第7章「爆ぜる鼓動」
〈HANGAR〉の地下。
今もどこか焦げたような匂いが漂うフロアで、スネアの連打が空間を突き破っていた。
矢吹慎二──その男は、誰もいないステージで、ひとり黙々とドラムを叩いていた。
表情はない。目は閉じ、ただ音だけが生きている。
客席後方で、田村奏真と有村康太がその音を聴いていた。
「……これが矢吹慎二か」
田村が言葉を呑む。
有村も黙ったまま、指を動かしていた。
ステージから放たれるリズムは、ただの演奏ではなかった。
まるで“音が呼吸している”ようだった。
「……行きます」
有村が突然、ステージに向かって歩き出した。
「おい、有村!? 待て、勝手に──」
止める間もなく、有村はベースを構え、アンプに直で繋いだ。
矢吹のドラムが鳴り続けるその隙間に、ベースをぶち込んだ。
──ブオォン。
床が震えるような低音。矢吹のバスドラとぶつかり合う音圧。
一瞬だけ、矢吹の手が止まりかけた。
だがすぐに軌道を修正するかのように、スネアの強打が返ってくる。
有村も引かない。
16分裏のアクセントを拾いながら、あえてタイム感をズラしてグルーヴを“揺らす”。
そのズレが、逆にリズムに立体感を与えていく──
観客も、音響もいない、ただのセッション。
だが、これは“ライブ”だった。
魂と魂の、本気のぶつかり合い。
数分後。最後に矢吹がライドを一閃させて、音が止まる。
有村の最後の一音も、それにぴたりと重なった。
静寂。
矢吹がヘッドフォンを外し、有村に歩み寄ってくる。
そして、低くつぶやいた。
「……悪くない」
その声に、有村がほっとしかけたその瞬間──
「──けど、甘い。ベースが突っ込んでる。
グルーヴで押してるつもりでも、今のは“ただの焦り”だ」
有村の表情がピクッと動く。
「リズムの芯で“泳ぐ”のと、泳がされてるのは違う。
お前、途中で俺のキック見失ってただろ?」
田村があわてて止めようとしたが、有村が前に出た。
「──じゃあ、あんたはさ。
相手の呼吸も聞かずに、全部自分のテンポで殴るだけか?」
矢吹が目を細める。
「……何が言いたい」
「“ジャム”って、相手を聴くもんだろ。
叩きたいだけなら、ソロドラマーでいいじゃん。バンドは“混ざる”もんだ」
空気が一瞬、張り詰める。
だが次の瞬間──
「……よし、やめやめ!」
田村が手を叩いた。
「お前ら、初対面で殺気立ちすぎだろ(笑)」
ふたりとも、目を逸らして少しだけ力を抜いた。
「いいか。お前らの音、どっちもバケモン級だ。
でも、バンドは“正しさ”で組むんじゃない。“鳴らしたい音”が重なったときに動き出すんだよ」
矢吹はしばらく黙っていたが、ふっと鼻を鳴らした。
「……お前、今の聞いて、こいつと俺の鳴らしたい音が重なると思うのか?」
有村も、口の端をちょっとだけ上げる。
「じゃあ、次は田村さんの番ですね」
音楽が、ただの音じゃなく、“会話”になる予感があった。
バラバラの熱量が、少しずつ、“バンド”へと形を変え始めていた──