第60章「一拍、置いて」
都内のカフェ〈ELM〉。雨上がりの午後、窓際の席に4人が集まっていた。田村と有村の姿はない。
「……こんなことになるなんて、思ってなかった」櫻井がコーヒーカップを両手で包み込みながら呟く。
「まぁな……」矢吹が短く相づちを打つ。「正直、あいつがあそこまでキレるとは思わなかった」
「有村も、有村で……ずっと我慢してたんだろうな」宮下がテーブルに肘をついて言った。
しばし、誰も言葉を発さなかった。
「……実はさ」宮下がぽつりと口を開く。「知り合いからライブのオファー来てたんだよね」
「えっ、ほんとに?」櫻井が目を見開く。
「うん。大学の先輩がブッキングしてる小さめの箱なんだけど、見てくれてたらしくてさ。次の企画で出てくれないかって」
「……でもこの状態じゃ、ちょっと難しいわよね」片寄が落ち着いた声で言う。
「そうだな」矢吹が腕を組む。「2人とも頭冷やす時間がいる。無理に合わせても、またぶつかるだけだ」
「……うち、バンドとしてはまだ未熟なんだよね」櫻井がぽつりと漏らす。「個々はすごいのに、チームになると脆いっていうか……」
「まぁ、でもさ」宮下が肩をすくめる。「こういうのを超えて強くなるもんでしょ。喧嘩の一回や二回、普通だよ」
うん……そうなんだけど」櫻井がスプーンでカップをくるくる回す。「何かがズレたままになってないかなって、不安になる」
「ズレたままって、どっちが?」矢吹が尋ねる。
「……どっちも、かな」
片寄はしばらく黙ったまま、窓の外を見つめていた。雨粒の跡が残るガラス越しに、車の列が途切れ途切れに進んでいく。
「……田村くんってさ」片寄がぽつりと口を開いた。「自分のこと、何でも一人で抱え込んじゃう人だと思う」
「うん、わかる」櫻井が静かに頷く。「あの人、助けてって言えないよね」
「……俺は、どっちかっていうと有村の方が心配だな」矢吹が言った。「あいつ、真面目だからさ。折れるときは、一気にいく」
「……たしかに」宮下もため息をつく。「なんか、バンドを“守らなきゃ”って一人で思いつめてたのかも」
それぞれが、それぞれの「間違えたかもしれない何か」に向き合っているようだった。
そうして再び沈黙が落ちたそのとき──
入口のベルが鳴った。
そのとき、入口のベルが鳴った。
一同がそちらに目をやると、濡れた髪を軽く拭きながら、有村康太が入ってきた。
「……すいません」
4人の席へゆっくり歩いてきて、深く頭を下げる。
「昨日は、言いすぎました」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
「……バンドは、やります。俺、逃げるつもりはないです」
矢吹が小さく頷く。
「じゃあ、頭冷えたか?」
「……まぁ、ちょっとだけ」
「宮下くん」片寄が顔を上げて言う。「そのオファー、受けましょう。リハ、すぐ組める?」
「もちろん。あっちもなるべく早く日取り決めたいって言ってたし」
「よかった……」櫻井がほっとしたように笑う。「また、音出せるんだね」
テーブルに戻った静けさの中、ほんの少し、あたたかい音が芽生えていた。




