第70章「現実と夢のあいだで」
「はいはい、ええ、ぜひお願い致します。腕は保証しますから! ええ! 本当にありがとうございます!」
電話の向こうで深く頭を下げるような声を響かせながら、高木翔は軽快にメモを取っていた。
通話を切ると同時に、振り返って告げる。
「──とりあえず、再来週の土曜と日曜、ライブ決まりました!」
「え? 早すぎだろ……」
田村が口を開けて呆れる。
「それと、矢吹さん。知り合いにドラムのレコーディングをお願いしてます。行けますか? これ、スコアです」
「お、おう……」
矢吹は渡された譜面を受け取る。
「片寄さん、これから花粉の時期ですよね。マスクのセットと吸入器、購入したんで。もう自分で買わなくて大丈夫ですよ。それから──」
「えっ……ありがとう」
片寄は思わず笑ってしまう。
「櫻井さん。Arcoのママから伝言です。明後日のお客さん、還暦祝いで《All of Me》のリクエストが来てるそうです。片寄さんと二人で、お願いしますね!」
「了解でーす!」
櫻井が手を挙げる。
「有村さん、明日スタジオ抑えました。早速ウッドベースの調整お願いします。あと、領収書もらってきてくださいね。これ、お金です。終わったらバイトあるので、遅れないように!」
「は、はい! すごいな……」
「宮下さん。急で申し訳ないんですが、週末金曜、企業の創立記念日でギターセッションの依頼が来てます。社長がブルース好きだそうなので、バッキングでお願いします」
「おっけ、任された」
その場が一瞬沈黙し、やがて──
「うわぁ……仕事できる人だぁ……」
櫻井がぽつりと呟く。
「素人にプロのマネージャーって、俺たちシンデレラ待遇だね〜」
宮下が感嘆の声を漏らす。
「助かるわ、ちょうど切らしてたとこ」
片寄がマスクを見ながら言う。
「いきなりこれだけの、本格的な音楽の仕事って……」
有村が目を丸くする。
「……あぁ、俺たち、プロみたいだな……」
田村がぽつりとつぶやいた。
「お前は関係ねぇだろ」
矢吹が即座にツッコむ。
「いやいや俺だって……」
「──田村さん!」
高木の声が鋭く飛ぶ。
「はいっ!」
「少しお時間いただきます。すぐに会議をしますよ」
「え……いや、その……はい!!」
「それじゃ、各自お願いします!」
「よし、早速行こうぜ」
矢吹が立ち上がると、他のメンバーもそれぞれの場所へ散っていった。
──そして、部屋には田村と高木だけが残る。
「ではここから、プランについて考えていきましょう」
高木はノートPCを開きながら言った。
「お、おう……」
「このバンドの目標は?」
「もちろん……プロデビューです」
「まずは広告ですね。YouTubeチャンネルと、X(旧Twitter)のアカウントを開設しました。今後のライブ予定などは、すべてここで告知していきます」
「お、おう……早いな……」
「それから知名度がある程度できたら、どこのプロダクションに入りたいかを決めましょう。田村さん、希望はありますか?」
「いやぁ……それがよく分からなくて……」
「ですよね。各事務所の特徴をまとめた資料、用意しておきます」
「た、頼もしいな……」
「あと、田村さんには一番大事なお願いがあります。──曲をもっと増やしてください」
「う、うん。バイト以外は全部、作曲に時間を使うよ」
「バイトは、もうしなくて大丈夫です。自分がやりますから」
「えっ? いや、運営費とか結構かかるけど?」
「大丈夫です。みなさんのバイト代も含めて管理しています。許可は取ってありますから」
「そうなの……? 俺、しなくていいの?」
「ええ。今は優先すべきことに集中してください」
「なんか……悪ぃな……」
「あと、みなさんの引っ越しの準備もお願いします。ここでは何かと不便ですから」
「は? もしかして……」
「知り合いのオフィスを借りました。レコーディングに必要な機材も揃ってますし、住居スペースも人数分、確保してあります」
「ちょ、ちょっと待って、それって……お金は?」
「もちろん、借金ですよ」
「えー!!! まずいだろ、それは!」
「成功させるには、リスクは付き物です。……まぁ、自分の貯金はまだ余裕あるので。ここからは、時間との戦いですよ」
「……高木くん、どうしてそこまで……?」
「──自分、クビになったあと、前の会社から圧力を受けていて。もう、プロダクションには入れないんです」
「え? なんだよそれ……酷いじゃないか」
「いいんです。終わったことですし。それに……〈レゾナンス〉に出会えたのは、何かの縁だと思ってます。……自分はこのバンドを支えるために、今までやってきたんだって。そんな気がするんです」
「……そっか。ありがとうな。高木くんがいなきゃ、詰んでたとこだったよ……あはは……」
「お礼はまだいいです。〈レゾナンス〉がプロになるまでは」
「……あぁ、頑張るよ!」
「最後に、田村さん。あなたはどうしたいですか?」
「え? 俺?」
「はい。レゾナンスの作曲家で合ってますか?」
「……うーん、そうだな。でも、それだけじゃなくてさ……なんて言ったらいいのかな……」
「難しいなら、今感じている気持ちだけでもいいですよ?」
田村は少し目を伏せてから、ゆっくり口を開いた。
「──あのさ、俺……最近、もしかしたら、これが本当にやりたかったことなんじゃないかって思うんだ……………………」
「……………………なるほど。分かりました」
高木の目が輝く。
「必ず実現させましょう!」
「おう! だからさ──借金は俺がするよ」
「……分かりました!! 必ず黒字にしてみせます!!」
その言葉はまだ頼りないけど、
どこか確かな熱を孕んでいた。
現実と夢のあいだで。
〈レゾナンス〉は、ついに歩き出したのだった。




