第72章「コードと名刺」
「社長の話、長ぇなぁ……ねぇ?」
宮下辰馬は、控え室のソファに深く座り込み、ネクタイをゆるめながら愚痴をこぼした。
「ええ、そうですね……」
隣のドラムの男が苦笑を浮かべる。
「……あの人、本当にギター弾けるんですかね……?」
ベースの青年がぼそっと呟いた。
企業の創立記念パーティー。その演奏ゲストとして呼ばれたセッションミュージシャン3人は、社長の挨拶が終わるのを控え室で待っていた。外ではシャンパンのグラスが鳴り、社員たちの作り笑いがフロアに満ちている。
「お二人は、どこかの事務所に?」
宮下がふと声をかける。
「いえ、セッションで食べてます」
ドラムの男が答えた。
「僕は……一応、所属はしてますけど、まだ何も……」
ベーシストが言いかけたその時、目を見開いた。
「──もしかして、宮下さんですか?」
「え?」
「YouTubeで演奏見ました! あのスライドの使い方、すごくて……」
「……マジで? あれ見てた人いたんだ……」
宮下は少し照れたように笑いながら、後頭部をかいた。
「最近はどうしてるんですか?」
「バンドでやってますよ」
「へぇ、なんて名前の?」
「〈レゾナンス〉ってバンドです」
「……なら今度のイベント……」
「いやいや!!」
ベーシストが急に慌ててドラムに口を挟んだ。
「え? どうかしました?」
「い、いえ、なんでもないです! あはは……」
そのタイミングで控え室のドアが開き、スタッフが顔を覗かせた。
「そろそろスタンバイお願いします」
3人が立ち上がり、廊下に出る。その途中──
「……なんで隠すんです?」
ドラムが小声で問う。
「……いやぁ、器ちっさいなぁ、俺……」
ベースが苦笑する。
「ライバルは少ない方がいいってやつか。まぁ、気持ちは分かるけど……」
「……すいません。宮下さんには内緒で」
***
「……これまでの歩み、そしてこれからの展望──!」
マイク越しに響く社長の声は、まだ終わる気配がない。
「──長ぇな、やっぱり……」
ステージ袖で宮下がぼそりと呟く。ギターケースから愛用の楽器を取り出すと、軽く7thコードを鳴らした。
「とりあえず、キーA、普通にセブンスで様子見ですな……」
ドラムとベースが顔を見合わせて頷く。社長が得意げにギターを構え、ステージ中央に立った。
「それではここで、スペシャルセッションライブをお楽しみください!」
照明が落ち、スポットがゆっくりと3人に当たる。
──社長のギターが鳴り出す。
「……あちゃ〜、ペンタ一発かぁ……」
宮下が内心で肩をすくめる。
演奏は、技術というより熱意と自己満足が先行する一方的なセッションだった。社員たちは笑顔で盛り上がり、盛大な拍手が湧き起こる。
「社長、ありがとうございましたー!!」
***
演奏後、控え室に戻った3人。
「いやぁ〜、すごいセッションでしたねぇ」
宮下がわざとらしく言う。
「予想はしてましたけど……」
ベースが苦笑する。
「社員さん、無理やり盛り上げてましたね……」
ドラムも呆れたように言った。
「──でもさ、ここのギャラ、めっちゃ良いんですよ? 真剣にやってる現場の方が安いとか、マジで報われないですな〜……」
「まぁ、そんなもんですよ……」
ドラムが静かに相槌を打つ。
「……宮下さんは、プロでやっていかないんですか?」
「うーん……俺ら、バンドで“なります”よ。マネージャー付きの素人バンド、すごいでしょ? オフィスまでついちゃって」
「へぇ……それ、もうプロですよ」
「そうですか……」
ベースの声は、どこか沈んでいた。
宮下は立ち上がり、ギターケースを背負う。
「じゃ、お疲れ様でした! 自分、これからオフィスに戻りますので〜」
控え室の扉が閉まる直前、宮下はぽつりと呟いた。
「……なーんか隠してんなぁ、あの二人」
その言葉は、誰にも届かないような声で、
けれど確かに、空気の中に残っていた。




