第5章「鼓動の影」
その日も、田村奏真と有村康太は、下北沢のカフェ〈ELM〉で音源の確認をしていた。
「……物足りないな」
田村がつぶやく。
「紹介できそうなやつ、誰かいない?」
「うーん……あ、でも……ちょっと前に妙な話は聞きました」
有村が思い出したように話し始めた。
「HANGARってライブハウス、知ってますよね? 高円寺の……わりと荒れてるとこ」
「うん、何回か出たことある。客も出演者も、だいたいガラ悪い(笑)」
「先週、そのHANGARで“事件”があったらしいです。
リハ中に出演者同士で口論になって──
ドラマー同士の小競り合いが、本気の喧嘩に発展したって」
「で?」
「結果、片方のドラマーが、相手バンドのメンバー3人をぶっ倒したって」
田村は笑いかけたが、有村の真顔に気づき、言葉を止めた。
「マジで?」
「マジです。しかもそのあと、普通にライブで叩いたらしいです。
何事もなかったように、ひとりで。アンコールまでやって、客めっちゃ湧いてたって」
店内の空気が少し静かになった。
「……名前は?」
「矢吹、って言ってました。“矢吹慎二”」
有村は、スマホのメモを見ながら続ける。
「前にバンドやってたみたいですけど、今はフリーらしくて。
ただ、ヤバすぎて誰も誘わないっていう噂です」
「ヤバすぎて?」
「すぐ手ぇ出すんですよ。音楽的には超一流、らしいんですけど……」
田村は黙り込んだ。
だがそのまなざしは、明らかに興味を抱いていた。
一方その頃、HANGARの事務所のソファ。
矢吹慎二は、アイスを食いながら黙ってTVを眺めていた。
周囲のスタッフは、目を合わせようとしない。
少し前の“あの件”が、まだ空気を重くしていた。
誰も何も言わない。ただ、慎二の手元には、
新品のスティックと、叩き潰れたフロアタムの部品が転がっているだけだった。
──鼓動の中心に、嵐のような男がいた。
田村も有村も、まだその“リズム”を知らない。