの伝説が、生まれた。




