第71章「俺たち、時々プロ。」
「……ふぅ。こんなもんかな」
スネアに最後のフィルを叩き込み、矢吹慎二はゆっくりスティックを置いた。
「OKです! これで以上になります。お疲れ様でした!」
ガラス越しにスタッフが親指を立てる。レコーディングブースの中に、ふっと安堵が流れた。
「いやぁー、助かったよ! 急遽で申し訳なかったね。すごく良かったよ!」
スタジオの奥から、プロダクション関係者が笑顔でやってきた。
「あぁ、気にすんなよ」
矢吹はタオルで額を拭きながら、そっけなく答えた。
「え、まぁ……ありがとう……」
関係者は少し気圧されながらも、笑顔を崩さない。
(態度のでかいドラマーだな……あんな繊細なタッチ叩くくせに)
控え室の隅では、同じく収録に参加していたギタリストがひそひそと話していた。
「あいつ、矢吹ですよ。色々問題起こしてたやつ」
「あー、なんか聞いたことあるな……」
プロダクションの人間が思い出すように頷く。
「一匹狼だったのに、バンドでやってるらしいですよ。どういう風の吹き回しなんでしょうね」
「バンドってことは、今度のイベントに参加するのかな?」
「……内緒にしてくださいよ。うちのバンドも出るんですから。メジャーレーベルと契約するチャンスなんですよ!」
「……ああ、そうだね……」
その場はそれで流れたが──
(……でもなぁ。高木にはずいぶん世話になったしな。こっそり教えてやるか)
プロダクションの男は心の中でそう呟いていた。
***
都内の小さなスタジオでは、有村康太がウッドベースを抱え、黙々とスケール練習を繰り返していた。
「ふぅ……だいぶ慣れてきたな。やっぱウォーキングベースは、ウッドでやると音が締まる……かっこいい……」
手元を見ながら、丁寧に指板を押さえていく。
──そのとき、室内の電話が鳴る。
「そろそろお時間です」
「あ、はーい。ありがとうございます」
ベースをスタンドに戻しながら、有村は静かに頷いた。
「……よし、これでジャズも! 今度、櫻井さんとセッションしてみよっかな」
受付に向かい、支払いを済ませる。
「領収書、お名前どうしましょう?」
「えーと……自分で書きます。……しまった、高木さんに聞くの忘れてた……」
そこへ、スマホが鳴る。
「有村。そっちはどうだ?」
矢吹の声だった。
「順調ですよ! これからバイト向かいます。矢吹さんは?」
「今終わったとこだ。俺も向かう。──あの話、聞いたか?」
「ええ、聞きましたよ。すごいですよね、オフィス……レコーディングもできるなんて」
「……お金、大丈夫なんですかね?」
「大丈夫なわけねぇだろ。早く俺たちも、名を挙げねぇとな」
「……ですね」
***
夜、カラオケバンドの店に到着すると、店長がいつものように笑顔で迎えてくれた。
「お疲れ様! 今日もよろしくね!」
「はい! 今日は宮下さんいないんで、店長ギターお願いします!」
「え? そうなの? 風邪?」
「いや、お偉いさんとのセッションだよ」
矢吹が答える。
「……いよいよ、こことのお別れも近づいてきたな」
「ちょっと待ってよ……」
店長が眉をひそめた。
「困るよ! 3人の評判でお客さん来てるんだから!」
「──バンド優先。それが条件でしたよね?」
有村が真剣な眼差しで答えた。
「……そうなんだけどさぁ……」
「ほら店長、合わせるぞ」
矢吹がドラムスティックを構える。
──が、明らかに店長の演奏はぎこちない。
「……今日のバイト代、ちょっと下げてもいい?」
店長がぼそりとこぼす。
「訴えるぞ?」
矢吹が即答した。
「………………」
店長は無言でギターを弾き始めた。
***
それぞれの場所で、
それぞれの現実と向き合いながら──
彼らは少しずつ、
「プロ」という肩書きに手を伸ばし始めていた。




