第74章「拠点と挑戦」
「あー……うーん……」
デスクの前で、田村奏真が頭を抱えていた。モニタの画面には、仮打ちのピアノ、ギター、ベース、そしてまだ入っていないドラムのスペース。
「──バラードって、難しいなぁ」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなくつぶやく。
そのとき、オフィスの扉が開いた。
「お疲れ様です、バイト終わりました! これから片付け入りますね」
リュックを肩から下ろしながら、高木翔が顔を出す。
「田村さん、作曲の方はどうですか?」
田村は苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、バラードってさぁ……なかなか奥が深いよ。特にドラム……」
「そうですね。マニアックな音楽ファンは、そういうとこも注目しますからね。テンポの“間”とか、スネアの位置とか」
「それな。矢吹のドラムで作るバラードだからさ、やっぱギャップも必要なんだよな。あいつ、いつもキレッキレだからさぁ」
「……よくわかってますね、頼もしいですよ、田村さん!」
高木はにっこりと笑い、手帳を開いた。
「そろそろみんな集まる時間なので、準備の整理してきますね。今夜は一気にスケジュール詰めますから」
「おう、悪いな。ありがと」
高木が去ったあと、田村はひとつ深呼吸をした。空調の音が静かに流れる。
──ここは、新しい〈レゾナンス〉の拠点。
本来は事務作業用に使われていた一室を、高木が知人づてに安価で借り、改装を重ねていった。レコーディング機材が持ち込まれ、吸音材は手作業で壁に貼られた。小さなブースも、少しずつ組み上げた手作りだ。
天井は低いが、音に集中できる。何より、好きなだけ音を鳴らせる。
「──さぁ、詰めていくか」
田村は椅子の背にもたれ、改めて画面と向き合った。
そのとき、高木のスマートフォンが震えた。
「……もしもし、高木です」
電話の向こうから、男性の声が聞こえた。声の主は、高木が以前働いていたプロダクションとは別の、業界内で地味ながらも確かな実績を持つ中堅プロダクションのディレクターだった。
『高木! レコーディングありがとな、矢吹くん、ちゃんとこなしてくれたよ!』
「そうですか! 良かったです!」
──矢吹くん、素直にやってくれたんだ……ちょっと心配してたけど、良かった。
『それでさ、お礼ってわけじゃないけど──今度のイベントのこと、聞いてる?』
「え? イベント?」
『うちの社長がね、“そろそろ勝負に出る”って、結構な金額ぶち込んでオーディションやることにしたんだ。全国から素人を募って、4つのグループに分けて、それぞれのチームで演奏・パフォーマンスを競う。視聴者投票で一番を決めて、優勝グループは──メジャーデビュー』
「それは……ずいぶん大きなプロジェクトですね」
『まぁな。うちもこのまま地味な仕事ばっかしてると、埋もれる一方でさ。お前が前にいたあの会社にも、正直押されてるからな。ここで一発、名前を売らなきゃって空気なんだよ』
高木は無言で相槌を打ちながら、その言葉の裏にある焦りを感じ取っていた。
『高木にはいろいろ世話になってるし、もしよかったら、〈レゾナンス〉をそのオーディションにエントリーしてくれないかなって思ってさ。どう?』
「……そうですね」
高木は田村の横顔に目をやる。ヘッドフォンを首にかけたまま、真剣な顔で打ち込みと向き合っている。
「少し、時間をいただけますか。メンバーとも話し合いたいので……」
『了解。あんまり時間ないけど、決まったら俺から社長に話通しとくからさ。よろしく頼むよ。またな!』
「ありがとうございます。また、連絡します」
通話が切れたあと、高木はスマホを机に置き、天井を見上げた。
もしこの話を受けて、優勝することができれば──
〈レゾナンス〉は、メジャーデビューの切符を手にすることができる。
高木は腕を組んで立ち止まり、少しだけ考え込んだ。
そのとき、オフィスの扉が開いた。
「うおーっ!! すげぇー!」
真っ先に声を上げたのは宮下だった。テンションの高い声とともに、彼は室内をぐるりと見回す。
続いて、有村、矢吹、櫻井、片寄が次々に中へ入ってくる。
それぞれの目に、新しい拠点の内装や機材の数々が映り込み、自然と笑みが浮かぶ。
宮下が振り返りながら口を開いた。
「思ってたより……ちゃんとしてるじゃん!」
ブースの壁に手を当てながら、櫻井も感心したように言う。
「このブース、手作りってほんと?」
奥へ歩を進めた片寄は、スピーカー周りの配線やミキサー卓を眺めながら呟いた。
「ミックスまでここで出来るね……やるじゃん、高木さん」
高木は彼らの反応を聞きながら、ふっと息を吐いた。
胸の奥で、何かが静かに、しかし確かに動き出すのを感じていた。




