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Ensemble Session  作者: たぬきち


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第63章「聴く側に立つ」


 渋谷・クラブ〈ZION〉裏手の非常階段。


 湿った夜風が、酔いを少しだけ冷ました。街の喧騒はまだ遠くで鳴っている。非常口のドアが静かに閉まり、2人きりの空間に変わる。


 田村奏真は、自販機で買ったばかりのペットボトルの水を差し出した。


 「……はい、水。落ち着きました?」


 スーツの襟元を緩めながら、水を一気に飲み干した男は、息をついて目を細めた。


 「ありがとうございます……あれ? あなたは……」


 田村は小さく笑って、軽く頭を下げた。


 「お久しぶりですね。田村です」


 「……ああ、あの時の」


 男──高木翔は、少し驚いた顔で田村の顔を見つめた。


 「どうも、高木です。……高木翔」


 「プロのスカウトマンですよね? 橘と一緒にいた」


 「ええ……まあ、そうだったんですけどね」


 高木は苦笑いを浮かべて、頭をかいた。


 「──自分、クビになりまして」


 「え……?」


 予想外の言葉に、田村の目が一瞬大きくなる。


 「どうしてですか?」


 「うちの会社でやったオーディション……最終候補に残った3人、全員が辞退して」


 「あぁ…」


 「責任を取れ、ってことですよ。自分が担当だったもんで」


 高木の口調は淡々としていたが、その奥に苦い悔しさが滲んでいた。


 「……片寄は今自分たちのバンドのボーカルに入りました……」



 田村がそう言うと、高木は一瞬、目を見開いた。


 「……あの子が?」


 「はい。……そりゃ片寄は最終まで残りますよね…歌も、芯も、強いです」


 「……そうなんですよ」


 高木は小さく頷き、目を伏せた。数秒の沈黙のあと、ゆっくりと口を開く。


 「……あの時。上司が言ってたんすよ。“片寄は素材としてはいい。でもグループに入れないと活かしきれない”って」


 「……グループ?」


 「そう。“既存の枠”にハマるかどうかって話です。だから、ソロで行かせたくない、って……俺は反対だったけど、押しきられた」


 田村は目を細め、非常階段の手すりに背中を預ける。


 「……今はバンドで、自分の言葉で歌ってます。誰かの指示じゃなくて、自分のタイミングで、ステージに立ってる」


 「それが……答えだったんすかね」


 高木は、空のボトルを軽く振って、音のないカラカラという音に耳を傾けた。


 「自分、あのオーディションに命かけてたんすよ。やっと“本気で推したい”って思える子たちに出会えて……でも、それが全部流れて。何のためにやってきたのか、分かんなくなって」


 「……」


 「今でも思いますよ。“もしあの時、別の道が選べてたら”って」


 その言葉に、田村の胸が少しだけ痛んだ。



 「でも、だからこそ……俺、田村さんに会えてちょっと救われたかも」


 高木はようやく少し笑った。乾いた表情の奥に、確かな安堵があった。


 「ちゃんと、続けてるんすね。音楽」


 「……まぁ、続けられてるのか、分かんないですけど」


 「──実はこないだ、喧嘩しちゃって」


 「喧嘩?」


 「バンドのベースと。……ちょっと、音のことでぶつかって」


 高木が黙ってうなずくのを確認しながら、田村は言葉を続けた。


 「……“やりたいことやったから、あとはご自由にですか?”って、言われました」


 その言葉を繰り返した瞬間、自分の胸にまだ引っかかっていたトゲが、ほんの少し疼いた。


 「図星だったのかもしれないです。俺……“バンド組めたらそれでゴール”みたいに思ってたとこ、正直あったから」


 「……」


 「でもさ。始めた頃は、もっと“どうしたいか”ばっか考えてたのに、いつの間にか“どう回すか”ばっか考えるようになってて……。気づいたら、自分がいちばん雑に音と向き合ってたのかも」


 高木は、小さく目を伏せた。


 「……田村さん、ちゃんと見えてるじゃないですか」


 「見えちゃってからが、しんどいですよ」


 田村は空になったペットボトルを見つめながら、苦笑した。


 「理想を追いかけるために始めたのに、理想の重さに潰されかけてるっていうか。そんで、自分に余裕なくなると、相手の音まで責めたくなる」


 「……わかる気がします」


 高木が静かに言った。


 「自分もそうでした。現場まわして、数字追って……でも、“この人たちと何か作りたい”って気持ちを後回しにしてた。気づいたときには、手放さざるを得なかった」


 「……」


 「だから、自分はもう一度やり直したいと思ってる。今度は“ちゃんと音を聴く側”として」


 田村は一瞬黙って、夜の街に目をやった。


 「……俺も、やり直せますかね」


 「遅すぎることなんて、ないっすよ」


 そう言った高木の声には、かつての失敗を知る者ならではの静かな強さがあった。


 ふと、クラブの裏通りに新聞配達の原付が走り抜けていく。朝が、近づいていた。

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