第42章「俺の音」
静かな皿洗い場。
熱めの湯に手を浸しながら、宮下辰馬は泡だらけの皿を黙々と磨いていた。裏口の窓から漏れる夕陽が、ステンレスのシンクに反射してまぶしい。
──みんなどうすんのかなぁ。
そんなモヤモヤをかき消すように、タオルで手を拭いていたところで、店内の扉が開く音がした。
「いらっしゃいませー!」
ふと視線を向けると、子どもを五人連れた四十代くらいの男性が、テーブルに案内されていた。
「先生、帰ったらまたギター弾いてね!」
「うん、またみんなで歌おうか!」
穏やかな笑顔でそう答えた男性は、休日に子どもたちの面倒を見る学童の先生だった。
「わーい!」
店内は一気ににぎやかになった。
だが──
「……やだ。つまんねーし」
ひとりだけ、腕を組んでそっぽを向く男の子がいた。
「瑛太くん、またそんなこと言って……」
先生が困ったように笑う。
「まぁ、瑛太くんはギター上手だからね。先生のなんかじゃ満足できないよね?」
「当たり前じゃん。俺の音は誰にも負けねぇから」
それを聞いて、宮下は手を止めたまま、ふっと息を漏らす。
(……いいな。そんなふうに言ってみたいよ、俺も)
俺の音か……。
思い出すのは、あの日。片寄結衣の、あの言葉。
── ギターソロ、全然よくない。……“俺の音だ”って主張が薄い。………
そのとき、子どもが突然、宮下を指差した。
「あっ、あのお兄さん、この前ライブ出てた人だよ!」
「え、ほんと?」と先生。
「おう、見てたんだな。ありがとな」
にっこり笑って、宮下は軽く手を振る。
「お兄ちゃん、ギター俺より上手いの?」
突然の直球に、瑛太がニヤニヤしながら詰め寄ってくる。
「うーん……どうかなぁ。瑛太くんも上手なんだろ?」
「じゃあ勝負しろよ!」
「こらこら、勝負なんて言わないの」
先生が慌てて間に入る。
「すみません、あの子、ちょっと負けず嫌いで……」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
宮下は笑って受け流した。
「瑛太くん、小さい頃にお父さんを亡くしてて……。プロのギタリストだったんです、実は」
「えっ……マジで」
宮下は目を丸くした。
「それでギターが好きになって。お父さんのこと、今でも憧れてるんです」
「……そっか」
瑛太が、ふっと顔を上げる。
「お兄ちゃん、俺の音、聞いてよ」
宮下は一瞬、言葉に詰まったが──
「……うん、今度な」
それからしばらくして、学童の子どもたちは席を立ち、先生に連れられてレストランを後にした。
宮下は厨房でエプロンを外しながら、小さく呟いた。
「……なんか、気になるな。あのガキ……」
その足で、彼はライブハウスへ向かった。
夜。
チャイムが鳴り、田村が扉を開ける。
「はいはーい。どちらさ──……って、子ども?」
小さなギターケースを背負った瑛太が、仁王立ちしていた。
「ギターで勝負しに来た」
田村は一瞬絶句してから、奥へ向かって声をかけた。
「宮下ー! 知り合いか?」
「え? ──って、おいおい瑛太、こんなとこまでどうやって……?」
宮下は呆れながらも駆け寄る。
「送ってくから帰るぞ、な?」
「やだ。勝負すんだもん」
「コラ!」
「まぁまぁ」
田村が間に割って入る。
「学童にはこっちから連絡しとくよ。迎えに来るまで、ちょっと遊んでやりなって」
「……はぁ、参ったなぁ」
宮下は苦笑しながら、ギターのケースを取りに行った。




