第65章「原石の重さ」
夜の歩道を、スーツ姿の男がよろよろと歩いていた。
高木翔。元・音楽事務所のスカウトマン。
酔いはない。けれど足取りは重い。
「……くそぉ……」
うつむきながらマンションの一室に戻ると、何も言わずにシャワーを浴びた。
冷たい水が、肌を叩く。酒ではなく、自分を冷ますための水。
──ここからやり直すんだ。
翌朝、高木は新しいレーベル会社の面接に向かった。
ネクタイを締め直し、履歴書を握る手に力を込める。
会議室で、面接官が書類に目を落としながら尋ねる。
「前職では?」
「○○プロダクションで、アーティストの発掘・育成を担当していました。yuzuki、Kaito.、他にも──」
いくつかの成功事例を並べながら、自分の手腕を丁寧にアピールする。
面接官は頷きつつも、静かに質問を重ねた。
「もし、アーティストと会社の方針がぶつかったら、どうしますか?」
高木は少し考えてから答える。
「……自分は、会社側の人間です。最終的に決定権は会社にあります。
ただし、アーティストの意見が筋が通っているなら、できる限り尊重すべきだと考えています」
「ふむ……」
「利益の前に、信頼関係がなければ、育成は成立しません」
面接官は笑みを浮かべ、最後の質問を投げかけた。
「では──あなたの目標は?」
高木は、少しだけ背筋を伸ばす。
「……ダイヤモンドの原石を見つけて、その原石がいちばん輝ける道を作ることです」
「……素晴らしいですね。では、追って連絡します」
深く一礼し、面接室を出た。
──手応えは、あった。
元々、自分はこの業界で“実力派”と呼ばれていたのだ。
何も、間違ったことは言っていない。
──だが、数日後。
「……不合格?」
電話口の静かな声が、高木の耳に突き刺さった。
「理由を……聞いてもいいですか?」
「……申し訳ありません。それはお答えできません」
──そんな……
日が暮れかけた街を彷徨うように歩き、高木はふらりと片寄、櫻井のバイト先〈Arco〉のドアを押した。
カウンターに腰を下ろすと、すでにいつもの酒が出されていた。
「……酒に逃げてるなって顔ね」
ママが笑って言う。
派手なカツラにきらびやかなドレス。けれど、その目は鋭い。
「ここまでの経緯、話してみなさいよ」
高木は静かにうなずき、ぽつぽつと語り出す。
面接のこと、過去の実績、そして──今日の落選。
「……そう。それはつらかったわね」
ママは頷きながら言う。
「今日はうちの可愛い子ちゃんたち、バイトに入ってなくて、ごめんね。いたら、ジャズでも聞かせてあげられたんだけど」
「いや、気にしないでください。……まだ、諦めたわけじゃないですから」
そのとき、ドアが開く音がした。
「……高木?」
現れたのは、かつての同僚──峯岸だった。
「お前、大丈夫かよ。クビになって酒で死んだなんて噂になってるぞ? ははは!」
「笑ってんじゃねぇよ……」
「まぁ怒んなって。ところでさ、覚えてる? 一条メイ。お前がスカウト見送った子」
「……SNSのフォロワー多いやつだろ? インフルエンサーで……ミュージシャンじゃなかった」
「それがな。社長が連れ戻したんだよ。今、グラビアの準備してる」
「グラビア?」
「客掴むにはそれが早い。あとは適当に歌わせて、アイドルにして売る。タレントビジネスってやつさ」
高木は、呆れて言葉を失った。
「相変わらずブレブレな会社だな……クビになって逆に感謝してるよ。俺はまた、一から挑戦する」
「……無理だぞ?」
「は?」
「お前、社長に喧嘩売っただろ? あの人、お前のこと各事務所に“出禁”にしてる」
高木の目が、見開かれた。
「まさか……今日落とされたのって……」
「まぁな。どれだけ音楽分かってても、利益にならねぇ奴なんて、今の業界じゃいらねぇんだよ」
峯岸はゲラゲラと笑った。
その時だった。
──ママが、自分のカツラを思いきり投げつけた。
「気分悪いわ、出ていきなさいよ!」
「な、なにすんだよ!」
「やるならやるけど?」
仁王立ちのママ。その背筋には、静かな怒りがにじんでいた。
「くそぉ……!」
峯岸は毒づきながら、ドアを乱暴に開けて出ていった。
「大丈夫?」
ママが、優しい声に戻って高木を見た。
高木は、ただ静かに、うなずいた。
「……えぇ」
──グラスの中の氷が、音を立てて崩れた。
再出発は、思っていたよりずっと遠い。
でも、まだ──終わったわけじゃない。




